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元ミニマリストの経験談 日記なんて書かない子だった

 日記なんて書きたくない

 そんな子供だった私が、大人になった今、日記のように毎日続けている...

 いや、綴っているというのが合っていますね。

 そんなことがあります。

 noteの毎日更新です。

 と言っても、記事を毎日更新しているわけではなく、つぶやきも併せて毎日更新しているという感じです。

 記事が書けない日は、つぶやけばいいじゃない❗️精神でやってます。

 どっかで読んだことあるような構文な気がしますが...まぁお気になさらず(笑)

 日記嫌いな子供がなぜ日記を書くようになったのか?

 さてさて、そもそもなぜ私が日記嫌いだったのか?から話始めましょう。

 私は頭でっかちな子供でした。

 そのうえ、頑固なもんだからタチが悪い。

 人よりも勉強することが苦ではなく、好きなだと思うきっかけが何かしらあったものはほとんど出来ました。

 知識を詰め込めば、ある程度勉強なんて出来ると高を括っていたのです。

 そんな超インプット型ガリ勉だった私は、自分から発信すること(特に感情をアウトプットすること)が苦手でした。

 なので、日記なんて一番時間がかかって嫌な宿題でした。

 こんな文章書いたって、何の面白味もない。
 もっと知識のある言葉は使えないか。
 あの時に感じたことが他の人と違ったらどうしょう。

 当時は、上記のようないろんな感情や考えが雪崩のように頭の中で崩れていく感覚が嫌だったんでしょうね。

 たぶん知識や偏見、妄想など自分で整理しきれないくらいの内面的なマキシマリストの視点で書いていたから、日記のような自分のことを文字で表現するのが好きではなかったのでしょう。

 しかし、大人になるまでに自己表現を絵でするようになったり、絵についての文章を書くようになったり、本を読む習慣が出来たりと多面的に文章を書く楽しみを知り、そして好きなモノを選ぶというミニマリストの視点を入れられるようになって、やっと日記が好きになったような気がします。

 そうして、私はマキシマリストもミニマリストも経験して、今はその両方のいいとこどりをしているミディアリストの視点でこうして文章を書いています。

 たまにマキシマリストに傾いたり、ミニマリストに傾くのはご愛嬌(笑)

 今まで知り得てきた多くの経験を選りすぐって、私の言葉で紡いだ文章が誰かに読んでもらえるのが、ちょっぴり恥ずかしながらも楽しい。

 そんな日記が私のnoteです。

 こんな日記を綴っているなんて、子供の頃の私は夢にも思わないでしょうね。

 ではでは、今日はこのへんで...

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