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低空飛行note

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ひきこもり・メンタル系の当事者会〈低空飛行net〉から生まれた書きものサークルです。表現したい、発信したい、そんな何かを載せられるnote。物好きなメンバーが気の向くままに更新中。
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2023年10月の記事一覧

双極症の人は無理しがち

食後に処方されている精神薬詰め合わせと頓服の精神安定剤を飲んだあと、ヒマなのに書きたいことや読みたいものがなにもないことに虚しい気持ちになった。 でもなぜか虚しい…何も書けん…私は空洞です…みたいなことを言いながらブログを書くと捗る自分内法則がある。ハードルが下がるんだと思う。 昔は絵や漫画を描いていたけど今はもうそんな集中力のいるアウトプットは完全に無理で、Twitterやブログで限界。 漫画や軽めの文庫を読む程度のインプットも全然できなくて焦る。 そろそろ自分の力でどうに

浅い日記

カウンセリングに行った。 日記は本当にメンタルヘルスを改善することに役立つのか、あるいは余計なことを思い起こさせて逆効果なのかと訊いた。 自分のことを把握することに役立ちはするけど、サラッとした事実の記述に留めるべきで、あまり心に深く分け入っていくような内容については触れずにカウンセリングで話せばいいのではないかと言われた。 書いたものをSNSやweb上に載せない方がいいと言われたが、私は他人に見せる前提で文章を書かないと何も書けないので困った。 誰も読まない手元に置いておく

「俺、猫飼ったんすよ」

結局救ってくれるのも人なんだな、とバカみたいに簡単に和らいだ胸の内を他人ごとみたいに感じながら、そう思った。 人と関わりたくない、会いたくない、触れたくない、とひきこもって安全に私を守る城壁を強くしようとしていた。壁の一部を取り除いてそーっと他人を入れてみると、内側も外側も陽のあたる湖面みたいに穏やかだった。 嬉しくて気が抜けてしまった。 先日、体調を崩して長く休んでいた事業所に戻った。 行く、話す、と決めたのに、直前まで本当にこれがやりたいことなのかと悩み、胃が波打つよう

誰かを「嫌い」になるということ

先日のnoteから若干つながった記事になる。 突然だが、私は高校生くらいまで「人を嫌いになっちゃいけない」と思っていた。 思い込んでいた。 人を嫌いになるのは悪いことだ。誰だって理解する努力をしなければ。そんなふうに考えていた。 平和主義(この言葉も適切ではないかも)というよりは、「私だって十分罪深くゴミみたいな存在なのだから、人を嫌いになるなんて『贅沢』をする資格はない」とでもいうような心理だったように思う。 以前に別のnoteで書いたが、自己認識がヒト以下の泥人形だ

「理解のある彼くん」なるコトバは一刻も早く滅びてしまえ

私は精神疾患のある女子なのだが、ふざけて彼氏をおーい!理解のある彼くん!と呼んで遊んだりはするが(やめろ)ほんと言うとこの概念が非常に嫌いだ。 セックスと病気を悪用して飯食わせてくれるメシアを召喚してるけしからん女がいるから叩こうというイヤな感じがなんかこう…不快、気持ちが不快なだけではなくすごく不条理で、状況を間違って解釈していると思う。 理解のある彼くんが突然生えてくるからメ◯ヘラ女は楽でいいみたいな女性差別と障害者差別が複合した最悪のものなのでこの言葉には一刻も早く滅

本と文と嫌悪と

てめぇの脳を割りたい。 某文学作品のタイトルをもじって自分の今を表すならそんな感じ。そう思うくらい《てめぇ(自分)》の頭が痛いし、そう思うくらい《てめぇ(お前)》の脳を食って血肉としたい。 今日、図書館で本を借りた。それだけのこと、たかがそんなこと、と思われるかもしれないが私にとっては大きいことだった。 一年前だったか二年前だったか定かではないが、あまりにも家から出れなく、文章も書けなかったとき、書籍化ネットノベルの原作を小説投稿サイトで流し読みするだけでは思考力が鈍っ

薬を抜いたら頭がザワつく

双極の薬を1日抜いたら早速頭が壊れてきた。 祝日なのを忘れて昨日行ったらメンクリが閉まってて、一日薬飲めなくて、今から夜ご飯なので食べたら即飲む。 脳内がノイジーで、出勤はしたけれど仕事どころではなく、「ジザメリ(ジーザスアンドメリーチェイン、バンド)ってテンパなのかなー、というか何人いたかなぁ…。何人中何人が天パかなぁ。」とか 考えてしまって普段の半分くらいしか入力作業がおわらなかった。 お菓子もらってお茶飲んで飴食べてお茶もらってだべってたら勤務時間終わってしまい、帰り際