双極症の人は無理しがち

食後に処方されている精神薬詰め合わせと頓服の精神安定剤を飲んだあと、ヒマなのに書きたいことや読みたいものがなにもないことに虚しい気持ちになった。
でもなぜか虚しい…何も書けん…私は空洞です…みたいなことを言いながらブログを書くと捗る自分内法則がある。ハードルが下がるんだと思う。
昔は絵や漫画を描いていたけど今はもうそんな集中力のいるアウトプットは完全に無理で、Twitterやブログで限界。
漫画や軽めの文庫を読む程度のインプットも全然できなくて焦る。
そろそろ自分の力でどうにもならないことは諦めて、流れに沿って生きるほかないのかもしれない。
双極症と診断されてすぐのころは、鬱を殺す!とばかりにエナドリでカフェイン錠を飲み下し、TOEICの勉強も絵も水泳も学業も連日にわたるライブ鑑賞も絶対やめなかった。
病気に諦めさせられる何かがあるということが24.5歳では納得できなかった。
カウンセリングで、健常者でもあなたの生活を送れば根を上げる、スピードを落とせと忠告されたが、そんなの勝手に根を上げてればいいとシカトしていた。
もちろん過活動が続けば鬱という形で代償を払うわけだが、どうせ病気が治らず症状が出る日が来るのなら治るのを待っても無駄、せっかくの貴重な動けるときに休むなんて無駄、好きなことやって死にたいと思っていた。
どうせ治らんと絶望していたのだと今ならわかる。
当時のカウンセラーや主治医は双極症の患者に動きすぎるなと命令するだけで、行動の背後にある絶望が汲み取れないポンコツだったのではと、いまでも思っている。
動き過ぎなければ次の鬱が軽く済む、とか、限界まで頑張って自分の社会的地位を挽回しなくても双極症の人間にだって将来はある、とか言えなかったものだろうか。
てか心理教育って本には書いてあるけどロクに行なわれなくないですか。
双極ですと診断されてどんなに戸惑っても5分間診療が延々と続くのみ。
現在は自助会に参加したり、障害者雇用で週3日でのんびり働いたりして、苦手な休むことも少しはできるようになった。
熱があったら休むように、鬱がきたら迎え撃つのではなく休め。寝てろ。君は病人です。
第一その方が早く動けるようになるぞ、と自分に言い聞かせている…言い聞かせている、ような気もするが、エレキギターが超やりたい。
ギターはうちにあるからアンプとか小物をアマゾンで買って近所のギターレッスンに通ってバキバキに弾けるように練習しよう、とぐんぐん空想の翼を羽ばたかせているが、現実には夜12時就寝昼12時起床、家のことをやったら日々が終わるので、ギターとか無理、でもいつか死ぬなら弾きたい、でも三日坊主になったらやだなどとジリジリ天使と悪魔が攻防している。
あれもしたいこれもしたいという躁鬱誘発的な考えと、寝てろよ!という治療に目が向いた考え方の間でバランスを取ってる側で見ていて危なっかしい人々が双極人なのかもしれない。主語がでかいかもしれないが少なくとも私はそうです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?