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【お悩み買取01】ITアレルギーの田舎町に移住したIT系HSPさんの今後の人生についてのお悩み

この記事はお悩み買取り企画で買い取ったお悩みのレポートです。
お悩み買取りについては以下をご覧ください。

記念すべき最初のお悩み買い取りは、30代の男性Aさん。

申し込みフォームに記されたAさんの悩みは「今後の人生について」。 いきなり大きい悩みだな、と思った。

HSPという気質を持ち、鬱の症状に度々苦しむというAさん。 悩み苦しんできた過去と、前を向き始めた現在、そして未来への不安。

初めて買い取ったお悩みは、ご本人の言う通り、人生に悩むリアルな声だった。

悩みの概要

  • 今の職場との関わり方

  • 将来への経済的な不安

鬱と転職

「私はうつの経験がありまして。」

買い取り開始直後、Aさんは見ず知らずの僕にそう告白した。
そして、言葉を選びながらも早口で、初めての鬱と2度の転職について語った。

「私は地方出身なんですが、地元を出たいという気持ちがあり、大阪に出て、有名な企業に就職しました。
仕事はIT関係でした。
大阪では、プライベートでも仕事でも、地元では出来なかったであろうたくさんのことを経験しました。
だけどそんな暮らしの中で、人間関係や仕事の内容、職場環境なんかが原因で鬱を発症しました。
初めてだったので『あ、こんな症状になるんだ』と感じました。」

「そういう体調の変化などもあり、30歳になったら地元に戻ろうかなと考えていました。
そして、出身地の隣の県にある教育系の企業に転職しました。
自分が培ってきたITの知識や技術を、教育という分野に活かせると思い、そこに決めました。
移住してすぐの頃は、自然も豊かで良いところだなと感じました。
でもその職場では、人間関係に問題を感じ、また鬱の症状が出てしまいました。
関係の近い人と合わなかったので厳しかったです。
1年も経たないうちに辞めてしまいました。」

「その後転職したのが今の職場です。
前の職場の隣町にある観光系の団体です。
この町の方が『隣町に大阪から移住してきたIT系の人がいるらしい』という話を聞きつけて、興味を持ってくださったんです。
『ここで働いてみないか』と声をかけてくれました。
観光ってITと密接に関係しているというか、ITの力が求められる分野なんですよね。
入社直後には、これはもう天職だと感じました。
行き着くべくして行き着いたなと。
自分の力が必要とされていて、仕事内容も合っていて、人間関係も良くて。
ここでずっと長く続けていけると思いました。」

様々な環境や鬱に苦しんだ末にたどり着いた天職。
とても喜ばしいことのはずなのに、それを語るAさんの表情はまだ固いままだった。

HSPとの出会い

「今の職場に来て3年くらい経って、壁にぶつかるようになりました。
コロナ禍で観光業界は大きな打撃を受けました。
自分は元々コミュニケーションが得意な方ではなく、ガンガン営業するタイプではないので、集客などの観点からは相当なダメージを受けました。
そういった色々な要因が重なって、また鬱の症状が出てしまったんです。
その時には初めて『死にたいな』とまで思いました。」

天職であるはずの仕事がコロナ禍で大ダメージを受け、その影響を正面から受けてしまったAさん。
その時の鬱の症状が原因で休職することとなる。
ただ、その中では新たな発見もあったと言う。

「休職中にHSPという言葉を知りました。
他の方とお話している際に出てきたのですが、知らない言葉だったのであとから調べてみました。
最初は『ふーん、こんなのがあるんだなぁ』っていう程度でした。
ただその後、自身の鬱に関する情報を集めようとYouTubeを見ていたところ、関連動画にHSPに関する動画が出てきました。
そこでその動画を見てみると、まさに自分のことだと思ったんです。」

「自分の熱しやすくて冷めやすいところとか、自分勝手だなって思って、ちょっと自己嫌悪とかもあったんです。
その他にもHSPという性質には思い当たるところがとても多くて。
HSPについて学び、自分がHSPだということに気付いたことで、少し肩の荷が降りた気がしました。
ある意味諦めがついたというか、今まで自分を責めていたところが、HSPという気質だから仕方ないのかなっていう風に自己処理できるようになったんです。
そこからは少し鬱の状態も落ち着き、前を向けるようになりました。」

HSPという言葉を知り、その性質を学んだことで、心の整理に繋がっていると言う。
鬱という苦しい状態がそのきっかけとなったのだから、何がどう転ぶのかわからないものだと思った。

年代の壁とITアレルギー

一方で僕は、Aさんの言った壁という言葉が気になっていた。
その壁こそが、Aさんの今の悩みの根だと感じたからだ。
言葉数の多いAさんが、そこで壁という抽象的な言葉を使ったのはなぜか。
壁についてもう少し詳しくお聞きしても良いですか?と、僕は率直に尋ねた。
Aさんは僕のその質問を予測していたかのように、またスラスラと話し始めた。

「今住んでいるところって、人口5千人に満たないくらいの小さな町なんですよ。
そのうち50%以上が65歳以上です。
町には高校がなくて、小中学校が各1校ずつあります。
隣町に行けば高校がありますが、選択肢が少ないので、1時間かけてでも他の地域の高校に通わせたいという親御さんは多いんです。
もちろんそんな町ですから、就職先は多くありません。
つまり、ほとんどの子どもは中学校卒業と同時に町を出ていってしまうし、20代30代がごっそり抜けているんです。」

地方の過疎地域ではよくある類の話だ。
僕の住んでいるところも、人口こそAさんの町より多いけれど、状況はよく似ている。
Aさんは話を続ける。

「うちの町はホタルが有名なんです。
その管理をされているのも高齢の方が多いです。
昼間は農作業して、夜はホタルの番をするというような形です。
60代でも若いと言われるくらい平均年齢が高い状態です。
観光の仕事をする私としては、その状況で10年後もやっていけるのかとか、色々と心配事は尽きません。」

「行政が中心になって観光の促進をしたりもするのですが、その受け皿も不足しています。
地域の事業者さんの中には、ご自身の老後の分だけ稼げれば良いという方も多いです。
そんなところに人を呼んだとして、観光地として成り立つのかなとか。
そのあたりの温度差とか、危機感の差っていうのがひとつの壁だなって感じます。」

なるほど、と僕は思った。
似たような過疎地域に住んでいることで、その課題感は共感出来る。
しかしただの住人である僕と違って、観光業に携わるAさんにとっては、その課題はすなわち職務上の課題なのだ。

「この仕事を始めたときからそういう課題には気付いていました。 ただ、最初の頃は、そういう逆境に燃える部分もありました。
ITの力でなんとかしてやろう、みたいな。
ITが全然入ってないからこそ、改善していく余地はたくさんあるだろうなって思っていました。
でも実際には、ITアレルギーがすごかった
 横文字はわからないよ、手続きは対面じゃないとやらないよ、という感じです。」

「何年か前、町が総力を挙げてインターネット光回線の導入に取り組んだことがあったんです。
開通工事は無料、高速回線が格安で使えますよって。
それでもインターネットの普及率はあまり上がらなかった。
オンラインミーティングにも抵抗があるようです。
ご自宅でパソコンを開くということも、スマホを活用することも、町の人にとっては大変なんです。
コロナ禍でそこがより苦しくなりました。」

高齢化、過疎化の進む地域において、ITの活用は容易ではない。
これはこの町に留まらず、日本全体が抱えている課題だろう。
Aさんは責任感や当事者意識で、そんな巨大な壁にひとりで立ち向かおうとしたのだ。

激動の年

Aさんはその後、人生を揺るがす大きな波に飲まれていくことになる。
大きな苦難でもあり、今後の人生に大きな影響を与えることになるその1年を、Aさんは丁寧に語ってくれた。

「そういう町の状態や課題に対して、自分がなんとかしようと頑張りました。
今思うと、人の目を気にしすぎたり、他人のために頑張りすぎたところがありました。
これもHSPの特性のようです。
モチベーションの軸を他人に置きすぎていました。」

「私の部署には今3人のメンバーがいるのですが、昨年私はそこでリーダーを任されました。
コロナ禍の最中で、観光としての業績は最悪でした。
行政から依頼された事業を、いかに工夫しながらこなしていくかということが評価基準のひとつでした。
自粛ムードの中、出来ないこともたくさんありました。
そんな中で決算で数字を出すことが苦痛で仕方なかった。」

「あまりの苦しさの中でまた鬱の症状が出て、休職させてもらうことになりました。
その時にはまだHSPという言葉に出会っていなかったので、こんな風にひどく落ち込んだり、その結果周りに迷惑をかけてしまうことを、ただ自分勝手な性格だと思っていました。
そういう状態を変えるためには、起業してひとりでやっていくしかないんじゃないかと考えました。
そして、復職するタイミングで、年内で辞めますと伝えました。」

「そこからは、開き直りみたいな気持ちもあって、人が変わったように働きました。
苦手なはずの営業もぐいぐい行って仕事を次々取ってきたりしました。
周りからは、何かが乗り移ったように見えたそうです。
何か焦ってない?とか、大丈夫?とか、度々聞かれました。
ちょっとおかしいよ、とも言われました。
自分としてはそういうつもりはなくて、やりたいことをやりたいようにやっているという感じでした。
病院に行くのも嫌で、処方された薬も飲まなかったり、主治医の指示に従わなかったり、そんな状態でした。
気分さえ良ければ鬱なんか関係ないと思っていました。」

「その結果、秋に反動が来ました。
先程お話した、今までで一番大きい鬱の症状が出たのがこの時です。
主治医にはめちゃくちゃ怒られました。
自分で判断せず、専門家を頼りなさいと。」

「それからまた休職して、今に至ります。
今回の休職は半年近くになりました。
前回の反省を活かして、今回は慎重に。
しっかりと休んで、HSPのことを学んだりして過ごしています。」

激動の一年でしたね、という僕の言葉に、Aさんはどこか遠くを眺め、「そうですね」と応えた。

「自分勝手という言葉では片付けられないくらい、周囲を振り回したと思います。
でもそれが、HSPに由来することだとわかり、対処しやすくなったことは大きな収穫でした。
昨年は半年くらい休職していましたが、自分自身を見つめ直すという意味では意義のある時間だったと思います。」

アナログからオンラインへ

自身の特性のことを知り、少し肩の荷が降りたと言うAさん。
この春からの新しいチャレンジについて語ってくれた。

「HSPについて学んだことで、もっと自分を大切にして良いんだということに気づきました。
他人軸ではなく、自分軸で考え、行動していこうと思えるようになりました。」

「今の仕事との関わり方も改めて考えました。
地方ほどコロナへの恐怖心は大きいと感じます。 私のような若者が何か言っても、状況は変わりません。
コロナに大きく左右される観光という業種との関わり方を見直すつもりです。」

「とは言っても、ここで自分の力を活かしたいという想いもあります。
この町は好きですし、今の職場にもとても感謝していますので。
なので、ITやプロモーションなど、私自身の得意分野で技術や知識を提供するという形で関われたらと考えています。
完全に中に入り込んでいたところからは一歩引く形です。」

「その傍ら、YouTubeやブログなどでの発信を通じて、もっと広い世界と繋がっていきたいと思っています。
今までのようなアナログ的な関係は少し抑えて、オンラインでの関係を広げていきたい。
今YouTubeで少しだけ動画を発信していますが、興味を持ってくれる人がいたり、繋がりが出来たりしています。
まだまだ仕事として成り立つまでには程遠いですが、続けていくことで見えてくるものもあると思います。」

「ただやっぱり、ゴールが見えないので不安は大きいです。
YouTubeもブログも、何本作れば何円になるよっていうものではありませんからね。
もちろん、広告収入だけでやっていこうというわけではありません。
興味のあることを発信して、同じような興味を持つ人と繋がったり、自分の技術や知識を必要としてくれる人を増やしたりすることが重要だと思っています。
ゆくゆくは組織化していくことも考えています。」

塾を開く夢

不安を抱えながらも前を向き、具体的に動き始めたAさん。
彼の行く先にはどんな未来があるのだろう。
僕はAさんに、将来の夢について尋ねてみた。

「この町に恩返ししたいと思っています。」

Aさんは即答した。

「この町でITの塾を開きたいです。
パソコンやスマホで出来ることはたくさんあります。
オンラインだからこそ出来るというようなこともたくさんあります。
動画編集やイベントのPRなど、そういうスキルが町の役に立つと思うんです。
町の人にそういう技術を伝えていくことで、町に貢献出来ると思っています。」

そこは他人のためなんですね、と僕が言うと、Aさんは笑った。

「そうですね。
誰かの役に立ちたい、与えられる人になりたいという気持ちは、昔からあったんだと思います。
でも今度は、自分が十分に満たされて、そこから溢れた部分を誰かのために還元したいと思っています。
そのためにも、まずはしっかりと自分軸で行動して、自分を満たしてあげたいですね。」

*** 買取終了 ***

こうして初めてのお悩み買い取りは終了した。

今後の人生について。
それは確かに大きな悩みだったが、Aさんには同じくらい大きな気付きと確かな前進があった。

僕自身にとっても、示唆に富んだ悩みだったと感じる。

自分を満たして、溢れた分を還元する。

Aさんも僕も、世界の誰もが、そんな風に自分と誰かを大切できる世の中であって欲しい。

Aさんが売ってくれた悩みは、そんなことを考えさせてくれたのだった。

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次回は「嘘をつきたくないのに嘘をついてしまう」という20代女性のお悩みです。

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