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親子関係



こんばんは。今日も一日お疲れ様でした。
1週間もいよいよ終わりですね。
月曜日が7月「1日」から始まって、キリがいいことに嬉しく思っていたら、もう13日も経ってしまったなんて、驚きです。
そして一年の半分が終わったことにも驚きを隠しきれず。


今週は、たくさんのことが、私の身に起こりました。
皆さんはどうでしょうか。



今日は、そのうちの一つについて話します。
長くなってしまう可能性が高いです。


タイトル「 荷物 幸せとは 」

お話のテーマは「親子関係」です。

放送部に所属している私は、先日、尊敬する先輩や同期から、親子関係について聞きました。個人の尊厳に関わる話なので、多くは語れません。
私が、彼らの話を聞いて、何を思ったか、というのがメインになります。


親子関係とはどれだけ難しいものなのでしょう。
家庭の「かたち」は、本当に難しい。
まだ20年も生きていない高校生の私が言えることなのではないのですが、「親子関係」に、「家庭」に、辞書的な意味ではなく、定義づけるのは、とても愚かな行為だと思うのです。


私の親子関係(主に母)について語るとすれば、それは友達のような関係で、でも「友達親子」という言葉で表すには少し言葉が雑と言われるような、そんな関係です。
私はとても満足。

学校が終わると今日あったことを話して、ちょっと嫌な人の愚痴を言って。
それをお互いにしているのです。本当に楽しくて。

「両親」として話すのなら、今の私が私のままいられるのは、両親のおかげだと言っても過言ではありません。
アウトドア派で、キャンプが好き。彼らの好きなことを好きなようにしているだけかもしれませんが、それにいい意味で巻き込まれることが、私の人格形成に大きく関わっているのだと思います。

私の「家族」はこんな形。
そう。私はこの、人から見れば「幸せ」と形容される、そして自分もこれが「幸せ」だと形容できる形にはまり続けてきました。そして、親戚や、周りの友達の(私から見た)親子関係も、このようなものでした。


だから、今回の先輩や同期の親子関係の話は、私にとってはわからない話すぎたのです。自分を関わる「家族」という社会集団の在り方が、私と同じような形をしているということを、信じて疑わなかったから。


なんでしょう。自分がどれほど愚かな人間なのか、思い知らされましたね。
表面だけで人を判断してはいけない、誰も知らない「その人」がいる。
そんなことを、改めて実感しました。








自分は幸せだと思える環境に生まれて、やりたいことをやりたいようにできている私。
幸せをこの身をもって実感している人として、私には何ができ、何をするべきなのでしょうか。





いきなり終わってしまいましたね、すみません。
今この記事を読んでいるう貴方のこれからが、どうか幸せなものでありますように。



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