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自死遺族として どんなフォローが嬉しかったか。

私自身が人から言って・していただいて救われたことを簡単にメモしておく。身の回りに自死遺族の方がおり、打ち明けられたものの何かしてあげたいけど、どうしたらいいかわからない。という方にも読んでいただけたらと思うので、書いておきます。

大前提として、ここに書くことはあくまでも個人的な感覚なので、すべての人に当てはまるものでは決してない。こういう例もあるのだなという程度に捉えていただけたらと思う。自死ってこうなんでしょ、とラベリングせず、まずは目の前の相手を静かに受け入れ、話を聞くことが第一歩であることを忘れないでいただけるとめっちゃ助かる。

「救われたんだねぇ」
信頼している友人に話した後の、第一声がこれだった。ありきたりな言葉のようだけど、あまり自分では父の死についてそのように捉えられていなかったので、
ああ、確かに父にとってはそうなのかもしれないな。と、すっと心に入った一言だった。私の話を静かに全て聞いてくれた後の一言だったことも大きいと思う。

・自身の似た体験を差し出す
上記とは別の友人に話した際、その人は「それと対価になるとは言えないかもしれないけれど」と前置きして、ご自身の父について話をしてくれた。(子どもの頃、父親が荒れて大変だった過去があったそうだ)
その人の経験した地獄と私の地獄はそれぞれ違うけれど、でもまず今この瞬間は同じ土俵で目を合わせるため、惜しげなくその過去を差し出してくれたことに驚き、助けられた。

・何も言わずにハグ
極論、何を言っても目の前の人を芯から理解し、救うことは不可能だ。その代わりにとにかく私はあなたに寄り添う、味方でいるということを目一杯に表せるのは非言語コミュニケーションなんだなあ、と心から思う。

・ごはんをつくる / 一緒に食べる
上記のハグと近いと思う。親族が家にやってきて、淡々と料理をつくってくれ、みんなで食べたこと。友人が予期しないタイミングで飲みに誘ってくれたこと。そこで何か具体的な言葉があったわけではないけど、ただ一緒にあたたかいものを食べただけで不思議と気持ちが楽になる。ありがたい時間だった。

・「じゃあ、死ぬ時は連絡してくださいね〜」
ふと、「漠然と死にたさみたいなのはあるっスよねー」とぼやいた際、知り合いに言われた。ちょっと笑ってしまったが、死ぬなんてダメだ!と言われるよりも何故か楽になった一言だった。

私の印象に強く残っているのは上記5つで、いずれにも共通するのは、無理に言葉を尽くそうとせず、ただ聞き、ただ隣に居る姿勢、ということだと思う。

自死直後の遺族は当人自身、何も気持ちが整理できていないカオスの中にいる。しかも前後どころか過去も未来もマジで何も見えない小せえ真っ暗でドロドロな箱を頭に被ってる感じ。どんな状況だとしても私は側にいるよ、ということが相手に伝わりさえすれば、あなたのそのスタンスそのものが頭の箱に開くちいさな穴になり、光になり、少しずつ視界が広くなっていくのではないかと思う。


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