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身のまわりのデザイン その③:ナッジ効果

 家電量販店とか、ホームセンターとかに行ったりすると、ついつい長居して余計なものを買ってしまいそうになりませんか。

 どうも、居酒屋さんで使うビールジョッキが欲しくてたまらない私です。

 先日、私がうちの(というかお父さんの)キーボードを破壊してしまったので、地元の大きな電気屋さんに買い物に来ました。
 いつまでも吟味していたい誘惑を振り払いつつ、お目当てのキーボード売り場に直行します。買うべきものは「壊したものとほぼ同じ形のもの」。しかし、目の端に映る『店長オススメ!』の文字が気になります。手にとって見てみると、ずいぶんといいお値段です。いったい何をもってオススメなのか、その理由まで書いておいてくれれば、納得することも見切りもつけることもできようものなのですが、ひたすらに「店長オススメ!」を連呼しているばかりでいまいちその売り文句に乗ることができません。
 首尾よく目的のものを見つけ、お会計をしているときに(たしかあれは最近知った「ナッジ効果」をもたらす手法のひとつ……でもあまり効果的じゃあなかったなぁ)とぼんやりと考えていました。


■ナッジ効果 

 ナッジ=Nudgeとは、英語で「つつく」「小突く」、転じて「行動を促す」という意味があり、ナッジ効果とは「人々の行動や意思決定を特定の結果に導きやすくする効果」を意味します。強制でもなく、要請でもなく、取引でもない「ナッジ」とは、あくまで選択権を──自由を選択者の側に残しつつ、こちらの意図したような選択をしてもらう、ということです。それを可能にするのは、ヒトという動物の思考の癖、いわば心の習性を利用することにほかなりません。

 ナッジ概念は、シカゴ大学のアメリカ人学者2人、行動経済学者リチャード・セイラーと法学者キャス・サンスティーンによる、2008年の著書『Nudge: Improving Decisions About Health, Wealth, and Happiness』において広められた。これは集団あるいは個人の行動と意思決定に影響を与える途として、陽性強化(positive reinforcement)と風諭(indirect suggestion, 他の事にかこつけてそれとなく遠回しにさとすこと)を提案する。

wikipediaより抜粋 

 そうです、比較的新しい理論なのです。そしてこの理論にもとづいた手法のいくつかは、おどろくほど私たちの身のまわりにあふれています。代表的なところをフォーカスしていきましょう。


■ナッジの種類

・デフォルト型
 デフォルトとは、初期設定、標準の状態といった意味の言葉です。選択肢が提示された時、最初からメールマガジン購読のチェックボックスにチェックが入っていたり、メニューの1ページ目がサラダ類であったり、格闘ゲームのキャラクター選択画面で主人公っぽいキャラにカーソルが合っていたり、などということを思い浮かべればわかりやすいと思います。デフォルト型の共通点は、選択肢を変える時に「変更する」という心理状態にすることにあると言えます。自分で選んだものではないにもかかわらず──あるいは自分で選んだものではないからこそ──「変更する」という行為になんらかの心理的ブレーキがかかることを狙っているのです。私はよくチェックボックスのチェックをはずすのを(めんどくさい……)と思ってしまいますので、まさにデフォルト型に誘導されているということになります。

・フィードバック型
 ある行動に対して特定の反応・応答を示すことで、行動そのものをコントロールすることが目的です。入力フォームでは指定された数値を入れないと弾かれる、ということを体験すれば、次に似たような入力フォームを目にした時に過去に入力した数値を試してみるといったようなことや、子供がどのような行動や言動を取ると親が怒るのかを見て学習することもフィードバック型ナッジであると言えます。また、フィードバック型は自分で自分にかけるナッジでもあります。

・インセンティブ型
 インセンティブとは元来「誘因」「鼓舞すること」を意味する語ですけれども、ビジネス用語として用いられる場合には「やる気を起こさせる報酬」に近い意味を持ちます。つまり「やったほうが得だな」もしくは「やらないと損だな」と思わせるナッジということです。インセンティブ型ナッジはインセンティブと違い、明確な報酬があるわけではありません。『購入者の90%が満足と回答!』などの文言で売上が上がったり、『LED電球は蛍光灯に比べて省エネで長持ち!長い目で見ればお得!』という広報で売上が上がったりしても、ナッジそのものでなんらかの損得が発生したりはしないのが特徴です。

・ピックアップ型
 冒頭の電気屋さんで私が遭遇したのがこれです。多くの中から何かを選ぶ場合、あまりにも選択肢が多いとそれだけで疲れてしまうことってありませんか?そんな時は「今日のおすすめランチ」みたいに、おすすめの商品をピックアップしてくれているととても助かります(もちろん個人的にはなぜおすすめなのかの理由もつけてほしいのですけど)。また、売る側にとっても、推したい商品がある場合はそれをピックアップすることによって目立たせ、手にとってもらう確率を上げることができます。広く考えればレストランのメニューも、ジャンルごとに分けて表示することによってそれぞれをピックアップしていると言えます。多くの選択肢の段階化・構造化、わかりづらい選択肢の可視化を促すのがピックアップ型ナッジの特徴です。

・仕掛け型
 個人的におもしろいな、と感じるナッジがいっぱいの型、それが仕掛け型です。仕掛け型の特徴は、仕掛ける側の意図と、仕掛けられた側の意思が一致しないにもかかわらず、仕掛ける側の思惑通りに事が運ぶところにあります。おそらく最も有名な仕掛け型ナッジの例として、オランダはアムステルダムのスキポール空港にある、小バエのイラストを描いた男性用小便器があります。空港はきれいに使ってもらって清掃にかかる経費を削減したい。でも用を足す人は、そんなことを考えもしない。的があるから、当てたくなる。ただそれだけです。それだけなのですが、とても効果があるそうです。私が一番目にする仕掛け型ナッジは、駅の階段に書かれている消費カロリー値ですね。

・モラル型
 社会規範や道徳心、罪悪感、憐憫の情などに訴えかけるタイプのナッジです。「住民のほとんどが税金を納めています」という文言で納税率を上げるのは、自分だけが社会の規範からはずれているという意識を持たせるナッジですし、犬のおしっこが集中してしまう街角にミニサイズの鳥居を立てると被害が激減するというのは罪悪感を呼び起こすナッジです。

・ネガポジ型
 本質は同じでも、言い方を変えるだけでがらりと印象が変わることって多いですよね。例えば、新型コロナウィルスの治療薬ができたとしましょう。「その薬で1000人の内700人にめざましい治療効果が現れた」と言うのと、「その薬は1000人の内300人には効かなかった」と言うのとでは、だいぶ印象が変わってくると思いませんか。スポーツの勝敗を報じる場合でも、「AチームはBチームに圧勝した」と言うのと「BチームはAチーム相手に敢闘したが大差で敗れた」と言うのとでは、違いますよね。このように、言い換えによって効果を発揮するナッジがネガポジ型です。

・ラベリング型
 びんにラベルを貼るように、人や物に対して決めつけるような文言を与えて心理的にコントロールするのがラベリング型ナッジです。公共の施設では公衆トイレに「いつもきれいに使っていただきありがとうございます」という文言を貼り付けておくことが有名ですね。性善説とかそういったものではなく、相手に「善人」というレッテル貼りをすることで、心理的なブレーキをかけるのが目的のナッジです。


■ナッジ効果の危険性

 このようにいろいろな種類があるナッジですが、共通するのは、やり方や言い方、書き方といったものに工夫をすることくらいで、大規模な設備投資や大幅な規範の改変などを伴わないことです。
 アイデアさえあればかんたんにできて、大きな効果を挙げることができるので、近年ではナッジ効果をビジネスや政策に取り入れることも増えてきました。もちろん学校教育や、育児にも気軽に応用できる点も見逃せません。

 しかし、長所は裏を返せば短所。

 かんたんにできるがゆえに、悪用もまたかんたんにできてしまうのです。デフォルト型を悪用すれば、「無料お試し期間終了後、有料サービスへ自動移行」というチェックボックスをまぎれこませることは容易ですし、
フィードバック型を悪用すれば、DVのように人を恐怖と暴力で支配下に置くことすら可能になります。
インセンティブ型を悪用してそもそも価値が低いか全く無いものを高級品に見せかけて購買欲をあおったり、
ピックアップ型を悪用して特定の人や物に日の目が当たらないようにして正当な競争を阻害したりもできますし、
モラル型を反転させれば「他人の自転車のかごにゴミを入れておけば早晩そのかごはゴミでいっぱいになる」という効果をもたらすでしょう。
ネガポジ型の悪用は新聞やテレビなどのマスメディアによる言い換え・切り貼りを見ていればいやというほど出てきますし、
ラベリング型の最も代表的かつ根深い悪用──「男の子らしく、女の子らしく」という呪縛に苦しめられている人は数多いはずです。

 最小の力で最大の効果を発揮させるのがナッジの醍醐味ではありますけれども、それをどのような目的で用いるのかは、使う人や組織次第ということになります。悪意をもってナッジをしかけてくる相手は、ちゃんと見破れるようにしたいものですね。


■終わりに

 リュックからはみ出す長さのキーボードを前抱えにして、私は「店長オススメ!」のことはすっかり忘れ、(自分が選んだこれもなんらかのナッジ効果によるものなのだろうか?)と考えていました。
 いまや世界は人の意思、意図が介在したデザインにあふれています。好むと好まざるとにかかわらず、私たちはその中で暮らし、それらに触れて生きてゆくのです。
 ユニバーサルデザイン、アフォーダンス理論、ナッジ効果、それらのすべてが、誰かが誰かを思っているがためのものでありますように。悪用などされず、みんながみんなに優しくなれる世界の支柱でありますように。
 そんなことを思いながら、帰りのバスに乗り込みました。


 今回で「身のまわりのデザイン」シリーズはいったんおしまいとなります。長い間おつきあいいただき、ありがとうございました。

 それでは、ごきげんよう。


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