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感情の位相

──禁酒2日目の酎愛零がリアルやネットでの人間関係構築について考えるお話──


 げに理解し難きは、人の心なるもの。


 どうも、禁酒2日目の私です。幸いにというかなんというか、悲しいくらいお酒に未練がわきません。豆乳ウマーーー( ゚д゚)


 さて、唐突ですが、リアル、ネットを問わず、人と人とが関わって、つながりを築いていくには何が必要でしょうか。

 私は、それは感情の位相だと考えています。

 感情の位相とは、ひとりの人間が持っているあらゆる感情の、それぞれの向きのようなものです。
 考え方の相違は、外界から与えられた情報をどのような位相をもって受け止めるかに因り、またその感情の位相は必ずしも定まった連続性を持ちません。
何を好み、
何に喜び、
何に傷つき、
何に怒り、
何を悲しみ、
何を哀れみ、
何を楽しみ、
何を憎むか。
 その他もろもろの感情は非連続性をもって人間の心を構成し、その時々によって異なる局面を他者に見せています。つながりを構築するにあたってはこの感情の位相が合う人を選別するのが初手となり、これは言葉にせずともすべての人間が「この人とは気が合う(感情の位相が合う)」という判断を無意識のうちに決定していることを示しています。その上で、喋り方(書き方)、立ち居振る舞い、身だしなみなど、二次的な要素が判断材料に挙がることとなるのです。この逆は、なかなか成り立たないのではないでしょうか。

 人間関係を構築する難しさは、ある局面における感情の位相に相手と自分の一致を見たとしても、違う局面においてはそうでなかったり、あるいは全く真逆の位相であることがその原因として挙げられます。同じものを見て楽しんでも、同じものを見て怒るとは限らない、ということです。
 普段仲良くしている相手がかいま見せた全く異なる位相を感じ取ると、人は様々な感情に襲われます。驚き、意外、歓迎、好奇心、落胆、裏切り、悲しみ、疎外感、怒りや憎しみさえ覚えるかもしれません。
 これらの感情は全て、自分と同じような位相の局面を見て仲良くなれると思って近づき、関係性を構築する途中で現れることがほとんどで、仲良しであれ敵対関係であれ、お互いをある程度知った関係になると相対的に発生率は下落します。よく言う「嬉しい誤算だった」「見損なった」「見くびっていた」「買いかぶっていた」はこれに該当します。
 これがプラスに働くと人間関係の構築速度は加速しますが、マイナスに働くと構築速度は鈍化し、距離を置くようになり、場合によっては関係が消滅したりします。
 なにやら大仰に書いていますけれども、このやりとりは(意識下にせよ無意識下にせよ)日常的に私たちが行っている処理であり、普段は気にも留めていないことです。気にも留めていないこの処理=人間関係で悩むということは、自分と他人の感情の位相の違いを意識のかなり表層で認知しているということに他ならず、自分の想像した相手の位相──自分に都合良く解釈した相手の位相と、現実の相手の位相とに大きな差があるということであり、関係の深化をはかるにあたってその差(多くの場合どうすることもできない差)は厳然として立ちはだかって悩みや苦しみの元になります。

 人間は多面体のようなもので、ある局面が一致しているからといって、他の全ての局面まで一致すると考えるのは希望的観測がすぎるというものでしょう。そもそも感情の位相が複数一致することなどめったにありません。正二十面体で例えるならだいたいひとつかふたつ。三つあれば御の字で、四つ以上の位相が一致すればそれはもう運命の相手と言って良いでしよう。
 あの人のあれは同意できるけど、これはなんとも思わない。それは同意できない、もしくは否定する。それが普通です。好きなあの人の言うことだからと、自分の感情を押し殺して、無理やり相手の全てを肯定し、自分の思いを否定してしまうのは危険です。どのような関係性であれ、一致する位相を無理に探そうとするよりも、一致しなくて当たり前、と思っておくほうが、精神衛生上は良いと思います。

 少し逸れますが、無償の愛や尊敬と呼ばれるものも同じです。必要なのは盲目的な全肯定ではなく、その人物が持つ様々な局面への観察及び理解です。極端な話、我が子が生き物を無為に殺すことに喜びを覚える局面を持っていたなら、それは社会に合わせて矯正しなければならず、尊敬する上司がセクハラを行っていたり、恩師が度を超えた体罰を行っていたりしたら、それも組織の規律に合わせて矯正されなければなりません。

 真に健全な人間関係を築くには、感情の位相の共通点を見つけるだけではなく、異なる位相を見つけたときにどのような対応を取るかが鍵になります。
 自分とは異なるが、特に気にはならないから(大して関心が無いから)何もアクションしないのか。
 自分とは異なるので、それを表明(指摘)するのか。
 自分とは異なるし、理解も納得もできず不快だから関係構築を止めるのか。
 デジタルに振り分けができればこんなに楽なことはありませんが、実際はそうもいかないですしね。

 私自身で言えば、華奢でおとなしそうな外見から、おとなしくて押しの弱そうな性格だと予想され、同じような性格を持つ人が周りに集まって来やすい傾向にあります。しかし、実際は怒りと憎しみを原動力とし、人生に立ちはだかる障害は正面からでも奇策ででも粉砕しにかかり、誹謗中傷されれば即座に心のくぎバットを握りしめて二度とそんな口がきけないようにしてやる、と考えるような性格です。
 これを目の当たりにすると、彼ら彼女らが想像していた私の位相の、その想像とのあまりの乖離っぷりに、ほとんどの人がどん引きします。例えるなら、怒鳴られたら身をちぢこまらせてやりすごし、後から仲良しのみんなで『こわかったねー』『ねー』となぐさめあうような、そんな生き物だと思っていたら、実は猛毒のある牙と爪と針と棘を持っていて、相手が動かなくなるまで執拗に攻撃を続ける小さな猛獣だった……ということになるでしょうか。

 そんな人間関係の構築は、note上、と言いますかネット上ではさらに困難になります。生身の人間なら、発言以外にも行動や振る舞いなどから、その人がどのような感情の位相を持っているか推し量ることができますが、ほぼ文字情報、しかも時間をかけて修飾し、じゅうぶんに吟味された文字情報しかないやりとりでは、その人の生の感情の位相を推量することは難しいでしょう。
 しかも中には自分の中の限られた位相しか出さず、イメージを固定する向きもあります。これが良い悪いかは置いておいて、イメージ戦略としてはありでしょう。マンガのキャラクターのように裏表の無い分かりやすいイメージは広く万人に受け入れられやすいからです。
 逆に言えば、多くの人と広く浅くの関係を築きたいなら、感情の位相は少なく露出する方がいい、ということになります(もちろん露出する位相がニッチなものでないことが条件になりますが)。

 注意しなければならないのはふたつ。
 まず、相手が自分の想像どおりに振る舞わなかったことに対して、文句を言ってはいけません。それは相手の位相を勝手に想像して勝手に裏切られた(と感じた)自分自身の責任であり、相手になんら非はありません。
 次に、相手との距離を縮めようと思うあまり、相手が表に出したくない──限られた人にしか見せたくない位相を見せるように迫ることはやめましょう。引かれるのはもちろん、なんらかのハラスメントと受け取られるのがオチです。
 これらは実は日常茶飯に起きています。「想像と違った」「あの子には見せてくれるのに自分には見せてくれない」という落胆や不満、あるいは嫉妬心といったものには誰しも覚えがあるはずです(私もそうです)。
 前者は自分の妄想もしくは観察不足が招いたことに過ぎず、後者は信頼が合格ラインに届かないのに突っ込み過ぎた結果です。リアルでもネットでも、これらふたつの行為は厳に慎むべきでしょう。

 もちろん、人間関係の構築はこれだけで語れるものではありません。百点満点で失敗しない人づきあいのできる人間など、おそらくこの世に存在しないでしょう。きっと死ぬまで試行錯誤を続けるか、どこかで妥協点を見つけるかするのでしょうね。私はnoteに人間関係を作る目的で来たわけではありませんけれど、そんな私でも、最期の時は、良き人々に出会えたと笑って逝きたいと思います。



 今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 それでは、ごきげんよう。

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