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【愛されたいって言えなかった】第4回「リアリティショーを去っていったすべての背中に幸福よ降れ」

「愛されたい」をテーマにお送りしている戸田真琴の連載第4回。毎月、さまざまな角度からテーマについて掘り下げていく予定です。何かの要因で表になかなか出ることのなかった「愛されたさ」を発掘したり、誰かの愛されたさについて考えてみたり、私たちの人生を真綿で締めるようにじわじわと縛っているあの「誰かに(自分が望むやり方で / 満足に / 濁りなく)愛されたーい!」というほぼ実現不可能な巨大願望についてみなさんと考えていけたらと思っています。愛されたかったエピソードも募集したりする時もあるかもしれません。愛されたい!と一度でも思ったことのあるあなた、ぜひお付き合いいただけますと幸いです。

前回の記事はこちら↓

第4回「リアリティショーを去っていったすべての背中に幸福よ降れ」

 今日も叶わぬ愛の理想に悶え苦しむみなさん、お元気ですか?戸田真琴です。
「愛されたい」という感情について考えていくこの連載、第4回の今回はみなさんもついやってしまったことがあるだろうあの行動について考えつつ、年末年始にかけて話題になったある番組の感想を書いていきたいと思います。

 皆さんは、「愛されているかどうか」を、故意に確認しようとしたことはありますか?
 「私 / 僕のこと好き?」「私 / 僕のこと、信じてる?」……言葉で尋ねることはもちろん、ときにはわざと嫉妬させたり、怒らせるようなことをしたりして、相手の回答や出方を見る試し行動に出てしまうこともあると思います。冴え渡った真実のコミュニケーションの上では、愛情の有無は感じ取るもので、わざと試したり確認を繰り返すことをやり過ぎるのは健康的な行為ではないこともわかりきっているのですが、人は傷つくことや失うことを恐れるあまり、ある種の鋭さやおおらかさを失い、「目に見えるもの」や「確かな行動」を求めてしまうことも少なくありません。愛は本来目には見えず、言語化することも限りなく不可能なものであるのにもかかわらず、です。

 私はふだん、あまり周りの人から恋愛相談をうけるタイプではありません。飯田エリカさんとやっているPodcast番組などでも公言しているとおり、一般的な恋愛感覚が希薄で、相談の尺度に合わせた回答をすることがあまり得意ではないことをきっと周りの人も察しているのだろうと思います。学生時代からそうでしたが、周囲の恋愛関係の話を耳にすること自体がとても少なく、かなり大人になるまで、いやもしかしたら今も、みんながどういう恋愛をして生きているのかうまく掴みきれていないのです。

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バチェロレッテという衝撃体験


 そんな私に未知の世界を覗き込ませてくれるのが、恋愛リアリティショーでした。やはり他人のプライベートを覗き見しているようでどこか罪悪感があるのもあって、あまりのめりこんでハマることはなかったのですが、周囲の影響で『テラスハウス』シリーズなどをぽつりぽつりと見るようになっていた矢先、2020年に放送された『バチェロレッテ・ジャパン』という作品にかなり夢中になりました。ひとりの “ハイスペック男性”をめぐって複数の女性が参加する『バチェラー』シリーズの男女逆転版で、福田萌子さんというモデル・タレント・スポーツトラベラーという肩書きを持つ女性が複数の男性たちのなかから結婚相手を探すという趣旨の番組です。それまでリアリティショーをどこか「俗っぽい男女のいざこざを観察することができる番組」として観ているところがあった私でしたが(こうして文字にするとめちゃくちゃ斜に構えてますね……。)萌子さんと参加男性たちの織りなすドラマは恋愛とは別の意味で凄まじく、どこか高尚な輝きさえも放っていました。

 というのも、萌子さん自身の知性・感覚の鋭さ・そして勇敢さが常人のそれとはまるでレベルが違っていて、彼女の人間としての気高さによって参加男性たちの虚飾や嘘や薄っぺらさがどんどんと暴かれていってしまったのです。萌子さんはあまりに正しく、参加メンバーの中からスペックの高低からでもアピール力の強弱からでもなく、“誠実でない人”や“ここにいるべきではない人”をどんどんと見抜いて脱落させていきます。はじめこそ直感がものを言っていたように見えますが、対話を重ねるほどに相手男性たちの心の奥底をするどく見抜いて、そこに抱えられた弱さや苦しみを認め、暖かい眼差しを向け、そして浄化するように向き合っていきました。その様子はさながら萌子先生と◯人の生徒たち……あるいは、怨霊になりかけていたゴーストを優しく成仏させてあげる高貴なエクソシストのようにさえ見えました。最終的な選択までも、番組としての面白さよりも人間としての尊厳と正しさを選び抜いた衝撃の結果になりました。『バチェロレッテ・ジャパン』は福田萌子さんのあまりの魂の美しさによって、恋愛リアリティー番組を超えた魂の浄化ストーリーとなったのでした。


バチェラー4では個性は余計?


 そんなバチェロレッテで最終の2名にまで残ったにもかかわらず、あの萌子さんを前にしても自分の心を晒しきれずに終わった印象だった実業家の黄皓さんが、今度はバチェラーになって旅に挑む、というのが昨年末に配信された『バチェラー・ジャパン シーズン4』でした。黄皓さんは中国と日本にルーツを持つ実業家で、過去のバチェラーたちとも元から友達同士であるというまさに“ハイスペック”と呼ばれる類の男性。『バチェロレッテ』放送時にも話題になり、視聴者からとても注目されていました。私が視聴した際の印象では、周りに対して一線を引いて「自分はこいつらとは違う」と思い続けようとしているような、どこか自分の魅力を信じきれていないところがある人のように見えるな、と勝手ながら思っていました。

 黄皓さんがバチェラーだと知らされずに集まった参加女性たちは、本当に魅力的な人ばかりで、先日『あざとくて何が悪いの?』にも出演を果たした“あざとパン講師”の休井美郷さんや恋愛経験ゼロのアニメ会社勤務白川理桜さん、意志の強くて聡明な医師・坂入みずきさん、社会学者の松本妃奈子さんなど個性的な女性がたくさん参加されていました。
 そのメンバープロフィールなどを見ながら、今回は絶対おもしろくなるぞ……と思っていたのですが、第3話くらいまで見たところで段々と雲行きが怪しくなってきました。映像内で女性たちの魅力的な個性が明らかになっていくのに対して、黄皓さんはそれをあまり掘り下げようとしません。すっかり参加女性たちのことを好きになっている私としては、社会学者の松本さんがどんな思いを持ってこの催しに参加しているのかとか、医師の坂入さんは恋ってどういうものだと分析しているのかとか、白川さんの二次元の推したちはどんなタイプが多いのかとか、そういう、素敵な個性のお話をもっと聞きたい……!という気持ちを抑えきれていなかったのですが、そこで交わされる質問、そして出来事のほとんどは、「黄皓さんにとってこの女性は伴侶として魅力を感じるか」ということの確認作業に費やされました。


 わかりやすいところで言うと、途中参加した実業家の木下マリアさんとの対話で、仕事の話をしようとする彼女に対し、ここで仕事の話をするのは違う、と感じてたった1話のうちに彼女を脱落させてしまったのです。これは黄皓さんにとって「結婚相手」とは仕事の話はしたくない(仕事とは離れたところでプライベートの支えになってほしい)という意思が頑なであることの表れでした。そういう視点が回を追うごとに強固に示されていく過程で、いや、本来の番組の趣旨としてはあっているんだけど、こんなに面白そうな人たちに対して恋愛的な観点でしか物差しを向けないのって、なんだかすごくもったいない……!という気がしてしまい、私は心底むずむずしてしまいました。

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