「36」
何度やってもわからない算数の文章問題に、
先生も親も「なんでこれくらいのことが分からないのか!情けない」と嘆いた。私はそれを黙って聞くことしかできない子供だった。今思い返しても、できない子供に、風当たりが強い時代だったと思う。
その日も、やっぱり文章問題が分からなくて、「✔」をたくさんつけられて持ち帰ったプリント。明日までに直して提出しなければならなかった。親にもそっぽむかれ、どうしようもなくて、泣きそうになりながらお兄ちゃんの部屋をノックした。
お兄ちゃんは小学校で成績がトップの「秀才」と言われていた。それはお兄ちゃんが出す結果に対して大人が勝手に言ってただけで、おにいちゃん自身はつまらない授業にイラつくこともたびたびだった。私はいつもお兄ちゃんが勉強しているので、普段は部屋に近寄らないようにしていた。
「お兄ちゃん、教えて。わからん」
お兄ちゃんは私から受け取った✔だらけのプリントをじっと見た。
少しして、「なんでこう思ったの?Y子がなんでこの答えが36と思ったか知りたい、教えて」と聞いてきた。私は驚いた。今まで✔に対して、間違えてることに対して、「なぜ」と聴いてくれる人なんていなかったから。私は一生懸命伝えた。なんで答えが「36」だと思ったのか。100%間違っている、その「36」の理由を。
お兄ちゃんはだまって聞いていた。そして、私を見てこういった。
「Y子、おまえはすごいなあ」 その言葉に一瞬戸惑った。
「なんで?だって間違ってるんやろ?こたえ」
「いや、僕はこの問題を読んで、そんな風には考えなかったし、思い浮かばなかった。Y子、おまえはすごい。すごいなあ・・・」
初めてだった。誰が考えても、正しい答えは「36」じゃなかった。なのに、お兄ちゃんはその答えの「理由」を聴いてくれた、そして、私の必死の説明を、心からほめてくれた。
「もうひとつ、こんな方法があるんやけど・・・」そう言って、お兄ちゃんは正しい答えを導き出す方法を遠慮がちに教えてくれた。
お兄ちゃんは、そんな人だった。
最近婚活にいきづまっていた私に、80歳を過ぎた母が、「Y子、いつまでもお兄ちゃんみたいな人を探しても無理よ、お兄ちゃんみたいな人はおらんよ」と私に言った。
「うん」
小さな写真の中のお兄ちゃんよりも、もう16歳も年上になった。これまでの自分は生き方が下手だったかもしれない、市場価値では「負け組」かもしれない。
だけどいい。私はお兄ちゃんの妹だったんだから。
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