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「病院」という場所。

 
 
ども!ふじいさん。です。
昨日、病院に行ってて思ったことをつらつら綴りたいと思います。

ちな、私が病院に行ったのは、過去の病歴から、体の様子が大丈夫か、診てもらうためで、特に問題はなかったです。

(画像は「病院」と打って、出てきたものを引用。
サイト:https://yakujihou-marketing.net/archives/1836)
 
 
 
 
 
 
 
気付くと、
スマホの電波が入りにくかった。
 
少しイライラしたが、はたと気付いた。

 
 
ここは生死が溢れている場所。
ここは生死が混在している場所。
 
  
いのちが産まれ、おわりが訪う場所。
生は平等じゃないけど、死は平等にやってくる場所。
 
 
大なり小なり、病を抱えた人たちが、これからも生きるために、医者の元を訪れる。
 
医者が手を尽くしても、家族がどんなに望んでも、この世を手放してしまう人がいる。不幸にも、手放さざるをえない人もいる。
 
 

そんな場所だから、
スマホの電波は入りにくかったのだろうか。
 
仮に、病院に置かれている機械のせいだったとしても、こう思い込むことは悪くないと思う。
 
目の前に、そばに、大切な、守りたい人がいるのに、どうしてスマホを見つめなきゃいけないのか。
 
そんなにスマホに大事な用が詰まっているのか。
勤務先・取引先やバイト先から電話でも来たら、話は別だけれども。1人で病院にいるときも別だけれども。
 
 
あくせく働く、医者と看護師と看護助手と技師と事務員と、病院で働くすべての人に、敬意を称し、感謝して。
 
私たちは、自分を、身近な大切な人を思って、今日も生きていこう。
 
 
 
 
 
昨日思ってたことに加えて、今書いてて出てきた想いも書き足しました。
 
 
やっぱり忘れがちですよ、身近な人ほど大切にしないといけないのに。

私は感謝を言いたくてたまらない人がいるのに、私の活躍を間近で見てほしかったのに、私のこれからの生活も支えてほしかったのに、急に消えてしまった。
 
これは人間に与えられた宿命的試練なんでしょうかね。
何度もこの世に産まれても、大切な人ほど傷つけ、感謝を示せず照れ隠しして、いなくなったら、大切さに気づき、悲しみの海に溺れる、という試練。
 
 
 
今回の記事はここまで。
 
では。
 
 
 
 

 

 

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