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写真を残すこととは

 

こんにちは、ふじいさん。です。

 

みなさんは写真を撮るのが好きですか?

私は好きです。大好きでした。

 

 

ひとはなぜ写真を撮るのか、残すのか。

私情を交えながら、私の考えを書き連ねます。

 

 

 

私が写真に興味を持ったのは、父親がよく写真を撮ったりビデオカメラで撮影していたからかもしれません。

 

 
そして、おそらく中学生になったとき、父は新しいデジタルカメラを買ったので、もともと持っていたものを私にくれました。
 

なぜ私にくれたのかは忘れてしまいました…笑

 

 

私が大学生になるまで、毎年の夏、家族で旅行に出掛けていたので、毎回持ち歩いて写真を撮ってました。

 

なんたって「思い出」ですから。

「思い出」を残したいから。
 
 

私にとって他の都道府県の景色は、「非日常」だったのです。

 

とはいえ、その当時の私は帰ってから振り返ることはしませんでしたが。
 

理由はないです。
撮って満足だったのかもしれません。笑

 
 

いつからか「映える」写真を撮ることにシフトしていきました。

 

それに拍車がかかったのは大学生になってからです。

 

入学してすぐ、広報局という、大学広報の学内版のような委員会に入りました。

 

決め手はもちろん「写真が撮る」活動があったからです。
 
また、ほかの活動内容も難しくはなく、楽しそうだし、私でもできると思い、懇親会を経て、入局しました。

 

その写真を撮る活動とは、文化祭などの学内のイベントごとの写真を撮る、ということです。
 

記録として残すために、イベントが近づくたびに出席できるか聞かれます。

 

私はほぼ参加しました。
 
 

1年目は大学の雰囲気を知るためにという感じでしたが、2年目からは楽しい雰囲気に包まれたいのもあって、ほぼ参加していました。
 

ちなみに、使用するカメラはすべて一眼レフだったので、先輩からやり方を教わりました。

 
 

(おそらく)2年生になってからは、建物外での撮影では、カメラを地面スレスレまで下げ、奥行きがあるような写真を撮ったり、思いきり背伸びをして俯瞰しているような写真を撮ったりと変にオリジナリティを発揮させていました。

 

それはプライベートでも現れていて。

 

スマホのカメラは上にあるので、逆さまにしたほうが撮りやすいときがあります。

そのときは逆さまにして撮ったり、アプリで加工してインスタに投稿したりと、「映え」に情熱を注ぎました笑

 

そのくらい、写真を撮ることが好きでした。

 

 

私はなぜそこまで情熱を注げたのか

 

今になって考えてみようと思いました。

 

 

(書いといて公開しないなんてないでしょと、自分を追い込ませるため、まだ途中ですが公開に踏み切った/11月21日)

 

 

今思うと、楽しかったんです。
 

カメラの性能だとしてもキレイに撮れた、
 
うまく背景がボケた、
 
俯瞰的だったり仰望的だったり。
 

 
夢中になってたときは、自分の心を動かしたものならば日常のささいな景色ですら、写真を撮っていました。

 
そしてそれをInstagramに載せていました。
 
 
いいね欲しさも多少理由に入りますが、
思いつく理由はただそれだけです。
 

とはいえ、それは私個人の理由。
 
 
 
そもそもひとはなぜ写真を残すのか。
 
 
 
歩んできた道のりを
あとで振り返ることができるように。
 
出来事を思い出す手がかりになるように。
 
感動的な瞬間を忘れないように。
 

 
ひとえに「忘れたくない」というのもあり、ひとの記憶は年齢とともにあいまいになりやすいので、確固たる物証の役割も果たせます。
 
 
だから、「残す」んだと思います。
 
 
 
 
私は最近写真を撮ることが少なくなりました。
 
しかし、大切な瞬間を、ささいな瞬間を忘れないためにも、また写真を撮っていくことにします。
 
 

  

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