天皇制と神道に対する疑問に関するメモ

あやのんさんの記事に書き込んだコメントを元に、自分の考への覚え書きをつくっておきます。
天皇制神道に対する疑問、
この問題は、今後、掘り下げたい。

わたしは弥生から天皇制確立の時期が気になってます。
出雲神話にもあるやうに、天皇勢力が列島古来の勢力を追ひ払って、
いはゆる大和政権を確立したのだとしたら、
そのときまでに長くて断続的な各地の戦争が起きてないのが不思議です。

個人的には、縄文時代に戦争の痕跡が無いのより不思議なんです。
って書きながら、ちょっと心配になって来たわ。
わたしが知らないだけで、大和政権確立の前後の「戦争」規模の戦闘の遺骨や遺跡ってあるんですかね?




「日本には国譲りの神話がありますよね。戦わないで譲ったのでは?」
といふご指摘に対して。

譲ったら、ふつうは、その後、何かと機会をとらへられて滅ぼされると思ふのですが。
徳川家康みたいにじわじわとであったとしても、最後は殲滅と奴隷化がふつうではないかなと思ひます。
だから、ユーラシア大陸とは異なることが起きたのだと思ひます。
天皇家が未だに出雲に礼を尽くすのは、出雲が要塞みたいなものを持って難攻不落なまま閉ぢ籠ったからかな、とか妄想したりしてます( ´艸`)

それにしても、平和的な政権の移譲の基盤は、縄文文化だったのかもしれませんね。
やはり重要なのでせうね。
縄文については、ほとんど知らないので、知る努力をします。


追伸。しつこいわね( ´艸`)

縄文も看過できないですが、
わたしの関心の焦点は、やはり、大和政権成立の経緯です。

戦後日本の天皇制に嫌悪感がつのるにつれて、そのことから、西郷たち薩長が西洋の立憲君主制の体裁を取りながら自分たちが国家権力を握れる体制を造るために利用したのが天皇制だと思ふやになりました。
天皇もエライ迷惑。西郷たちって利用できないのは殺すし、利用するときは現人神に祭り上げて国民を信者するし、めちゃくちゃ。日本を新・宗教国家にしてしまった。それが大東亜戦争に負けるまでの日本だと思ひます。

さうして、そもそも天皇制って何なんだと日本書紀や古事記のころの歴史に目を向けるやうになると、天皇制そのものに疑問を感じるやうにもなりました。
(「天皇制」って共産主義の用語ですけどね)

天皇制に疑問を持つけど、否定する気はありません
天皇制に対する疑問は、神道にも及びます。
神道は天皇を穀物神とすることから生まれました。
神道って漢語らしいです。

漢語の「神道」が、日本書紀に用ゐられる前には神道が無かったかといふと、あったと思ひます。
山とか岩とか滝とかが崇拝の対象の信仰。
神社は「神道」と名づけられる前の神道とは関係ない、大和政権の公社、戦後日本で神社での集ひを無くすために造られた公民館と同じではないかと思ひつつあります。
現在の神社神道も否定する気はありません

でも、それは神社ビジネスであり、神道とは関係無いと思ひます。

昨日、大神神社にいき、三輪山にも登って来て、それを感じました。
あの山にはもう神はゐない。

その後、なんとなく箸墓古墳が気になって来て、妻様とふたりでいってみたところ、神々は、かういふ場所、
つまり、人が足を踏み入れられない丘陵などに避難してゐる、
と感じました。←やばい( ´艸`)

大神神社はお札とかを売る商店。
巫女姿の(たぶんバイトの女子大生かなにか)女の子が神官服の男子とけたけた談笑しながらお札を売ってました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?