死の恐怖について

幼稚園に行ってなくて、日がな一日、家の前を通る人を眺めてゐたころだから、まだ五歳になってゐなかったはずだ。
わたしは、ときたま気になるものが通るのに気づいてゐた。それは老人だった。男もゐるし、女もゐる。
それらを見た瞬間から湧いてゐた疑念が、数日もたたずみるみる膨れ上がって、わたしのからだいっぱいになるのをどうすることもできなかった。心臓が気がつくといつも少し早く打つまでになり、たまりかねて、或る日、わたしはつひに母に尋ねた。
あれはああいふ生き物で、あたしはあれにはならんやろ。
母はいやな子供だといふ顔をして、みんなああなるんやとぶっきらぼうに答へた。
あたしも、あたしも?
母は、おまへもみんな、だれでも、みんな、年をとると年寄りになるんやと言って向かふに行ってしまった。
わたしは泣き出した。大声で叫んで泣いた。怖くて怖くて、しかも、いくら泣いてもその怖さはつのるばかりの怖さに脅えた。

わたしはどういふわけか、老人とは死ぬものだとわかってゐた。だから、自分は老人とは違ふ生き物だと思ひたかったのだ。
母の表情にはわたしへの嫌悪といふより恐怖のやうなものが見えて、それも、わたしを脅えさせた。大人の母でさへ、死ぬといふことには恐れを感じてゐるのだ。やはり死とはそれほど強力な恐怖なのだとわたしは感じた。
それから死のことを思ひだすたびに発作的な恐怖が起きて、わたしは座ってゐると立ち上がり、立ってゐるとそのまま、ああーと叫びながら走り回るやうになった。小学校の教室でもたまにそれが起きたから、わたしは男子たちにキチガヒと笑はれ、女子たちには病院にいきなさいとすすめられた。先生は親に連絡したらしく、わたしの母親が、あんたは教室で走り回るのか、親に恥をかかせるやうなことをしないでと叱られた。父親には泣くまで頬を叩かれた。

フロイトの母親は、庭の地面の土くれを一つまみして、それをばらばらと落として見せて、フロイトに、人間はこれと同じだと教へたさうだ。母親を愛するフロイトは、その日から、人間は土くれと同様、ただの物質であり魂といふものはなく、死んだら何も無いと信じて母親の信念と一つにならうとし続けた。だから、フロイトはテレパシーと呼ぶしかない現象を体験してゐたが、人間の脳の中には魂といったものは無いといふ信念はまったく揺るがなかった。テレパシーは、未だに、唯物論的身体観を突き崩すものとして取り上げられるのに、フロイトにとっては、自身の精神分析の対象である脳の物理的な現象に過ぎなかった。
ユング派を名のる、何者かよくわからない人物は、商店街かどこかの人が見てゐる場所で、子供が自分の母親をすがるやうに追ひかけながら、「死んでも終はりとちゃふやろ?」と何度も言ひ、それに対して母親が、「なんも無い。死んだら終はりや」とやはり何度も言ってゐたといふ光景にであったと、その著書の中で書いてゐた。
ユングは死の直前になって脅えて動揺してゐたと高弟の一人が書いてゐるさうだ。その話は、このユング派の人が本に書いてゐた。そして、ユングと死の恐怖に関して何か書いてゐたが、どういふことだったか、もう思ひ出せない。
ユング心理学といふのは、死の恐怖を持つ人には魅力的に感じられるのかもしれない。死の恐怖に悩まされてゐる人には、ユング心理学は、身体だけでなく、人には魂といふものがあるといふことを心理学(といふ当時は科学だと思はれた学問)によって証明したやうに見えたのではないだらうか。
わたしには、残念ながら、科学によって息絶へたキリスト教を科学を装って蘇生させようとする試みとしか読めなかった。

わたしは、週に一度は恐怖の発作を起こして叫びながら走りまはわる子供だったから、中学に入るまでは、人間ならみんな死が恐ろしくてたまらないのだらうと思ってゐた。生きれば生きるほど近づいてくる死に、誰でもみんな、毎日刻々、わたしほどではないにしろ、多少は必ず脅えて生きてゐると思ってゐた。中学に入って、或る日、わたしは男子の一人に、死んだらどうなると思ふかと尋ねた。その男子は特にどうといふこともなさそうに、
「眠って夢を見ない状態と同じやろ、それが永遠に続くのや」
と答へた。
わたしは驚愕した。
そんなことを平気で言ふので、もはや、きみは死が怖くないの、と尋ねる勇気も無かった。
どうしてわたしがあれほど怖れる死を、そして死の恐怖はまさに眠ってしまって意識が無くなるといふ、自己の消滅が恐ろしいから怖いのに、あの男子はどうして死をあんなに平然と語ることができるのだらうかと驚いたのだ。
その後、わたしは折りに触れ、死についてどう思ふかを人に尋ねてきた。さうした結果、死を完全な自己消滅だと思ひつつ、そのことにまったく恐怖を感じてゐない人がゐるのは確かだとわかった。
さういふ人は、おおむね、死に関心はなく、生きることにしか興味が無かった。死について尋ねても、多くを語ることがなかった。死んだら何も無いといふことで納得してゐた。
それで、わたしは、次のやうに思ふやうになった。ことさらに死んだら何も無いとかあるとか多くを他人に語るやうな人は、実は、わたしほどではないにしろ、死ぬのが怖いのではないかと。
知の巨人と呼ばれた立花隆氏は、若い頃は死が怖くて自殺したいほどだったらしい。『臨死体験』といふ本を書いた後は、死後があるかないかはわからないが死ぬのは怖くなくなったと言ってゐた。そして、死の直前になって再び臨死体験について調査したときは、死後には何も無いと確信するやうになったと言ってゐた。そして、それをしきりに語りながら死んでいった。
死んだら何も無いといふことをわざわざ人に言ふ人は、自分が少しでも死後の生を望むのを必死で抑へこむために人に語ってゐるやうに、わたしには、見える。希望は絶望感の薪となる。死の直前で絶望するのを避けたいといふ心理なのではないかと思ったりする。
わたしが会った限りでは、死が怖くない人や、なにかの加減で怖くなくなった人は、そのことを人から問はれもしないのに、自ら人に語る、といふことはないやうだった。わたしの父親もそんな人の一人だった。
心肺停止状態のときに光のビジョンを視たなどといった臨死体験は、死後の生を渇望する者にとっては一縷の望みをつなぐ糸口であるが、臨死体験者の多くは、やはり、それを問はれもしないのに、人に語ることはあまりないやうだ。
講演などしてまはる人は、宗教の教祖と同じで、自分独りでは信じられないことを、信者をつくることで信じようとしてゐるのかもしれない。教祖になる人は、どの人も、必ずなんらかの嘘を吐(つ)いてゐる。その嘘を隠すために精力的な伝道活動が始まる。親鸞はさうした嘘を吐(つ)きたくないから、死後の世界を求める気持ちが切実だったから、親鸞教を作らなかったのだと思ふ。

怖いことに関しては、怖いからなんとかしたいといふ思ひでしか取り扱へないやうな気がする。
わたしは、死んでも魂のやうなものが残ると思ひたい。さういふことを科学的に説明してもらったり、もっとも望ましいのは科学的に証明してもらったりしてほしいのだが、さういふ研究に取り組めて、科学的に探究できるのは、死が怖くない人だろうと思ふ。
けれども、死が怖くない人は、死には関心が無く、さっきも書いたやうに、生きること、この世のこと、つまり現世のことにしか興味が無い。死後の研究などしないやうだ。

困ったことだ。
死を超えて存在する魂を、科学的に証明してほしい。
すでにわたしは、物質を超えたものがあることは信じてゐる。物質系を生みだしてゐる情報系というものは、あるとしか思へない。情報系とは、「目に見えない世界」てある。だが、それは科学的には証明できない。
わたしは科学的に証明されたものでしか、確実な安心を得られない。
魂の存在を科学的に証明☆してほしい。
年をとり、死がすっかり目前に迫ってしまったわたしの切実な願ひである。


☆科学的に証明されたといふことは、将来それがくつがへされる可能性がある仮説として一応の筋が通ったといふことにすぎない。
それでもやはり、科学的な証明が欲しい。
といふものも、わたしは科学しか信じないからだ。
死後の世界はあるなどとYouTube動画に出て言ったりしてゐるスピリチュアル系の人があまりにひどいからだ。


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