少年時代

少年時代を男としてどう振り返るのか。
わたしは、かういふ感じに近いです。

しかし学校で男子の誰かが好きになったとかそういうわけではありません。むしろ小学校のころはクラスの男子のことは嫌いでした。鼻水をたらしながら教室のいろんなところをべたべた触るし、つばも飛ばすし、プール前の着替えでは女子の前でも堂々と全裸になり女子の悲鳴を聞いて喜んでいるおバカもいた。そういった経験もあって男子って汚い生き物だと思っていました。(当時は私も同じ男子としてカテゴライズされていましたけど)

ma『男性とお付き合いしてみたかった、という話』2024年1月23日

男子には嫌悪感が強かった。男子は口も汚いし、身体も汚いといふ感じ。
汚いだけでなく、乱暴。
常に群れてボスを作って集団をなす。
ボスをいただく集団は上から下までの階層をなして、構造化します。

この構造は、ふつう、想像されるやうなピラミッドではなくて、横から見たら菱形になってる。
つまり、底辺にいくにしたがって尖っていく。
一番下に、誰からもいぢめられる子がゐる。

この構造は、子供(男子)が一定数を超えて集まると、必ずできる。

この構造が揺らぐと、集団は不安定になり、集団の動揺や歪みを止めることのできる新しいボスが求められて、争ひなどが始まります。

ともかく、男子及び男性の(一定数以上の)集団には頂点にボス、尖った底辺(低点?)にいぢめられっ子が必須。

といふことで、小学生のころはすでにオカマだったわたしは、そのいぢめられっ子候補だと自分でも思ったので、ボクシングを習ふことにしました。
父親はわたしが喧嘩に強くなりたいからボクシングを習ひたいと頼んだら、大喜びでした。やうやく男らしい、まともなことを言ひ出したと思ったのでせう。わたしとしては、とにかく男子たちから、よってたかって裸にされてひどいことをされることだけは、なんてしても避けたかっただけ。男子たちは、いぢめのときに、そういふことを女子の見るところでよくやってました。小学生でも男の子ってそんなです。

父親からはついでに柔道と剣道もやれ、と言はれました。父親は両方とも有段者。
わたしは、剣道はともかく、柔道はいやでした。
細い身体だったから掴み合ひでも負けるだらうし、寝技なんて組み伏せられてわたしが負けるに決まってる。
だから、剣道だけにしてもらった。父親が子供用の防具をすぐに注文してくれました。

大昔の話ですから、ボクシングは、子供がやるものではなかったし、飲み屋街の裏手にあったボクシングジムも、「ガラの悪い」お兄さんだらけでした。
ボクシングはスポーツといふより喧嘩の道具、まともな人のやることではないと思ってゐる人もゐる時代でした。父親は、それでも、喜んでしまって、市内のジムに出向いてわたしを指導するやう頼んでくれました。週一回通ふことになりました。
でも、子供だから、基本と、マス・ボクシングといふ、ほとんど当てない、空手でいふ寸止めみたいな練習だけ。

わたしは、自分の人生を振り返ると、ホモ男性にはモテた。
女の人にモテたわけぢゃないから、自慢しても誰も気にしないわよね。
それに、モテるっても、ホモの世界はフリーセックスで、セックスの対象にされたといふことです。わたしは徹底したウケ、つまり受け身だったから、なんでも言ひなり。希少価値があったのかも。それによって、モテたモテたと思ってたわたしは、かなり、サビシイやつだったかも。・・・かもぢゃないですね。
さびしいメンヘラでした。

ともあれ、受け身的な雰囲気を子供の頃から漂はせてゐたのか、モテたから、ホモ男性からは、ちゃうど若い女の子が男性から優遇してもらふやうな感じで、その気のある人(のん気=ヘテロぢゃない人)からは親切にされることが多かったです。
そのボクシングジムでも、ひとりの若い男性が、とても親切に教えてくれました。わたしが一人でゐると、来てくれて、マス・ボクシングをしてくれました。
わたしがボクシングなんて自分に全然合ってないものが三年あまりも続いたのは、その男性のおかげです。
そして、今ならセクハラとされる行為、まあ、いろいろと体を触るみたいなことも、ジムの中で公然とされました。
思ひ出すと、ああ、あの人、絶対ホモだと思ふやうな触られ方もしてますが、そんなものも含めて、わたしは親しみをこめたからかひと受け取ってゐました。
その証拠に、わたしは、喜んで、きゃあきゃあ言ってた。
からかひもきゃあきゃあも、みんながゐるところで、公明正大?にやってましたが、もしかしたら、いいえ、きっと周囲の人は寒かったと思ひます。振り返ると恥ずかしい。今頃、遅すぎるけど。

今、からかうを辞書で調べたら、かう載ってました。
「相手のいやがる言動で困らせて面白がらせる。少し怒らせたり恥ずかしがらせたりするために、ふざける」
そして、例文は、「子供をからかう」。

この定義だと悪行ですね。
でも、お互ひに好意を持ってる男女がじゃれあふときにからかひを使ふことはあるので、からかったらセクハラだといふこともないかなと思ひます。

かうして擁護するのは、その若い男性にわたしも好意を持ってゐたからだと思ひます。自覚したものではないのですが、好きだったと思ひます。
むしろ、自覚できなかったのです。
相手の男性がわたしを、たぶん、最後まで人として尊重してくれたから。
その人から、ジム以外で会はうと誘はれたことは一度も無かったですが、誘ってくれたらわたしはついていったはず。

初恋だと自覚したのは、別の男性のことでした。初恋として強烈に自覚してます。でも、その男性は、たぶん、といふか、絶対に、わたしを人として見なかった。

ジムでは、ガキなんてめんどうだなといふ感じのコーチから一応のことを教えてもらったあとは、ぽつんと一人で練習してゐたのですが、そんなとき、いつも、わたしを見つけると、その人は、細かく丁寧に、そして、なにより、優しく優しく、教えてくれました。
そんな人でしたから、わたしは好意を持ったはずです。その好意は、相手の対応しだいでは、ませてゐたわたしですから、すぐに幼い恋になったと思ひます。
とにかく、その頃のわたしは、男性に優しくされるとそれだけで喜んで、文字通り、舞ひあがってしまふ子供でした。

そのせいで、同じころに、すごく痛い目にも遭ふ(『初恋』に書いたこと)のですが、まあ、自業自得かも。
そして、わたしとしては、行きずりにわたしに「いたずら」しただけの男性を、初めて恋心を抱いた相手、として憶えてゐる始末です。
おバカです。

そのボクシングジムの男性のことは、かうして書くまで、あの人のことを好きだったんだといふ自覚がありませんでした。
おバカです。


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