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メニエール病で退職してから存在意義を考えた話

私はコロナの前年にメニエール病で退職し、その後2年間、引きこもり生活をした。

夫に扶養されているのに、
体調の波もあり、夫婦喧嘩を私からふっかけてはヒステリックに泣いたりわめいたりした。

更年期症状かもしれないと思い、婦人科にかかりホルモン療法も開始した。
でも体調は良くならなかった。
コロナによって世の中も未曾有の事態となっていった。

コロナの前から引きこもり、自分自身が不安定な精神状態で、
さらに外の世界も暗闇にすっぽり飲み込まれた気がして、
もしかしたら、このまま、
人類が滅亡するような絶望感をいつも背中に感じた。

一日中横になって、
パジャマのまま過ごし、最低限の料理だけして、それ以外の家事はおろそかにしていた。
わけもわからず涙が出て、夜は眠れない。
夫以外とは誰とも会わない。喋らない。
仕事もしていないし、主婦もしていない。
私は価値がない。生きる意味もない。

心が病んでいる自覚はあったが、
積極的に治す気力もなかった。

私が夫だったら、そんな陰気な嫁がいる家には帰りたくないと思う。
夫には感謝している。

こんな自分は嫌いだから、消えよう、よりも、
こんな自分は嫌いだから、何かしなければ、
の方が勝っていた。
こんな自分でも、こんな世の中でも、どうせ、生きなければならないのだから。

ただ、持病による不安もあり、すぐに仕事に就ける自信はなかった。
社会復帰とリハビリを兼ねて、何か習い事や体を動かせるサークルを考えた。
しかし、月謝もそう安くない。
なら無料で社会参加できるもの。
しがらみなくいつでもこちらのタイミングで抜けられるもの。

市のホームページや社協を検索すると、
悩みや生きづらさの相談員の募集に目が止まった。
市民ボランティアなので資格、経験はいらない。月に数回。

そのボランティア研修の受講中の期間に、
新規立ち上げの介護施設の求人がチラシに折り込まれた。
試しに会社説明会に参加すると、パートで希望通りの働き方ができるとのこと。
週2〜3日、5時間程度の就労が始まった。

3ヶ月程して、旧友から連絡が入り、久しぶりにお茶をした。
彼も本業以外に福祉系団体のボランティアをしていて、人手がたりないと私に声をかけたという。
興味を引く内容に、二つ返事でOKした。

それから2年近く経った。

まだメニエール病は完治していないし、感情のコントロールができない時はある。

だが、あの頃に比べたら、私は生きている実感がある。
頼りにされたり、必要とされると、エネルギーが湧いてくる。
ときに休みもなく忙殺されそうになっても、
一日中寝ているだけの廃人よりは、今が幸せだ。

しんどくなったらまた思い出せばいい。
あの頃の自分を。
あの自分がいなければ、今はなかった。
必死に生きたかったんだと思う。
誰かに必要とされ、自分を好きになりたかったんだと。

強く願えば、引き寄せるんだな、と不思議に思う。

怒涛の年月は過ぎれば一瞬で、
こんな歳でもまだ、私はしぶとく生きている。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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