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熊本の大学生によるスポーツ語り!⑤-1

こんにちは!スポーツ好きの大学生です!
皆さん、スポーツってよく見ますか!?
最近はいろいろなスポーツがテレビやラジオ、インターネット配信サービス等で放映されてますよねー!!

こちらはスポーツを「伝える」人たちがいることで、僕たちがスポーツを見ることができているのです。

今回はその「伝える」人たち=メディアと、スポーツとの関わりを見ていこうと思います。


夢のカップルの誕生

今日、私たちはあらゆる媒体を介してスポーツの情報を入手しています。
メディアとスポーツはもはや切っても切れない、持ちつ持たれつの関係。お互いがお互いを成長・発展に重要なパーツとして知覚しており、「夢のカップル」と呼ばれるくらいとっても仲良しなのです。
この関係の始まりは19世紀後半のイギリス活版印刷が普及するとスポーツ専門の新聞や雑誌が登場するようになり、20世紀ころには一般紙にもスポーツ面が登場するようになります。
日本には明治時代の中頃から、新聞にスポーツの情報が載っていたといわれています。とりわけこのときのスポーツニュースは「日本vs外国人」との闘い、しかも決まって「日本側の勝利」だけを伝える報せが多かったそうで、スポーツ本家の西洋人を相手に善戦健闘する日本人を報道することで、ナショナリズムの強まりを期待していたみたいです。
1920年代からラジオの普及が始まると、音独特の技法と速報性により、スポーツとメディアの関係もより密になります。また映像によるスポーツの発信もどんどん普及をはじめるのですが、この辺はまた後程詳述します。

メディア・スポーツイベント

話が多少前後しますが、スポーツとメディアの関係は「伝える・伝えられる」だけには留まりません。実は学術的に「メディア・イベント」と呼ばれる、メディアが大きくかかわるイベントが存在するのです。
メディアイベントは、大きく以下の三つに分類されます。

①メディアが主催するイベント(甲子園野球等)
②メディアが大々的に報じるイベント(五輪、W杯等)
③連続的に報じることで、イベントのようになるもの

見てわかる通り、スポーツと大きな関わりがあるのは①と②のイベント。
こと、オリンピックなんかはスーパーメディアと言われており、ただのスポーツを伝えるメディアとしての機能以外に、世界を知覚する枠組みの提示や、英雄的モデルの例示、国家間の紛争・葛藤を象徴するなど、あらゆる意味を持つと言われています。

ちなみに国内では箱根駅伝と甲子園野球は2大メディア・イベントと言われていますが、オリンピック同様これらのイベントは「受け手の興味を引くあらゆる物語」多くを含みます。こちらもに別章で詳述しますが、これらはメディアスポーツイベントの報道志向が「いかに忠実に表現するか」から、「いかに受け手を引き込むリアリティを表現できるか」にシフトしてきているからであるとされています。2008年の北京五輪にて、一連の花火がすべてCG表現であったこと、2011年のサッカー女子W杯にて、勝敗やプレーの質よりも、「女性らしさ」を過度に表現する情報発信をメディアがしていたこと。スポーツメディアの持つ、本来の目的を今一度検討しなおすべきときが来ているでしょう。

「スポーツを伝える」という動きの誕生

これまではスポーツとメディアの関係についてをまとめてきましたが、これらはすべて根底にスポーツを「伝える」という行動、いわゆるスポーツジャーナリズムがあります。はじめにもスポーツとメディアの歴史について簡単にまとめましたが、ここにもスポーツを伝えるという動きがいつどこで生まれ、どのような時代の流れをたどってきたのかについてを記します。
 スポーツは古来より、「楽しむ」を追求することが最大目的である遊びでした。それらがやがて中世・近代・現代と、「競争」という要素を孕むようになると、そこに「する」とは違う「見る」という動きが生まれてきます。それらは、スポーツの場にいる人たちだけでなく、遠く離れた人たちも同様に「見る」ことができるように、「伝える」という動きへとつながっていきます。これが、スポーツジャーナリズムの誕生です。
 スポーツジャーナリズムの手段は、大きく分けて3つに大別されると言われます。
 歴史的に最も早く登場した手段が、「活字」です。これらは中世イギリスの活版印刷から始まり、今ではあらゆる媒体を通じて文字でのジャーナリズムが行われています。当初は、試合・レースの告知や競技者・チームの紹介、また勝敗の結果などの比較的に淡泊な情報のみが伝えられていたとされていますが、今ではプレイの細やかな評価等までに活字での発信が入り込んでおり、スポーツジャーナリズムの根幹をなす手段の一つといえるでしょう。
 次に登場するのが「音(音声)」によるジャーナリズム。具体的には「ラジオ」を指します。これらは1920年代から登場しだした手段の一つであり、こちらも当初の淡泊な情報発信から、いまや「実況」を通じた、想像と興奮を駆り立てるジャーナリズムとなっています。
 最後に、歴史的には最も遅く登場したのが「映像」によるジャーナリズム。日本では1953年よりテレビ放送がスタートしました。報道で結果を知るだけだったものが、スポーツをリアルタイムでよりはっきりとみるきっかけとなり、解説者という専門家も登場するなどの動きも生まれています。
このように、活字→音→映像と、技術の発達と比例して変化を遂げてきたスポーツジャーナリズム。今やこれらの媒体はさらに規模を拡大しつつ、スポーツに不可欠の存在となっています。次章では、これらのスポーツジャーナリズムの拡大に焦点を当てつつ、現代におけるこれらの問題点についてを紐解いていきます。
TO BE CONTINUED…

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