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バカまじめ

こんばんは。
ぽむです。

今回は改めて“まじめ”についての話題です。

少し前に上記の記事を書き、ありがたいことに反響を頂きました。


今回は別角度で捉えた“まじめ”と向き合います。


“まじめ”すなわち“従順”

義務教育の過程では、大人にとってこのような子供の方がありがたい。

他人から見れば単に“まじめで優しい人”
言い換えると“個性が薄い都合の良い人”

そういった印象なのだろうか。


学校や職場では…

学校での生活態度は控えめで規則をしっかり守る。

授業後、近くの席の子に「ノート見せて」「宿題の範囲教えて」と声をかけられちょっとパシリにされる。


このような私の性格は今もあまり変わっていない。

控えめで反論しないのをいいことに
結局は要領よくこなしたい人達の使い物。

正直舐められている気がする。


私の中では、
同世代以上の人と関わる時には
どうしても自分は“下の立場”のポジションにいるイメージになる。

年下だとなにかと優しく接しがち。



本当は皆で自由に楽しくわちゃわちゃしたいのに、謎の自制心が働いてできない。

だから、一人でいる時の方が素直な自分で居られて楽しい。

そんな日々を過ごしている。


同じような境遇の人もきっといる。


殻を破れたら…


なぜこうも肩身の狭い生き方をしているのか。

賢くもないのに、
人前にでるとなぜか大人びて落ち着いた雰囲気を出してしまっている。

でも、接する時間が増えるほどボロがでて本来のどこか抜けている部分が出たり、相手の予想に反することをしてしまっている。

そして、そんな自分が嫌になる。


素の私は几帳面でも器用でもない。

決してキャラを作りたい訳じゃない。


逆にこの性格のせいで他人との時間が楽しめないのに。

それでもなぜ人前になると『しっかり者に見られたい』という防衛反応が働くのか。


やっぱり抜け出せない。


脱出したい。


殻を破れたら、
どれだけ他人と過ごす時間が楽しいのだろう。

あれ、誰のために生きているんだっけ?

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