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みかん色の冬 #シロクマ文芸部


#シロクマ文芸部
#冬の色

みかん色の冬

冬の色…その言葉から連想される
私の幼い日の冬のページには、
みかん色の光景が広がっている。

   🍊   🍊   🍊

通学路のみかんの木

正月と言えば、なぜか幼い頃の冬を思い出す。

通学路沿いの一軒家の庭には、みかんの木があった。
緑の葉の茂る夏の季節までは花が咲いたのにも気づかず存在も気にしていなかった小さな緑のみかんの実。
秋の公園の木々や街路樹が黄葉する頃には、みかんの実は銀杏の葉の横で黄色くなっていった。
そして、みかんがオレンジ色になった頃に冬休みは始まる。

年の瀬に届くみかん箱

商売をしていた我が家は年の瀬まで忙しかった。冬休みだからといって外に遊びに連れてもらう事もないので、私は店についていって冬休みを過ごしていた。
大晦日ともなると人々が街に出かけるのは30日までで客の側も正月の準備や田舎への移動で大晦日にはもう街へは足を運ばない。母もこの日ばかりは、自分が客の顔で商店街の正月用の品々の値段の推移を偵察する様に何回も出かけて目星をつけて最安値になったところで正月用品を買い揃えていた。買い揃えると両親も夕方早めに店を閉めて家へと帰るものだった。

そして正月前には、みかん箱が必ず届いていた…床の間の横に並べられていた頂き物の箱を開けると上がる蜜柑の香り…中には、たくさんの蜜柑が並んでいた。
父はお届け物に加えシーズンで二箱のみかん箱を用意していたように思う。
子どもにとっては、いくら食べても尽きないくらいに思える大量の蜜柑だった。正月前の蜜柑箱いっぱいの蜜柑は私にとって冬の安心と満足の象徴のような果物だったかもしれない。

商売の店舗改装で大きな借財をかかえて大変な時期だったなんて事は、子どもの私にはわからなかった。「もしかしたら家を売って引っ越す事になるかもしれない…」と親に言われた時に「転校できるかもしれない。転校生って何だかカッコいい」と楽しみにしているくらい私は幼かった。
家には炬燵すら無かったけど母は食卓に毛布、布団を被せて「炬燵風」を作ってくれた。大好きな蜜柑を「炬燵」の上に山盛りに置くと蜜柑の暖色は木造の家の部屋の温度を上げてるかのようだった。
家に一台しか無いガス・ストーブの前が我が家では一番温かい場所。
私はそのオレンジ色のストーブ近くに座って背中を暖めるものだった。
すると母に「火傷するから気をつけて」と何度も注意された。

通販のお取り寄せもネット注文も無い時代の事。暮れに届くお歳暮はとても楽しみだった。
正月に合わせて届いていた、お歳暮の品々〜奈良漬、海苔缶、神戸のクッキー、そばぼうろ、えびすめ昆布、佃煮、鮭…
遠方の懐かしい人たちからの「良い年を迎えるように」との心遣いの品物。
大好物のそばぼうろとクッキーを除けば、どれもこれも塩分多めの保存食で酒のつまみや白飯がすすむような、お茶漬けの友のような品々。
千枚漬けだけは子どもの私も大好きでとても嬉しかったのを思い出す。
もともと京都出身だった父方の親戚は関西在住。そんな懐かしいお歳暮の品々を食べながら、私は会った事のない親戚たちとの間柄や昔のエピソードを聴くものだった。

我が家の正月と金柑

紅白を観て除夜の鐘…
お年玉をもらって、親戚まわり。
母方の祖母宅へ…
庭先にはこんもりとした木にオレンジ色に色づいた金柑がたわわと実っていた。
玄関先には木彫りの置物…
鶏のつがいのついたて?
記憶もおぼろげだ。

伯母の元気な声が響く。
「よく来たわね!」
と年始の挨拶を交わす。

雑煮は地方で異なる。
お雑煮もおせちも何日も前から用意した物だが他の物はともかく「丸餅の白味噌の雑煮」で育った父には、母の実家の雑煮だけはどうしても食べられなかったようだ。(母は自宅では父でも食べられる雑煮を工夫して作っていた…)
祖母と伯母たちは「無理しないでくださいネ」と他のおせち料理を選んで皿にのせていた。
そして伯母は帰る時には「これを食べると風邪予防になるから」と甘く煮た金柑漬けを瓶にいっぱい詰めて、お土産に渡してくれた。

ポンカンそして移り変わる山の光景

そんな正月を終えると両親の短い冬の休みは終わった。
やがて店先には温州みかんは消えて、季節の柑橘としてはポンカンが並び出していく。そしてポンカンを食べ終わる頃、気づけば山には梅の花。
山に自生した点々と咲く紅白の梅が咲き出しても寒い日が続くが暦では立春を迎える。
遅い雪が時折降るような季節を繰り返しながら花の芽は緩み、桃の花が咲き出す。

そして季節は、
みかん色の冬から
桜色の春へと
移り変わっていく。

それが子ども時代の思い出の
「私の季節の色」だろうか。

   🌸   🌸   🌸

炬燵の無い冬の時季を超えて両親の商売は好転した。そして私は転校せずに勉強する事が出来た。

やがて父は60歳を前に家を新築した。家だけが目標でも無いけれど両親はとても嬉しそうだった。

我が家の冬は春を迎えた。



#シロクマ文芸部
小牧幸助部長さま、
#冬の色
参加させて頂きます♪





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