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スポットライトが当たるのを待っている存在

午前中、用事を済ませるついでに近所を散歩した。
気温は13度。日差しは、日焼け止めを塗らなかったことを少しだけ後悔するくらい暖かかった。
春先にちょうど良いアウターを買うか買わないか、でもまたすぐに夏のような暑さがやってくるかもしれない、今のトレンドはなんだろうか、もうすぐ髪を切る予定だから、その後に似合うものを選んだほうがよさそうだ。

そんなことを考えながらあてもなく歩く。

近所の神社に参りをすることにした。
住宅地にポツンと建つ小さな神社だけど、いつも綺麗で人の管理が行き届いている。
今、私が住んでいる街は本当に住み心地が良い。
どこが良いか?と聞かれるとはっきりと言えない。言葉にはできない。

しかし、家で仕事をして鬱蒼とした気分になったとき、外を出て少し街を歩くと、心が浄化され、必ず良い気分になって帰宅できる。
そのきっかけは商店街の人の温かさであったり、ふと香った風の匂いだったり、子供達の元気な笑い声だったり、その日によって様々。

家で難しいことをずっと考えて、視野が狭くなっている私に、あなたが探しているものはここにいっぱいあるよ。と見せてくれる。様々な物事を介し私にエネルギーをくれるような気がしている。
おおげさだけど、嬉しくて泣きそうになることもある。
私の住んでいる街は、私にとってそういう街だ。

日本の神様についてはあまり詳しくないが、この神社にいらっしゃる神様がこの街を守ってくれているのなら、素直に感謝を伝えたくなった。
先月から定期的に挨拶に伺っている。

これまでご朱印を集めたり、叶えて欲しい願いがあったり、ただ神聖な場所に身を置きたいという目的で神社に行くことは多くあったが、一心に感謝を伝えたくて行くというのは初めてだ。

そんな自分も少しだけ誇らしく、そのことも含めて報告し、感謝を伝えた。

神社からの帰り道、休日の晴れた午前中っぽい風とその匂い、日差しを贅沢に感じながらゆっくり歩く。
この瞬間が、何事にも変え難い至福だ。
よく瞑想やヨガをやる時もこの心の状態になることがある。
(あったかいコーヒーを一口飲んだ時や、悴んだ身体を湯船に浸からせた瞬間もなる。)

私は、難しいことを考えすぎてしまうと、この瞬間があること、いつでも感じられるということを簡単に忘れてしまう。覚えて置きたい。覚えておかないと。記憶しないとダメだ。ちょっとまた力む。

でも、忘れてしまってもこの街が思い出させてくれるから大丈夫か。またゆるむ。そしてまた、あたたかな日差しを感じる。

こんなことを繰り返して
ふと上に目をやると、そこには立派な大木があった。

なんとなく
「きみ、やっと気づいてくれたね」と言われた気がした。

天高くまで伸びた枝に、青々と茂る葉。
てっぺんに天狗が降り立ちそうな立派な木だ。
陽が当たって、風に吹かれて、葉の隙間から散歩をする私に心地よいキラキラした光を注いでくれていた。

私の散歩道は寺町を通るので、このような大木はその寺や神社の数だけ見かける。
しかし、これまで気にも留めなかった。

私にとって散歩の風景の一部だった大木が、私の意識の中に登場した瞬間だった。


立派ですね。いつも帰り道、私を見てたのですか?
その木のてっぺんまで登った時に見る景色はざぞかし気持ち良いのでしょうね。
猿や鳥になって登ってみた時の景色が見てみたいです。
この街を、上から見てみたい。


と、心の中で話しかけてみた。
(具体的に言葉にしてないが、なんとなく、そう意識をした。)

木はそれに応えるように風に揺られてさわさわと動いた。
(ほんの一瞬だけ、意識が木の上から街の景色を見ている視点に飛んだような気がして背筋がゾクゾクした。)

すると、他の木もどんどん目に入るようになった。
私の散歩道には、思った以上に大木が多く、木ごとに個性があった。
縦に長い木。横に広がるように伸びている木。葉はついてないが、まるでオブジェのように渦巻いて生えている御神木。これから春にかけて葉を生やす準備をしている木もあった。

それらは意識を向けないと気づけないし、思考もできなかったこと。
「景色」「木」ということ以外に、意味づけや感想を加えられたことで彼らは生き生きしているように見えた。
なんとなく、私が彼らに意識を向けた時に、彼らはよろこんでいるような気がした。

「気づいてくれた!」「こっち見た!」「認知してくれた!」と。

それがなんとなく嬉しく、良いことをしているように感じ、私は家にたどり着くまでに目に入る木や植物に、心の中で挨拶をしながら歩いた。

意識を向けるとブワ!となんとなく喜んでいる感じが伝わってくるので
アイドルや有名人が、空港でファンに向かって手を振る気持ちはこんな感じなのだろうかと考えたりした。



私は日課として、ヨガと瞑想をやる。
たまにサボることもあるが、やると気持ちが良い。
脳や心などの、直接ボディソープをつけてゴシゴシ洗えないところがスッキリするので、内側の入浴とか、脳のあく抜きと個人的に呼んでる。

どちらも、身体の一部など、どこか一点に意識を集中することをしたりする。

日常的に意識をしていない身体の一部、背中、脇腹、鳩尾・・・等も含め、意識をすることにじっくりと時間を使う。


そして、丁寧に意識を向けているとわかることがある。

意識を向けた部分が、じんわりと反応している
普段は身体の一部だけど、意識をされていない部位が、「気づいてくれた!」と喜んでいるように、細胞がざわめいて、時には気持ちよく、あたたかくなってくれているのがわかる。

最近、鍼灸院の先生が「手当て」とは何か?ということを教えてくれた。
かなりざっくりいうと、文字通り患部に手をあてること。
そうするとそこに意識が向けられ、血流が良くなり、回復が促される。東洋医学の観点では「手当て」の語源はそこからきているんだとか。
そう話しながら私の背中にそっと手を当ててくれた。
確かに、先生が手を離したあとも、先生の手の温度以外のあたたかい感覚が残っているような気がした。


私は一緒に住んでいる猫が2匹いる。
とても大好きな存在である。
毎日一緒にいて、一緒に寝て、遊ぶ。家族であり恋人であり親友だ。

しかし、たまに一緒にいることが当たり前になりすぎて、仕事に集中するがあまり、猫が傍で遊ぼうと訴えていることに気づかないことがある。猫の鳴き声が周りの生活音や自然音と同化してしまう。

無意識に、傍で鳴いている猫を手癖で抱き上げ、撫でることもある。

けれど、猫は訴えるのをやめない。
急に仕事モードから我に帰り、意識の中に猫を入れて、いつの間にか腕の中にいる猫に気づき
「君、そういえばずっと訴えていたね!気づかなかったよ」
と意識を向けると「やっときづいてくれた!」といわんばかりに安心して喉をゴロゴロ鳴らし目を細める。
撫でる、抱っこする、されていることは同じなのに、猫にとって意識を向けられるのと向けられないのでは大きな違いがあるらしかった。

大好きだよ、あなたも私のことが好きだよね、私もあなたのことが好きなことが幸せだよ。とじんわりと暖かい意識を注ぐと、猫はそのまま安心し切って眠る。
言葉はわからないだろうけど、多分思っていることは伝わったのだろう。

(余談だが、うちの猫は、ちゅーるとまたたびとあそぼ、とだっこから下ろす時の「おろすよ」とお手とおかわりとおすわりとまて という言葉は通じる。あとちゅーるの歌も、好きな食べ物のテーマソングだということを認識している。鼻歌だけでも興奮される。頭いい子たちです。自慢です。)



量子力学では「物事は観測したとおりに振る舞う」と言われている。
そして、自分の視点から見るとその「観測者」はこの世でその「自分」しかいない。(当たり前のことすぎて、忘れてしまうが)

既に全部揃っているこの世界で、スポットライトをどこに当てるかを選択する権利は「観測者」にのみ委ねられている。

その辺りの考え方は観測する、だったり、コンフォートゾーンに入れるだったり、充足を見る、だったりなるとか、あるとか・・・・いろんな表現をされている。
でも全部同じことだと私は思っている。


今日、私はおさんぽを通してなんとなく、別な表現が浮かんだ。

なんてことない景色
意識していない身体の一部
エキストラ・通行人
何かの誰かの見たことがない一面
何かの誰かの見えない思考
物事の捉え方
知らない知識
・・・・・

今自分の中の意識に入っていない物事や概念
(ある)から(今意識にあるもの)を引いた全ての物は
ずっと私がスポットライトを当てるのを待ち望んでいる。

私がスポットライトを当てると、そのものたちはその世界に登場することができて、水を得た魚のように生き生きとその役割を全うする。
鳩尾も、ヨガをしながら私が意識を当てることで
「そうです!私は、みぞおちなんです!いつもあなたの体の中心にいるんですよ!」と堂々と主張できる。

スポットライトが当たっていないと、遠くからずっと観測者である私を見守ってじっと待ってる。
推しに認知されたいファンみたいに。


例えば
今目の前の大好きな人がいたとして、何故か今その人が自分を傷つけるような言動をしても

側で、その人の見えない別な一面があり、スポットライトを当てられるのを待っている。

お金や仕事が、自分を苦しめるような存在や、自分から逃げいく存在であったとしても

すぐ隣に、それらの別な一面がずっと観測してくれているのを待っている。


散歩中にふと意識に入れた立派な木のように、それに気づくことなんて何も難しいことではない。

自分が意識を向けたら「やっと、きづいてくれた。」と喜んでくれる存在が無限にいることを、いつか忘れた時に、このnoteを読んで思い出せたらと思う。













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