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何を見つめているか

[サムエル記 第一 14:6]

ヨナタンは道具持ちの若者に言った。「さあ、この無割礼の者どもの先陣のところへ渡って行こう。おそらく、主がわれわれに味方してくださるだろう。多くの人によっても、少しの人によっても、主がお救いになるのを妨げるものは何もない。」

今日の聖書箇所
Iサムエル14:1〜23

今日もサムエル記から恵みをいただいていきましょう。

イスラエルは王であるサウルも民も強力なペリシテ軍の前に木の葉のように恐れ,揺れ動いていました。

現実的には勝利の可能性はどこにもなく,絶望感が漂っていたと思います。しかしそのような中でただ一人信仰に立って,勇敢に敵に立ち向かっていく勇士がいました。それがヨナタンでした。

サウル王とイスラエル軍は恐れて震えているだけだったのですが,ヨナタンは誰にも相談せず,道具持ち一人だけを連れて敵のいる最前線へと向かうのです。

サウルは人を恐れ,人により頼んでいたのですが,息子ヨナタンはそうではありませんでした,ヨナタンはただ主にのみより頼んでいたのです。

ヨナタンは主が救ってくださるのに人数の大小は関係ないと宣言するのです。自分と道具持ちだけであっても主はイスラエルに救いを与えることもできると信じていたのです。

ヨナタンにはイスラエルの神,全能の神に対する明確な信仰があったのです。ヨナタンにとって問題は主の御心がどこにあるかだけでした。それで主からのしるしを求めるのです。

[サムエル記 第一 14:8,9,10]

ヨナタンは言った。「さあ、あの者どものところに渡って行って、われわれの姿を現すのだ。もし彼らが『おれたちがおまえらのところに行くまで、じっとしていろ』と言ったら、その場に立ちとどまり、彼らのところに上って行かないでいよう。しかし、もし彼らが『おれたちのところに上って来い』と言ったら、上って行こう。主が彼らを、われわれの手に渡されたのだから。これが、われわれへのしるしだ。」

ヨナタンはただ積極思考や可能性思考に立って,ペリシテの大軍に挑んでいったのではありません。主の御心,主の導きをしっかりと確認したのです。それが確認できた時に,信仰に堅く立って,主の導きに従い勇敢に大軍に挑み,勝利の突破口を開いていったのです。

ヨナタンを通して信仰とは何かを教えられるのではないでしょうか?ヨナタンには目の前のペリシテの大軍も,敵の強力な武器も,問題ではありませんでした。ヨナタンにとっての問題は神とその御心だけだったのです。なぜなら全能の神にとってはどんな大軍も強力な武器も何一つ問題ではないからです。

しかしサウルはそれとは正反対でした。サウルにとっての問題はペリシテの大軍と強力な武器であり,自分たちの人数の少なさと無力さだったのです。

ヨナタンは神が全ての状況と環境を超える全能のお方であり,全てを支配しておられることを信じていました。しかしサウルは神の箱も祭司も目の前にいたのですが,目に見える状況と環境,目の前の人が全てだったのです。口先では礼拝や祈りはしていても,サウルにとっての判断材料は目に見える状況,環境と人の力だけだったのです。ヨナタンは目に見えない神を見つめており,サウルは目に見えるものを見つめていたのです。

神を信じています,イエス様を信じています,礼拝もしています,祈りもしていますと言ってもそれで信仰があるとは言えないのです。また信じる者にはどんなことでもできると思い込んでいればそれで信仰があるとは言えないのです。

私たちが何を見つめているかが問われるのです。目に見えない神でしょうか?それとも目に見える状況、環境,人でしょうか?

私たちが何を判断材料にして決断するか,何を決断と行動の根拠とするか,それによって信仰があるかないかを神は判断されるのです。どんなに神様,神様と言っていても結局は目に見える状況,環境やただの自分の思い込みや信念を根拠として行動するなら,それは神を信じていることにはならないということです。

私たちがただ神とそのご性質,その御心,その御言葉を根拠として決断し,行動する時,それが神に信仰があると認められることになるのです。その信仰を通して主は共に働いてくださるのです。その信仰を通して霊的な戦いに勝利を与えてくださり,無から有を生み出し,奇跡の御業をもってその栄光を現してくださるのです。

神とその御心,その御言葉を根拠として決断するためには神を深く知っていくこと,神との深い交わりを保っていることが必要になります。また聖書的な信仰,健全な信仰にはただ神の栄光と人々の祝福を求めるという動機の純粋性があります。真の信仰は愛から生まれるのです。

それがない肉的な自分の願望実現のための積極思考や可能性思考と聖書的な信仰とは似ているようで,全く違うことをしっかりと覚え,主が喜ばれる真の信仰が与えられることを祈り求めていく者となりたいものです。

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