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固定観念から自由になるには

[使徒の働き 10:1,2,3,4,5,6]

さて、カイサリアにコルネリウスという名の人がいた。イタリア隊という部隊の百人隊長であった。彼は敬虔な人で、家族全員とともに神を恐れ、民に多くの施しをし、いつも神に祈りをささげていた。ある日の午後三時ごろ、彼は幻の中で、はっきりと神の御使いを見た。その御使いは彼のところに来て、「コルネリウス」と呼びかけた。彼は御使いを見つめていたが、恐ろしくなって言った。「主よ、何でしょうか。」すると御使いは言った。「あなたの祈りと施しは神の御前に上って、覚えられています。さあ今、ヤッファに人を遣わして、ペテロと呼ばれているシモンという人を招きなさい。その人は、シモンという皮なめし職人のところに泊まっています。その家は海辺にあります。」

今日の聖書箇所
使徒10:1〜16

今日も使徒の働きから恵みをいただいていきましょう。

エルサレムから始まった福音の宣教はここで異邦人にまで拡大し,地の果てまで福音を伝えさせ救いをもたらそうとする神のご計画は大きく飛躍していくことになります。

しかしそのためには大きな障害を乗り越えなければなりませんでした。それがユダヤ人と異邦人との壁でした。その壁を破るために用いられたのは共に熱心に祈る人たちでした。

カイサリヤにローマの百人隊長でコルネリウスという人がいました。この人はユダヤを支配していたローマの軍人でありながら,ユダヤに来ることを通して天地の創造主なる唯一の神を信じる者となりました。

コルネリウスは霊的な飢え渇きがとても深い人だったのではないかと思います。

ローマは多神教の国であり,また皇帝崇拝もなされるような偶像崇拝に満ちた国でしたが,コルネリウスはそのようなことに疑問と虚しさを感じていたのではないかと思います。神は本当にいるのか?偶像の神々は偽りだ,本当の神,真の神がいるならその神に出会いたい,そんな渇きを抱えていたのではないかと思います。

そしてたまたま赴任したユダヤの地でコルネリウスは聖書に出会い,天地の創造主なる唯一の神を知り,その神を信じ恐れるようになったのでしょう。そしてコルネリウスは熱心に祈り,施しを持って主に仕える敬虔な信仰を持つようになりました。

コルネリウスはユダヤの伝統に従い毎日,決まった時間に祈るようになったのです。そのように祈っている時,天使が訪問を受け,幻の中でペテロを招くようにという指示を受けるのです。コルネリウスは天地の創造主を信じ,その御言葉を知ることを通して自分の罪をも知るようになっていたのではないかと思います。コルネリウスは自分の罪の赦しを熱心に祈っていたのではないでしょうか?神はそのコルネリウスの祈りを覚えておられ,その祈りに答えてイエス・キリストの福音を知らせようとされたのではないかと思います。

そのような時に神はペテロにも働きかけるのです。ユダヤ人であるペテロが異邦人のもとに行くことは普通であれば考えられないことでした。ユダヤ人にとっては異邦人もそのままで救われるなどということは考えることもできないことだったのです。

主はそのペテロの偏見と固定観念を崩すために幻という特別な方法でご自身の御心を悟らせるのです。その幻もまたペテロが祈っている時に与えられるのです。

[使徒の働き 10:9,10,11,12,13,14,15]

翌日、この人たちが旅を続けて、町の近くまで来たころ、ペテロは祈るために屋上に上った。昼の十二時ごろであった。彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。ところが、人々が食事の用意をしているうちに、彼は夢心地になった。すると天が開け、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りて来るのが見えた。その中には、あらゆる四つ足の動物、地を這うもの、空の鳥がいた。そして彼に、「ペテロよ、立ち上がり、屠って食べなさい」という声が聞こえた。しかし、ペテロは言った。「主よ、そんなことはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」すると、もう一度、声が聞こえた。「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。」

ペテロもまた定期的に忠実に祈っていたことが分かります。その祈りの中で主は異邦人をも差別することなく伝道するようにという特別な啓示を与えられるのです。

主はご自身のご計画を祈る者たちに示され,祈る者たちを通してご自身のご計画を進めていかれます。なぜならよく祈る者でなければ神の御心を知ることはできず,またよく祈る者でなければ神の御心に従うことはできないからです。

祈らない者はイエス様を信じていると言っても,結局は自分の肉の思いと肉の力,今までの経験と方法で生きることになるからです。特に伝道という働きは人間の知恵と力では不可能です。聖霊さまが働いてくださらないと決して人は救われず,また霊的に成長することもありません。異邦人伝道という歴史的な扉は祈りを通して聖霊さまが開いてくださった扉なのです。

またよく祈る者だけが偏見と固定観念からも解放されることができます。ペテロがユダヤ人としては超えることができない壁を超えることができたのはやはりよく祈る人であり,祈りの中で主の啓示を受け取ることができたからでしょう。

人は誰しも偏見と固定観念,自分なりの常識に縛られています。また思考も行動も習慣化してしまい,それがどんなに良くないものだと分かっていてもそこから離れることができません。古い皮袋になってしまいそこに新しいブドウ酒を入れることができなくなってしまうのです。

そうなると聖霊さまの働きはそこでストップしてしまいます。聖霊さまは常に新しいことをなさるからです。聖霊さまはいつも新しい考えを与え,新しい夢を与え,新しい幻を与えようとしてしているのですが,私たちが偏見と固定観念,同じ思考,同じ習慣,同じ反応に縛られているのでそれを受け取ることができないのです。

そこから解放してくださるのはただ聖霊さまであり,その聖霊さまが働いてくださるためには祈るしかないのです。

人は頑固で頑なな者です。そのような人が偏見と固定観念,同じ習慣から解放され聖霊さまが自由に用いることができる器となるためには日々忠実に祈り,聖霊さまによって日々砕かれ,きよめられ,癒されて,変えられ続けるしかありません。

そのように祈る者たちを通して聖霊さまの新しい働きは起こり,人間が破れない壁は破られ,神の国は拡大していくのです。私たちもコルネリウスやペテロのように忠実に祈る者となって聖霊が自由に用いることができる器として成長させられていきたいと思います。

今日の祈り
主よ,不忠実で偏見に縛られやすい者を憐れんでください。忠実に祈り,聖霊に従順な者となってあなたのご計画に用いられる者にしてください。

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