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愛は傍観できない

[哀歌 3:1,2,3]

私は、主の激しい怒りのむちを受けて苦しみにあった者。主は、私を連れ去り、光のない闇を歩ませ、御手をもって一日中、繰り返し私を攻められた。

今日の聖書箇所
哀歌3:1〜18

今日も哀歌から恵みをいただいていきましょう。

エレミヤはユダの指導者たちと民に繰り返し、今、罪を悔い改めなければやがてバビロンによって国は滅ぼされることになると繰り返し、繰り返し警告してきました。

しかしユダの王を始め指導者たちも民もエレミヤの預言に全く耳を傾けることはありませんでした。かえってエレミヤを売国奴、非国民として激しく迫害したのです。

そして遂に神の裁きの時が来てエルサレムはバビロンによって徹底的に破壊され、ユダは滅亡し、指導者は虐殺され、民のほとんどは捕囚としてバビロンに引いていかれることになったのです。

エレミヤにしてみれば自分の言った通りになったのであり、自分を不当に迫害した人々に天罰が下ったと考えるのが普通です。エレミヤがユダの人々から受けた苦しみを思うなら、エレミヤも神ではないので、自分の言うことを聞かなかったからだとユダの民を見下し、見捨てても不思議ではないのです。

ところがエレミヤはここでユダの民に苦しみを自分の苦しみとし、ユダの民の悲しみを自分の悲しみとし、ユダの民の痛みを自分の痛みとして共にうめくのです。

エレミヤは正しいことをしたゆえに激しく迫害されたのですが、それにも関わらず自分を迫害したユダの民と自分を一体化しているのです。

その姿はご自分を十字架につけた人々のために「父よ、彼らをお赦しください。彼らは自分が何をしているのか分からないのです」と祈られた主イエス・キリストと同じです。

[ルカの福音書 23:34]

そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」彼らはイエスの衣を分けるために、くじを引いた。

その姿はご自分を十字架につけようとしているエルサレムを見て、エルサレムに迫る神の裁きを思って激しく泣かれた主イエス・キリストと同じです。

[ルカの福音書 19:41,42,43,44]

エルサレムに近づいて、都をご覧になったイエスは、この都のために泣いて、言われた。「もし、平和に向かう道を、この日おまえも知っていたら──。しかし今、それはおまえの目から隠されている。やがて次のような時代がおまえに来る。敵はおまえに対して塁を築き、包囲し、四方から攻め寄せ、そしておまえと、中にいるおまえの子どもたちを地にたたきつける。彼らはおまえの中で、一つの石も、ほかの石の上に積まれたまま残してはおかない。それは、神の訪れの時を、おまえが知らなかったからだ。」

これが神の愛であり、神の心なのです。愛は決して愛する者を傍観していることはできないのです。愛する者が苦しむなら共に苦しみ、愛する者が痛んでいるなら共に痛むのです。

それが自ら招いた自業自得の苦しみと痛みであっても、しょうがないとか仕方がないと傍観することができないのが愛なのです。

ユダとエルサレムの苦しみはその積もり積もった罪と頑なさに対する正当な裁きであり報いでした。エレミヤはそうならないように全力を尽くして警告してきたのです。しかしそれをどこまでも拒んだユダの人々に降りかかった苦しみを見てエレミヤは自分のはらわたがかき回されるように苦しみ、自分のからだが引き裂かれるように痛んでいるのです。それほどまでにユダの人々を愛していたのでした。

これが神の愛なのです。ユダに罪の裁きを下さなければならない中で最もそれを悲しみ、痛んで、苦しんでいたのは実はイスラエルの神であったのです。

懲らしめの鞭をふるいながら、泣きながら共に痛んでいたのがイスラエルの神だったのです。何という愛でしょう😭愛は愛する者が苦しむのを傍観したり、言うことを聞かなかったからだと見下したり、どんなに頑な者をもしょうがないと諦めることはできないのです。

私たちが神を知り、イエス・キリストを信じて救われることができたのはただそのような神の諦めない愛によるものであり、決して傍観しないイエス・キリストの愛によるものでした。

その愛ゆえに主は「私は死んでもあなたは生きるべきだ」と私たちの身代わりに嘲られ、罵られ、つばきされ、刺し通され、砕かれ、呪われた者となって十字架で血を流してくださったのです。

私たちがその愛を知る時、どうして私なんかのためにと涙でひれ伏すしかなくなり、また私たちの周りにいるどこまでも頑なな人々のためにも涙でとりなし祈り、諦めることなく御言葉を伝えないではいられなくなっていくのです。

私たちのうちにそんな神の愛が聖霊によって注がれるように祈りたいと思います。

今日の祈り
主よ、自分がどれほど頑なな者かも分からない者を憐れんでください。そんな者をも諦めることなく愛し続けるあなたの愛を日々知ることができるようにしてください。

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