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光の子として歩む

[エペソ人への手紙 5:8]

あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。

今日の聖書箇所
エペソ5:1〜14

今日もエペソ書から恵みをいただいていきたいと思います。

主イエス・キリストの十字架の血によって罪から死から呪いから、暗闇から救われた者たちはどのように生きるべきか、信仰生活の実践について使徒パウロは具体的に教えていきます。

今日の箇所では愛されている神の子として神に倣う者となるようにと教えています。

[エペソ人への手紙 5:1]

ですから、愛されている子どもらしく、神に倣う者となりなさい。

人は自分がどのような者なのかという自己認識に基づいて行動します。それに反した行動をし続けることはできません。例えば食べること以外に自分を満足させるものはないと思っている人は体に悪いと分かっていても食べることをやめることはできません。食べること以外に自分を満足させるものはないと信じているからです。

しかし自分はこれからアスリートとして試合に出てそこで優勝したいと思っている人は辛い食事制限にも耐えるようになります。自分がアスリートだからです。

同じように自分は神に愛されている神の子であると確信している者は神に喜ばれることが何かをいつも考えながら、それを追い求めて生きるようになるのです。それが光の子として歩むということです。

どうすれば愛されている神の子として、また光の子としての確信を持つことができるのでしょうか?それは神の限りない愛と恵みを受け続けることしかありません。

[エペソ人への手紙 5:2]

また、愛のうちに歩みなさい。キリストも私たちを愛して、私たちのために、ご自分を神へのささげ物、またいけにえとし、芳ばしい香りを献げてくださいました。

主イエス・キリストの十字架の愛と恵みがどれほど深く、大きなものなのかをいつも教えられていかなければならず、その愛をいつも新たに受け続けていくことです。その時、愛されている神の子、光の子としての自覚を保ち続けることができるのです。

しかしそれがなくなるとイエス様を信じていると言っても私たちはこの世の人に戻ってしまい、気づいたらこの世の人と何も変わらない人になってしまうのです。

イエス様はあなた方は地の塩ですと言われました。イエス様を信じる者たちはこの世の人と明確に違う味がなければならないということです。この世の人と考えることも語る言葉も明確に違わなければならないということです。

この世は淫らな話が好きで、人の噂話や悪口が好きで、不平不満が好きで、愚痴が好きで、金儲けの話が好きです。しかしイエス様を信じる人が好むものは違うものであり、そうでなければおかしいのです。

[エペソ人への手紙 5:3,4]

あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、淫らな行いも、どんな汚れも、また貪りも、口にすることさえしてはいけません。また、わいせつなことや、愚かなおしゃべり、下品な冗談もそうです。これらは、ふさわしくありません。むしろ、口にすべきは感謝のことばです。

愛されている神の子は神様の愛を語ることが好きで、光の子はイエス様の恵みを語ることが好きなのです。そのようなはずなのです😅

しかしエペソの聖徒たちの中にも自分はイエス様を信じていると言いながら、この世の人と何も変わらないような人たちがいたようなのです。そしてそのような人たちは神は愛だから、救いは恵みだから何したって、何言ったって大丈夫だと言って好き放題していたのです。そのような人たちにパウロは厳しく警告します。

[エペソ人への手紙 5:5,6]

このことをよく知っておきなさい。淫らな者、汚れた者、貪る者は偶像礼拝者であって、こういう者はだれも、キリストと神との御国を受け継ぐことができません。だれにも空しいことばでだまされてはいけません。こういう行いのゆえに、神の怒りは不従順の子らに下るのです。

自分が信じていると思っていれば信じているわけではなく、自分が救われていると思っていれば救われているわけではないということです。救われている者にはしるしがあり、証拠があるということです。救われている者は神を侮るようなことは決してしないのです。

それでは私たちが愛されている神の子、光の子として歩み続け、成長し続けていくためには何が必要でしょうか?

第一に良い仲間、良い交わりを持つことです。

[エペソ人への手紙 5:7]

ですから、彼らの仲間になってはいけません。

朱に交われば赤くなると言われます。私たちは交わる人たちによって大きく影響を受けるのです。光の子として歩み続けるためには光の子どもたちと交わり続けることが必要不可欠です。

光の子となってもこの世の人、闇の中にいる人との交わりしかなければこの世の子、闇の子に戻ってしまうからです。それゆえ教会における交わり、共に集まることがとても重要になっていくのです。闇が支配するこの世で生きている私たちはそれなしに信仰を維持し、成長させることは不可能ではないかと思います。

第二に光に照らされ続けることです。

[エペソ人への手紙 5:11,12,13,14]

実を結ばない暗闇のわざに加わらず、むしろ、それを明るみに出しなさい。彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことなのです。しかし、すべてのものは光によって明るみに引き出され、明らかにされます。明らかにされるものはみな光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ、起きよ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストがあなたを照らされる。」

光とは神の言葉です。

[詩篇 119:130]

みことばの戸が開くと 光が差し浅はかな者に悟りを与えます。

神の御言葉の光に照らされなければ闇が分からないのです。罪が分からず、不従順が分からず、汚れが分からないのです。御言葉の光に照らされて初めてそれらが明らかになり、それらを悔い改めていくことで全てが光に変えられていくのです。

それゆえ光の子として成長し続けるためには御言葉を聞き続け、読み続け、学び続けなければなりません。その時、光は闇の中に輝き、闇が消え去っていくのです。

霊的に眠っていないで起き上がり、立ち上がり、光の中にますます進んでいく者となり世の光となって用いられていきたいものです。

今日の祈り
主よ、神の愛の光、恵みの光、御言葉の光で私を照らし続け、光の子、世の光として私を用いてください。

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