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ギホー部へようこそ 【最終話】 南雲悠の死の真相と、それを知った曽根崎は…

前回までのあらすじ
大手医療機器メーカーの広報部で働いている村山里穂は、ある日突然『部署留学』という新制度の対象として選ばれた。派遣先は研究所内にある『技術報告書管理部』通称“ギホー部”。初めは不満を持っていたものの、技法がどれだけ大切かに気がついていく。そんな中、昔曽根崎の下で働いていた南雲悠が7年前に自殺したと知る。真相を探るため、南雲悠が亡くなった場所へ行き、そこであることに気がつき…

第3章 Vol.4 南雲悠の死の真相
 
あれから数日が経ち…。

朝から里穂は、パソコンの前で食い入るように画面を見ると、静かに「見つけた…」と声をもらした。
 
その時ちょうど、「おはようございます」と曽根崎がいつもの調子で居室に入ってきた。
 
里穂は一呼吸を置く。これから曽根崎に、南雲の死の真相を伝えるつもりなのだ。
 
けれど、やはり躊躇した。これはとてもセンシティブな問題だし、誰に頼まれたワケでもない。それなのに、勝手に詮索して伝えたところで、曽根崎にとってはいい迷惑かもしれない。
 
でも、曽根崎が今でも南雲の死のことで苦しんでいるのではと思うと、どうしても伝えずにはいられなかった。
 
「曽根さん、朝からすみません。ちょっとお話しできますか…?」
「もちろん、いいですよ」
 
曽根崎は里穂の真剣な表情を読み取ったのか、自分の机の横に里穂の椅子を置き、座るように促した。
 
「あの…どう話したらいいのか分からないので、単刀直入に言いますが、南雲悠さんのことです。彼の死は、自殺ではないと思います」
 
「……」
 
いきなり里穂の口から南雲悠の名前が出てきたこと、そして自殺の話を持ち出されたことに、曽根崎の表情が強張った。
 
「すみません…曽根さんが倒れた時、色々と伺いました。奥さまが亡くなったことや、南雲さんが亡くなったこと。そして当時、曽根さんが倒れたことも…。あの時偶然、曽根さんのカバンから睡眠薬が見えてしまって。今でも曽根さんは、そのことで苦しんでいるんじゃないかって」
 
「……」
 
曽根崎は無言のまま。その表情からは、怒っているのか驚いているだけなのか、全く読めない。
 
それでも里穂は、話を続けた。
 
「実は週末に、南雲悠さんのお墓参りに行きました。そこで偶然ご両親とお会いして、色々と聞かせてもらったんです。その後、彼が亡くなったバス停にも行きました。そこで…」
 
「…ちょっと待ってください…」
 
曽根崎は里穂の話を制止すると、席を立って資料棚の方に行ってしまった。
 
やはり怒っているのだろうか…?里穂が心配になっていると、少しして戻ってきた。
 
「すみません、突然のことで聞く準備ができていなかったので。とりあえずは、最後まで聞きます」
 
ふーっと深い息と共に腰掛けると、曽根崎は里穂を真っ直ぐに見た。
 
「勝手に詮索して、すみません。関係のない私が、過去のことを掘り起こすのは失礼だと思ったんですけど、どうしても伝えたくて。それで…これ見てください。南雲さんが亡くなる直前に書いていたメモなんですけど…」
 
里穂は先日スマホでとった、南雲悠のメモの写真を曽根崎に見せる。
 

南雲悠のメモ


「これ、なんだか分かりますか?」
「ビーチボールと…傘、パラソルですかね?」
「私もそう思ったんです。でもその後、バス停に行って分かりました。これは、“紙風船”だったんです」
 
「紙風船?」と曽根崎は怪訝な顔をする。
 
「そう。バス停の道を挟んで斜め向かいにある駄菓子屋で、景品としてあげていたそうです。紙風船で子どもたちが遊んでいるのを見て、彼はこれを左心耳閉塞術のステントに使えないか、って考えたんだと思います」
 
「左心耳閉塞用ステント…」
 
(※ステント:血管内に留置し、血管を押し広げるなどの役割をする網目状の金属)
(※ステントによる左心耳閉塞術:低侵襲的に左心房前方にある左心耳内に、カテーテルを使用して膜の張ったステントを入れ、心房細動などによってできた血栓が左心耳から出て行かないように、入り口を塞ぐ術式)
 
「そうです」と答え、里穂は新田から渡された南雲悠の資料ファイルを見せる。そこには他社製品の左心耳閉塞用ステントが載っていた。
 
「ご存じだと思いますが、昔のステントは、傘の形をしていました。当時は成績が芳しくなかったので、まだまだ左心耳の血栓に対する手術は、外科的手術が主流でした。でもそれだと、費用面・体力面ともに負担がかかるし、入院日数も長い。南雲さんはそれを解決したくて、ずっと研究していたんだと思います」
 
「確かに、そうだね…」
 
曽根崎は里穂のスマホの写真を見ると、ゆっくりとうなずく。
 
「それで思いついたのが、この紙風船の形状です。南雲さんはヒアリングで、このヒントを得ていたんです」
 
今度は里穂のノートパソコンの画面を曽根崎に見せる。そこには、医者からのヒアリングに関する技法が載っていた。
 
南雲のチームリーダーだった八代が、今も研究所内にいると聞いて、里穂は密かにコンタクトを取り、当時のことを聞いていたのだ。
 
「これは当時、南雲さんと一緒に働いていたチームリーダーの八代さんの技法です。あの時南雲さんは、市民病院へヒアリングに行った帰りでした。その時のメモを見て、八代さんがまとめたものです。これが提出された時、ちょうど曽根さんが倒れて入院されていたので、他の人の承認印が押されていますが…」
 
そこには、こう書かれていた。
 
“左心耳の形状は人によって様々。ステントなどを留置する場合、サイズの調整や、場所の調整が必要になってくる”
 
技法を読んだ後、曽根崎はもう一度里穂のメモの写真を見た。そして小さな声で呟く。
 
「彼は…南雲くんは、気がついたんですね。この形状が良いってことに…」
 
当時、まだ傘の形状をしていたステントでは、先端が引っかかるため、留置後の位置調整が難しかった。そこで今ある製品のように、形状をボール型にすることで、留置後でも膨らましたステントを簡単に折りたたみ、再度位置調整ができるようになる。
 
傘型で治療成績が芳しくない原因が、当時はまだ明白ではなかったため、開発者たちは試行錯誤していた。7年後の今では当たり前に思える形状にも、その時にはまだ、気がついていなかったのだ。
 
「南雲さんはずっと、低侵襲治療にこだわっていましたよね。それは、曽根さんの奥さまが入院で家を長く空けることに、抵抗を感じていたからだと思います。あの日、南雲さんがバス停に座っていた時。道の向こう側で子どもたちが、紙風船を膨らましたりしぼませたりする姿を見て、思いついたんだと思います。南雲さんのお母さんが言っていました。彼は集中すると、声をかけても分からないって」
 
バス停で紙風船を見て、ステントの形状を思いついた彼は、夢中になって考えていた。その時…
 
「ここからは、私の憶測です。紙風船が風で空に舞ってしまい、南雲さんの方へと飛ばされた。それを見て、取ろうと思ったんじゃないでしょうか?けれど考えることに集中していて、トラックが来たことに気がつかなかった。トラックが来たのは右側で、子どもたちが遊んでいたのは左向い側だったので、きっと見えていなかった。そしてそのままフラフラと、道路へ出て行ったんだと思います」
 
南雲の母親が見た防犯カメラには、空に舞った紙風船までは写っていなかったのだ。
 
里穂が話し終えると、曽根崎は静かに微笑む。そして、優しい目をして言った。
 
「そうかもしれません、でも、そうじゃないかもしれない。開発者は、憶測では判断できないものなんです」
 
「そうですね…。でも、一つだけわかっている事実があります」
 
そう答えると、里穂は先ほどのパソコンで見せた技法をスクロールさせた。そして、ヒアリング報告書の最後の文を見せる。
 
“開発者所感:心房細動は気がつきにくく、見過ごされがちな病気である。その上、外科的治療を負担に感じる患者も多い。低侵襲治療は、患者の精神的・肉体的、さらに金銭的負担を減らすことで、より多くの人が早期に治療できるようになると考える。患者だけでなく、患者を愛する家族が悲しまなくて済むよう、早期の開発を目指す”
 
この報告書を書いたのは、八代。だが、元の文を書いたのは、南雲悠本人だった。通常、開発者の所感を書くことは少ないが、八代は南雲の最後の言葉として、あえて残した。
 
「曽根さん、初めに言ってましたよね。技術報告書は開発者からのメッセージだって。これは、南雲さんから曽根さんへのメッセージなんです。南雲さんは奥さまだけじゃなく、奥さまを無くして悲しんでいる曽根さんも、助けたかったんだと思います」
 
報告書の画面を見ていた曽根崎は、しばらく一言も発さずに固まった後、俯きながら手で目を覆った。頬からは、一筋の涙が流れている。
 
その時、突然資料棚の方から声がした。
 
「そうだよ、曽根さん。南雲はずっと、曽根さんを心配してたんだよ」
 
いつも通り、新田が奥から姿を現したのだ。
 
「また、新田さん。いつから居たんですか?」
「ん?始めからだよ。村人Aが急にあんな話始めるから、出るに出られなくって」
 
新田はツカツカと、曽根崎の前に歩いてくる。
 
「南雲は、自分が奥さんの病気に気がついていながら、曽根さんにきちんと伝えなかったことをずっと後悔してた。だから曽根さんが気落ちしている姿を見て、奥さんの死因である脳梗塞を防ぐデバイスを開発することで、曽根さんの想いに報いたかったんだ。これ以上、曽根さんみたいに悲しむ人が出ないようにって。だから、自殺じゃない。曽根さんのせいじゃない」
 
いつになく熱く語る新田に、里穂はしばし呆気に取られた。するとそれまで俯いていた曽根崎が、ゆっくりと顔を上げた。
 
「私はこれまで、二人を死に追いやったって思っていました。一人目は妻。調子が悪いことにも全然気がついてやれなかったし、僕のせいで病院に行かなかった。二人目は南雲くん。彼が遅くまで会社に残っているのを知っていながら、研究の邪魔をしたくないと、見て見ぬふりをしてしまった。無理やりにでも帰らせるべきだったと…。彼がどんな想いを持っていたのか、僕は全然知らなかった」
 
曽根崎は眉尻を下げて微笑むと、里穂に向かって言った。
 
「村山さんはやはり、南雲くんに似ていますね。真っ直ぐで熱意があって。それでつい、当時のことを思い出して、苦しくなってしまいました。南雲くんに似ているあなたが言うのなら、そうかもしれませんね」
 
まだどこか半信半疑な曽根崎に、新田が付け加えた。
 
「曽根さんは、誰も殺してないよ。奥さんの病気だって、南雲はたまたま気がついただけで、見過ごされがちだって報告書にも書いてあっただろう?」
 
「そうですよ。奥さまは多分、曽根さんを愛していたからこそ、邪魔になりたくないし、曽根さんの前では不調を見せなかったんだと思います。曽根さんが気がつけなくても、それは曽根さんのせいじゃありません」
 
二人の必死な言葉に、曽根崎が柔らかく笑う。
 
「でもやはり、妻の死は完全に僕のせいではない、とは思えません。けれど…」

曽根崎は一瞬、言葉を詰まらせる。そして、穏やかに言った。

「僕も南雲くんの想いをきちんと受け取って、開発者として前を向かないといけないですね」

南雲悠の死後、左心耳閉塞術の研究はストップしてしまった。そして曽根崎は、体調を理由に開発の第一線から遠のき、今の技術報告書管理部へと移動したのだ。

長い間曽根崎の下に誰もつかなかったのは、彼の希望によるものだと、後で新田に聞いた。
 
曽根崎は、静かに開発人生を終えるつもりだったのかもしれない。

「じゃあ、今日も皆さん、お仕事頑張りましょうか」

明るく振る舞う曽根崎の目は、未来を見ながらも、どこか哀愁が漂う。

きっと、部外者がどれだけ事実を述べたところで、当事者にとっては、簡単に受け入れられるものではない。
 
曽根崎も、頭では”妻の死は仕方がなかった”とわかっていても、気持ちが追いついていなかったのだろう。
 
それでも、妻や南雲、新田、そして里穂の想いを受け取った曽根崎は、「ありがとう」と言って、とても幸せそうな笑顔を見せた。

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