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ギホー部へようこそ3-1 ガタンと資料棚の前で曽根さんが倒れて…

前回までのあらすじ
大手医療機器メーカーの広報部で働いている村山里穂は、ある日突然『部署留学』という新制度の対象として選ばれた。派遣先は研究所内にある『技術報告書管理部』通称“ギホー部”。初めは不満を持っていたものの、部長の曽根崎の言葉や、技法から知人の不妊問題に対してヒントを得たことで、どれだけ大切な部署かに気がついていく。

第3章Vol.1  曽根さんの過去
 
「おはようございまーす」
 
朝8時15分。
 
里穂が出社すると、居室内はしんと静まり返っている。いつもいる曽根崎の姿が、見えない。
 
− そういえば、有給を取るって言ってたっけ。
 
そこで、先日のやりとりを思い出した。
 
「今度の月曜日、有給を取るのでよろしくお願いしますね」
「わかりました。どこかへいかれるんですか?奥様とご旅行ですか?」
 
里穂の問いに、曽根崎は照れ笑いを浮かべた。
 
「はい、埼玉の方へちょっと。妻の実家もあるので」
「わーそうなんですね、いいですね」
 
仲睦まじそうな曽根崎の様子に、里穂は少し嫉妬した。
 
研究所に来てからすでに3ヶ月。先週、とうとう三十路を迎えてしまっていたのだ。
 
里穂は子どもの頃からなんとなく、30歳までには結婚して、子どもも1人くらいはいるだろうと想像していた。
 
それが、結婚どころか彼氏もいない。
 
早川拓実とは、あれから1度だけデートをしたが、デートというよりは、先日のお礼と言った感じで、大した進展はなかった。
 
せめて誕生日当日は友達とご飯でも行きたかったが、平日だったため、コンビニで買った1人分のケーキを、寮の狭い部屋で黙々と食べただけ。
 
そんな切ない自分を思い出し、思わず大きなため息をつく。
 
「はー、いいな、曽根さん…」
 
そう呟いた時、居室に大きな声と共に、やつが入ってきた。
 
「曽根さーん、ちょっとこの間の学会で使った資料なんだけどさー」
 
新田はなんだかんだ言って、毎日のように曽根崎のところを訪れる。仕事ができると聞いているが、正直里穂には、暇を持て余しているようにしか思えない。
 
「曽根さんは今日、有給です。奥様と埼玉へ旅行されてるみたいですよ」
 
里穂がぶっきらぼうに言うと、一瞬新田が驚いた顔をした。そして、スマホで日にちを確認し、「そうか、今日があの日か…」と呟いた。
 
「あの日って何ですか?」
「ん?ああ、なんでもない」
 
新田はそれ以上聞かれたくないのか、さっさと居室を出て行った。
 

 
次の日の朝。
 
「おはうようございます」
 
「村山さん、おはよう。昨日はありがとうございました。そうそう、これ、お土産」
 
曽根崎は、埼玉名物の十万石まんじゅうを里穂に渡した。
 
「わぁ、いいんですか?私甘いもの好きで、特にお饅頭が大好きなんです!」
 
「それは良かったです」
 
里穂が嬉しそうに受け取ると、曽根崎がふふっと笑う。
 
「どうしたんですか?」
 
「なんか僕の知り合いみたいだな、と思って。その子も、お饅頭が大好きだったんですよね。村山さんを見ていると、つい彼のことを思い出してしまって。とても真面目で真っ直ぐで、熱意のある青年でした。年齢も村山さんと同じくらいだったので」
 
微笑む曽根崎の顔が、少し疲れているように見える。
 
久しぶりの旅行で疲れたのだろう、と里穂は思っていた。
 
すると「あ、そうだ。新田くんに資料を頼まれていたんだった」と、曽根崎は慌ただしく資料棚の方へと消えて行く。
 
その時—
 
ガタンっという大きな音とともに、何かが落ちる音がした。
 
「え、曽根さん、大丈夫ですか?」
 
里穂が慌てて近づくと、資料棚の奥で、ファイルと共に曽根崎が倒れているのが見えた。
 
「え、曽根さん!?」
 
里穂が大きな声を出して駆け寄るが、曽根崎は気を失っているのか反応しない。
 
パニックになっているところに、新田が「曽根さーん」とやってきた。
 
「新田さん!曽根さんが今倒れて。意識がないんです!」
 
「気道は?呼吸はあるか?怪我はないか?」
 
冷静に状況を把握すると、新田は急いで救急車を呼んだ。
 

 
「不整脈などもないので、神経調節性失神ですね。ただ倒れた時に頭を打った可能性もあるので、詳細に検査します」
 
近くの病院に搬送された後、医者にそう言われた。
 
まずは命の危険がなさそうだということで、里穂と新田はホッとする。
 
曽根崎は相当疲れていたのか、一度意識を取り戻した後、深く眠ってしまった。
 
「あ、奥様に知らせたほうがいいんじゃ…」
 
里穂がそう言いかけた時、看護師がやって来て言った。
 
「念の為、検査入院をしていただくことになりますが、ご家族の方は…?」
 
「あ、彼は独り身なので、僕が代わりに説明を受けます」
 
その答えに、里穂は驚く。曽根崎には奥さんがいたはずではなかったのか、と。
 
だが新田は、看護師の説明を聞くため、病室を出ていってしまった。
 
残された里穂は1人、曽根崎のベッドの横の椅子に座る。その時、椅子に立てかけていたカバンが倒れた。
 
それは、里穂が病院に向かう際、一緒に持ってきた曽根崎の通勤カバン。倒れた拍子に、中から白い紙が飛び出ている。
 
− なんだろう…?
 
里穂が拾い上げてみると、処方箋の薬の入った白い袋だった。表には、ある睡眠薬の名前が書かれている。
 
− 曽根さん、睡眠薬を飲んでるんだ…。
 
見てはいけないものを見てしまった気がした里穂は、慌ててカバンの中へとしまう。
 
ちょうどその時、話を終えた新田が戻ってきた。里穂に下の売店で買ったお茶を手渡し、ゆっくりと椅子に座る。
 
「びっくりしたろ。曽根さん、たまに倒れるんだ」
 
曽根崎の方を見ながら静かに話す新田を見て、冷静だった彼の行動に納得した。
 
「あの…曽根さんって、何か持病があるんですか?」
 
「持病というか…奥さんが亡くなった時と、部下が亡くなった時にも、こうして倒れたことがあるんだ」
 
「亡くなった?奥さんと部下が…?」
 
新田は何かを思い出すように曽根崎の方を見つめる。その表情は、これまで見たことがない、切なく苦しそうなものだった。
 
勢いよくペットボトルのお茶を流し込むと、新田が言った。
 
「そう。曽根さんの奥さんは9年ほど前、脳梗塞で亡くなったんだ。それで7年くらい前かな。俺の同期で、ずっと曽根さんの下で働いてたやつも亡くなって。すげーいい奴だったんだけどな」
 
「そうだったんですね…」
 
曽根崎の左手薬指には、いつも結婚指輪がはめられていた。だから、曽根崎の妻がそんな前に亡くなったなどと、想像していなかった。
 
その上、彼の部下まで亡くなっていたなんて、と里穂は言葉を失う。
 
神妙な空気が流れる中、曽根崎が目を覚ました。
 
「新田くん、村山さん。すみません、迷惑かけちゃいましたね」
 
「曽根さん、大丈夫!?痛いとことか、ない?」
 
微笑む曽根崎の顔を覗き込むように、新田が心配そうに近づく。
 
いつもニコニコとしている曽根崎に、眠れないほど辛い過去があったのかと思うと、里穂は無性に気になった。
 

 
数日後。
 
昼前に、紗香から社内メールでランチを一緒に食べよう、と連絡が来た。
 
紗香のいる知的財産部は、研究所からは歩いて15分ほどの建物内にあるため、普段あまり会えない。
 
たまに研究棟に用事があるときは、こうして連絡が来る。
 
「お疲れ。今日はこっちで打ち合わせ?」
「そうそう、開発の人とね」
「ちょうど良かった、紗香に聞きたいことがあったの」
 
里穂はとろろうどん定食を取り終え、窓際の席に座るなり、紗香に訊ねた。
 
「あのさ、曽根崎さん、昔どの部署にいたか知ってる?」
「昔?確か…ステントチームじゃなかったかな?」
「その時の部下で、亡くなった人がいるって知ってる?」
 
里穂は周りを気にしながら、声をひそめた。
 
「あーっと、うちらが丁度入社した年だよね。名前はなんだったかな。なんか自殺した人がいるって言うのは聞いたことあるけど、詳しくはわからないや。でも、なんで?」
 
「え、自殺なの!?」
 
驚きで声をあげそうになり、慌てて両手で口を覆う。
 
「そう、それで当時問題になったみたい。その人の両親が『長時間労働が原因じゃないか』って疑って。今よりも残業に対しては緩かったからね」
 
「もしかして、曽根さんが今の“ギホー部”に移ったのも、もしかしてそれが原因?」
 
「どうだろうね。会社とその両親とは和解したみたいだし、曽根崎さんがそれで責任を負わされた訳ではないと思うんだけど…」
 
里穂は先日曽根崎のカバンから見つけた睡眠薬を思い出す。もしかすると、そのことが彼を苦しめているのだろうか?
 
居ても立っても居られなくなった里穂は、慌ててうどんをかき込むと、「ごめん、用事思い出した。先に行くね」と、早々に居室へと戻った。
 
デスクに戻るなり、パソコンを開いて過去の技法を読み漁る。
 
− 7年以上前なので、2016年以前。ステントチーム…
 
技法に書かれた、十数名の名前が出てきた。
 
そこから、一人一人をメールのアドレス欄に入れて検索する。アドレス内から消えている5名に絞られた。
 
さて、この先はどうやってその人を探せばいいのか…?
 
里穂は伸びをしながら資料棚の方を見て思いついた。
 
− そうだ!図書室!
 
その時、昼休憩終了を知らせるチャイムが鳴ってしまったので、焦る気持ちを抑えながら、仕事に戻った。
 
17時15分。
 
業務終了のチャイムが鳴ると同時に、里穂は「お疲れ様です!」と言って居室を飛び出した。
 
そして、真っ直ぐに3階の図書室へと向かう。
 
3階の半分ほどの広さを占める図書室には、数多くの医学書や専門書が並んでいる。
 
普段用のない里穂は初めて来たこともあり、その広さと本の量に圧倒された。
 
里穂は早速、入り口にあるパソコンで目的の書物を検索をする。すぐさま、どこの棚にあるか教えてくれた。
 
「これだ…」
 
里穂が見つけたのは、新田が入社した2013年4月の社内報。年に3回、4月、8月、12月と、毎年発行される。
 
4月の社内報には例年、新入社員の名前と一言が添えられた、顔写真が載せてあるのを思い出したのだ。
 
里穂は先ほどとったメモを片手に、名前の順番に確認していく。そして、ナ行で見つけた。
 
「南雲悠…」
 
まだあどけなさの残る、爽やかな顔をした青年だった。その横に、見たことのある仏頂面がいる。
 
− うわ、これ、新田さんじゃん。若い…。
 
今よりもさらに尖っていそうなその顔に、思わず笑いそうになる。
 
2人が並びで写っていることや、新田が南雲悠のことを「すげーいい奴」と呼んでいたこと、そして新田が曽根崎の元を毎日訪れるのは、何か関係があるのではないだろうか。
 
曽根崎の睡眠薬や、新田が見せた表情を思い出し、里穂はどうしてもその南雲悠の死について、知りたくなった。

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