"第一期"終焉

 『完全学科長マニュアル』をwebにあげることにした。

 『完全学科長マニュアル』は滅茶苦茶名作だと思う。名作過ぎて、なんとなくwebにあげるのがもったいなく思っていて、印刷した冊子でしか読めないようにしていた。今、35人くらいの手に『マニュアル』がある計算だ。しかし、このご時世、やっぱり紙媒体だけだと、広がりに限界がある。こんな名作が多くの人に読まれないまま死んでいくのはもったいないので、会った人に印刷した冊子を150円くらいで売っていくことも継続しながら、webにも上げてしまうことにした。

 そして、『学科長マニュアル』をwebにあげたついでに、創設以来半年の都市社会××学科としての活動の諸々の"設定"を、一旦バラして、ここで"第一期"を終えることを宣言する。
 (去年の11月頃から目立つ形では何もしていなかったので今更ではあるのだが...)。
 『学科長マニュアル』が、なんというか、色々”ネタバラシ”なところがあるので、これを一度やってしまうと、今後の活動を同様にやっていくことは考えづらい。それに、この超名作が出来てしまった以上、いくら交流会やら読書会やら講義やら開いても何の意味も感じなくなった。ゴチャゴチャ喋るよりも前に、とりあえず『マニュアル』を読んでくれ、という話である。

 都市社会××学科の創設の経緯に立ち戻って考えてみると、都市社会××学科の活動は、"舞台"を横浜国立大学に、"敵"を同都市社会共生学科に設定したものだった。都市社会××学科を創設する以前から、自分が学生として所属する都市社会共生学科には死ぬほどムシャクシャしていたので、道徳的で学級委員長みたいなことしか言わない教授のゼミの授業中に、いちいち質問や意見をぶつけて衝突を演出するといった"闘争"は展開していた。しかし、それでは"観客"が、せいぜいそのゼミに出席している学生の10人くらいに限定されてしまう。こんなちまちましたことをいつまでもやってられない。都市社会××学科を創設したのも、私がやってたゼミでのプロレスの"観客"として、都市社会共生学科、引いては横浜国立大学の学生全体をも巻き込みたいと思ったからだった。
 しかし、『マニュアル』に書いたことだが、新しい政治的な敵対性を創出することそれ自体が目的で、都社共にも横国にもぶっちゃけ何の拘りもないし、何の思い入れもない。横浜国立大学という"舞台"においては一定の存在感は獲得した気がするし、都市社会共生学科という"敵"に対しても、都市社会共生学科と検索したら、都社共の公式のHPの次くらいにもう都市社会××学科のSNSアカウントが出てくるという"勝利"に近い"戦果"をあげられた。これ以上、何か劇的に有効なことが起こせるのかと言われると、微妙な気もする。
 都市社会××学科の創設というのは、自分なりに、結構センスの良い"亀裂"を都市社会共生学科、ひいては横浜国立大学に入れられたと思っている。自分が新入生の頃に都市社会××学科があったら、難しいことは分からなくても狂喜乱舞しながら参戦していたと思うのだが、しかし、そんなタイプの学生もそんなに多くはいない様だ。noteの読者や学科長マニュアルの郵送希望者はいる。しかし、なんというか、こう、"もっともっと面白くてアツくて心躍ること"は、中々起こせないものだ。

 ということで、一旦、舞台設定と敵の設定を解消する。しかし、「都市社会××学科」という存在も一定有名になったし、「学科長」と呼ばれる機会も多いので、学科の存在と学科長という肩書自体は残す。その上でこれから何をするのかは、又考えようと思う。
 取りあえず自分が最近大事だと考えていることは、以下の四点が挙げられる。

①今まで敵と言われていなかったものを敵として名指すこと。
②新しいネットワークやコミュニティを創出するのではなく、既存の共同体の中で不穏に蠢いていくこと。
③日常性と何らかの点で接していながら、日常性自体を壊していくようなもの。
④趣味を共有する内輪でしか面白がられないものにはならないこと。

 こういう風な条件に当てはまっていて、かつ、色々な意味で自分に実行可能なことが具体的に何なのか、呑気に考えてみようと思う。考えてみた結果、何か画期的なアイデアを思いつくかもしれないし、意外とフツーに地道にこれまでと全く同じ感じで都市社会××学科の活動を続けるかもしれないし、逆に原点に戻って王道のリベラル左翼としてやっていくかもしれないし、何もしなくなるかもしれない。
 (直近で取りあえず考えることとしては、向こう見ずにタダコピで印刷したビラが1000枚くらい余ってるので、それをどう"浪費"していくかだ...。)
 今回は相当雑に書いたが、諸々の反省や総括については、またの機会にちゃんと書こうと思う。


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