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空海と玉依御前

実家の近くに空海の生母がすんでいた仏母院という保育所があります。空海の生母は機内の豪族の娘で、玉依(珠依?)御前と呼ばれており宝石との関わりがあるのか所内の庭にはきれいな色の珪化木という珍しい大きな切り株のような木の化石がありました。

珪化木は木の化石で固くて美しい色なので当時は数珠のような法具の材料として使われた石と思われます。

加工には金剛砂というダイヤモンドに次に硬い鉱物を砕いた微細砂で孔を開けたり磨いたりすることが必要で、この加工法は5千年前からヒスイなどで使われた縄文時代の技術です。

縄文社会はレムリア文明とのつながりがあり古代インドのモヘンジョダロ遺跡や約5千年前の中国や中南米ではヒスイを通して日本の縄文文化とつながる可能性もあります。

その後、古代インドではアーリア人の侵入で古代文明が滅びて軍事力による支配を正当化したグェーダーが最古の文献として残りました。

日本では征服者による古事記の編纂です。

その歴史を書き換える必要は明治以降の日本とくに戦後の日本と似ていて一般の民衆にとってともに厳しい時代であることは間違いありません。

私は密教について語る資格はないのですが金剛杵や、錫杖などの法具は私には岩石ハンマーや木の枝を通して表土の下の地盤を溝ですくい取るための地質調査用具とほとんど同じなのです。

その推測は空海は土木の面では満濃池を築き、地質学の面では当時の木造建築に必要な赤い塗料の水銀など当時不可欠であった数々の有用な鉱床を開発したことで裏付けられます。

それは単なる知識ではなかったはずで、古い文化を受け継いだ職人や船乗りから学んだ実践的な技術であったはずであり、その合理性と自然観の背後には玉依御前とその一族の現代にも通じる合理思想が大きく影響してりると考えられます。


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