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土の内部摩擦角と石積み

築城の技術、石垣は高度な軍需技術でした。石垣は高く積むときはお寺勾配にしそのフレキシブルな構造から地震にも強いのです。その秘密は勾配にありその秘密は職人集団で、たった一人の後継者だけにしか教えなかったと言う話もあります。

このことが今の時代でも石垣の構造が一般に知られない理由なのではないでしょうか。もしこの知識が近代の土質力学につたわっていたなら、状況はかなり違っていたはずです。

石垣の強さの秘密はアーチ構造にあると思われます。アーチで立体的に壁面を作って背面の土塊の転倒を防いでいるのです。特に支点となる四隅が重要です。そこは特別大きな石で作られてその重さで力を地盤に伝えています。

熊本地震熊本城石垣

アーチ構造は砂層の安息角とも関連しています。砂粒は角張っているので砂層の内部で砂粒子同士が接触してその自重で潜在的なアーチを形成しているのだと思います。

そしてこのアーチ構造を支えるのが石垣です。石垣は石同士の摩擦でうまく積み重ねると60°以上の壁面を形成できます。そのアーチは背後の土を拘束して各粒子の自重で土の転倒の安定が保たれるのです。

ところが定説では、崩壊は転倒でなく、スベリと考えるのでこの石垣の機能を正当に評価できないのです。土塊の転倒を木の根によるヒズミの抑制や石の強固なアーチで、内部の土のアーチをささえている原理が理解できていないのです。

令和3年7月に起きた熱海市の盛土の崩壊も、安息角のアーチが過剰間隙水圧で自重のアーチを崩されて液状化したのだと考えられます。崩壊地付近の南東に延びるいくつかの谷は地下の水ミチの可能性があり、背後の火山岩に蓄えられた地下水が流れる水ミチを表土の乱れによって地下に運ばれてその土砂が水ミチを塞ぎ、急激な間隙水圧の上昇で土のアーチがくずれ地山付近の盛部が液状化したと考えられます。

もし石垣や樹木の根があればあの災害は起きなかったはずです。以前、瀬戸内海の小さな志し島で樹齢数百年の巨木を見たことがあります。そこはごく普通の斜面でそこにこれだけの樹木がある理由が分かりませんでした。志し島は小さな島で昔は日当たりの良い段々畑は斜面はすべて除虫菊でした。巨木は日当たりの悪い北側の緩い谷にあります。この木は地元住民が数少ない斜面を守るために大切に育てた理由が文章を見直している今、分かりました。

もちろん伝統文化がすべて正しいとは思っていません。西洋科学と伝統文化とをつきあわせたところに本当の姿が見え現れるのかも知れません。西洋科学一辺倒の今に染まった人たちにはおそらく見えない風景でしょう。

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