哲学対話における「あだ名」について(🎩)

このコラムは2020年の夏休みに行った、早稲田哲学カフェメンバーによるコラム企画の際にFacebookに投稿したものです。こちらはメンバーの🎩によるものです。ぜひお楽しみください♪

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哲学カフェで対話する際には対面では名札を用意し、オンラインでは表示名を変更することで、あだ名をオープンにした状態で呼び合っています。
本日は、何故名前をあだ名にするのか?
についてです🎐


一言でいうと、何者でもない貴方として対話に参加して頂きたいからです。
「名は体を表す」とよく言いますが、名前はその人の実体を表すと私は思います。そして、私達は気が付かない内に、呼び名で自分の社会的役割やアイデンティティを認識し、自己の振る舞いを決定しています。


例えば、田中哲也という大企業の部長が居たとします。同窓会では学生時代の呼び名の「てっちゃん」と同期に呼ばれ、懐かしさと共に学生当時に感覚が鮮明に蘇り、振る舞いも戻る訳です。「田中部長」と「てっちゃん」では振る舞いも発言も変わってきますよね?


この様に考え、呼び名と振る舞いは密接な関係に有ると私は考えています。
哲学対話では、本名の持つ社会的役割から離れ、「テーマそのもの」に深く溺れて欲しいと考え、ニックネームでの参加を推奨しています。勿論ニックネームにしたからといって社会的役割から完全に離れられる訳ではありませんが、少しでも「何者でもない自分」として、心の深い所から出る言葉に耳を傾けて参加して頂けたら幸いです。

🎩

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