私にとっての哲学カフェ(あきひと)

このコラムは2020年の夏休みに行った、早稲田哲学カフェメンバーによるコラム企画の際にFacebookに投稿したものです。こちらはメンバーのあきひとによるものです。ぜひお楽しみください♪

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私は「考える」ことが好きです。何かについて深く考え、自力で掘り起こした日常生活の中の法則性や哲学的命題への結論を共有することに大きな楽しさを感じます。そんな私にとって哲学カフェは特別な場所です。


私たちは個人的経験や唯一無二の独自な世界観をもとに思考しています。多くの場合、異なる世界観を持った人に自分の考えを話した時、その考えは相手の世界観における「異物」や「例外」のカテゴリーに分類されてしまい、真剣に対峙されることなく葬り去られてしまいます。多くの無神論者がキリスト教徒の啓蒙を一蹴するのはそのよい例です。たとえ突飛な考えでなくても、ある程度哲学的な響きを持ち、説明に多くの字数を必要とする考えを話した時、多くの人は面倒くさがって聞く耳を持ってくれません。ですが、哲学カフェには、参加者が全ての意見に対して、誠意をもって対峙し、理解しようと努めているような空気感が存在します。それはおそらく、早稲田哲学カフェの軸にある「傾聴」というモットーと、参加する人たちの無差別かつ純粋な知的好奇心によるものだと私は思います。いわば、哲学カフェは、無神論者が目を輝かせてキリスト教徒の話に聞き入る場所なのです。
そうした空気の中で、真剣に自分の考えを話したり、それに関連した他の人の意見を聞き、思考を広げたりする時間が、私は大好きです。


私にとって哲学カフェは、のびのびと自分の思索を共有できる場所です。


あきひと

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