哲学カフェを通じて得た「対話」の大切さ

このコラムは2021年の夏に行った、早稲田哲学カフェメンバーによるコラム企画の際にFacebookに投稿したものです。こちらはメンバーのせきしんによるコラム。ぜひお楽しみください♪

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哲学カフェを通じて得た「対話」の大切さ


哲学カフェの運営メンバーとして何回か対話に参加した今、入学当初の自分とは大きく変わったと思います。僕は対話を通じて人と純粋に語り合うことの大切さを思い出しました。


それまでの自分は今から振り返ると、浅いコミュニケーションしかしておらず、大して自分の頭で考えることをしていませんでした。人と話していてもどこか物足りず、SNS上にいる同じ考えの人を見つけてはそれだけで満足していました。
そんな自分が対話に参加して、とても衝撃を受けました。そこには様々な世代の人が参加しているのですが、皆さんが自分の話を真剣に聞いてくださって自分もつい夢中に話してしまいました。さらに皆さんの話を聴くたびに、そんな考えがあるのかと発見の連続でした。気づけばしばらく純粋な交流を忘れていた自分が、真剣に考えて色々な方の話を聴こうと対話に積極的に対話に参加するようになっていました。


対話は蝋燭に火を灯すことに似ているのではないかと僕は今思います。共有した考えが誰かの参加者の心に響いて、そこから生まれた言葉がまた誰かの心に響いていく…、こうした感動の連鎖は蝋燭に火を灯しあうことと重なります。話し合うことで参加者それぞれが気づきを得ていく光景を見て、蝋燭に灯る火を見るように暖かさを感じました。


語り合うことで互いに火を灯しあうような対話が今の世の中には不足していると感じます。SNSは一見交流を促進させているように思いますが、蓋を開けてみれば自分が見たいものばかりが見ることができてしまう空間で交流を促進するどころか、むしろ自分の殻に籠ることを勧めているのではないでしょうか。僕はSNS上に起こる悲惨な誹謗中傷やデマの流行もこの仕組みが大きな原因の一つだと思います。話が少し大きくなりすぎましたが、僕が最後に言いたいことはSNSに慣れきってしまった我々だからこそ「対話」をする空間を持つべきだということです。そこでは別に何か答えを見つけることや、人の気を引くようなことをする必要はなくて、ただ誰かとひっそりとでも良いから気持ちを語り合うことが大事だと僕は思います。そうすることで普段忘れがちな、人とのやり取りの大切さを思い出すことができるのではないでしょうか。僕は早稲田哲学カフェの運営メンバーとして、一人でも多くの方に「対話」の大切さを感じてもらえたらと思っています。


せきしん

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