哲学対話における「所属」について(ラファ)

このコラムは2020年の夏休みに行った、早稲田哲学カフェメンバーによるコラム企画の際にFacebookに投稿したものです。こちらはメンバーのラファによるものです。ぜひお楽しみください♪

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

哲学対話で所属を名乗らないのはのなぜ?


早稲田哲学カフェの対話では、参加者が最初に自己紹介をしますが、「所属を名乗らない」ということをお願いしております。
その理由は、肩書きによるバイアスをなくし、参加者全員が平等な立場で対話に臨むためです。


早稲田哲学カフェでは対話の参加者全員が自分らしく、そして居心地よく、フラットに対話できることを目指しております。対話の輪では、テーマに対し参加者全員が等しくアプローチできる状態で考えを交わせることが理想的だと私は思っています。


私たちは「誰の」意見であるかによって、その価値を判断することが多々あります。例えば参加者の一人が、自分は大学で哲学を専門に研究している者だと名乗ったら、どうでしょうか。哲学対話では、専門的な哲学の知識について議論するわけではありません。しかし、無意識に他の参加者よりもその一人の発言の方が重要であると感じられる可能性があります。また、参加者の年齢や学年がわかる状態で話を始めると、無意識のうちに上下関係ができるのもごく自然なことです。所属学部、出身大学の名前や職業を名乗ることによってもお互いに対するバイアスが生まれたり、他人の肩書きに圧倒されて自分が委縮してまうこともあります。


「相手が何者なのかわからなければ深い会話をすることは難しい」と感じる人がいると思います。しかし、対話では、相手を何と呼べばよいか(ニックネーム)と話題(テーマ)、そして対話の原則(傾聴する、否定をしない)さえあれば、それ以外の情報がなくとも話始めることができます。何者かわからない相手との距離感も楽しみながら、是非みなさんに哲学カフェに参加していただきたく思います。


ラファ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?