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京都旅行Part2

京都旅行2日目、3日目の事について話していこうと思います!
2日目は御朱印巡りをメインに色んな神社に行きました。
最初は貴船神社に向かいました!

貴船神社は比叡山山口の方にある神社で階段の脇に灯篭が綺麗に並んでいて川のせせらぎが聞こえる喉かな場所にある神社です。そこで引いたおみくじが特殊で水おみくじと言って水面に紙を置いて文字が浮き上がるようになっている僕は初体験のことですごく感動しました!

次に上賀茂神社(下鴨神社)に向かいました!

実際皆さんは神社なんてどこいっても一緒って思っている人が多いと思います。でも実際に行ってみたら全く違う雰囲気や風景が見れてその神社の特徴が強く感じられます🍀*゜
上賀茂神社は大きい鳥居があってそこをくぐるとまた先に大きな正門があってその中に参拝するところがあり参拝の内容はその年の干支の種類に分かれていて自分の干支の神社に参拝するといいと書かれていました!
次にみんなさんご存知の金閣寺に向かいました!金閣寺は別名鹿苑寺とも呼ばれていて寺全体が金で覆われている珍しい寺になります!全身が金でできているお寺なだけあって周りの庭園も綺麗で中学生以来に来てやっぱり凄いところなんだな〜と改めて思いました!しかもどこの観光地に行っても外国人がたくさんいてやっぱり日本の観光地は素晴らしいものなんだと感じました!

次に向かったところは北野天満宮です!

ここも京都の有名観光地であり石でできた鳥居が特徴的でした!御朱印はシンプルなものでまたそれも良いところであると思います😊
ここからは3日目の旅行を話していこうと思います✈️

3日目の最初は宇治市にある平等院に行きました!

平等院は世界遺産にもなっているところでありこれまで行ってきた中では結構広いと思いました!ここの別名は鳳凰堂とも呼ばれその呼び名が御朱印になっています。もうひとつは阿弥陀仏院と言うまた別名があり御朱印にもなっています!
ここは博物館のようなところがあり色んな神様がいて1人1人異なる神様がいて面白いと思いました!
最後に行ったところは伏見稲荷大社です!ここはやっぱり有名な場所であり人気所でやっぱりそれを表す稲荷がとても美しく見えました!ここの有名なところは1000本鳥居がありここの頂上まで登ったら絶景が待っていると思うのですが大体の人が途中で折り返してしまうのです💦いつかは頂上まで登ってみたいですね!
今回の旅行で色んな歴史に触れられた気がしますしやっぱりまた行きたいと思うような場所なので人生で1度は行ったろうがいいと思います!
下記に行った場所の詳細を記載しておくので是非見て下さい!😊🙇‍♀️

貴船神社

貴船神社の起源については、貴船大神が御鎮座することになった伝説が社記に残されています。「国家安穏 万民守護のため 太古 丑の年の丑の月の丑の日に、天上より貴船山中中腹 鏡岩に天降れり」とあり、現在丑の日が縁日とされている所以でもあります。また別の伝説には、約一六〇〇年前に初代神武天皇の皇母である玉依姫命が「吾は皇母玉依姫なり。恒に雨風を司り以て國を潤し土を養う。また黎民(れいみん)の諸願には福運を蒙(こうむ)らしむ。よって吾が船の止まる処に祠(ほこら)を造るべし」と宣り給い、現在の大阪湾から船に乗り、淀川、鴨川、貴船川を遡り、水源の地として現在の奥宮に至りました。清水の湧き出る霊境吹井(れいきょうふきい)を見つけた玉依姫がここにひとつの祠を建てたのが、貴船神社の起源と伝えられています。

賀茂御祖神社

正式には「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」とよびます。京都は鴨川を中心に町づくりがなされており、鴨川の下流にまつられているお社というところから「下鴨(しもがも)さん」とか「下鴨神社(しもがもじんじゃ)」と親しくよばれています。東西の両本殿はともに国宝に指定されています。

金閣寺

正式名称を鹿苑寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。
舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。
 元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われ、有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化といいます。義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。

北野天満宮

北野天満宮は、天神信仰発祥の社として今から千年あまり前の村上天皇天暦元年(947)、御神託(神様のお告げ)により平安京の天門(北西)にあたる北野の地に菅公をおまつりし創建されました。
その後、藤原氏による大規模な御社殿の造営があり、永延元年(987)に一條天皇の 勅使ちょくし(お使いのこと)が派遣され、国家の平安が祈念されました。この時、一條天皇より「北野天満大自在天神」の御神号を賜り、菅公は「天神さま」としておまつりされ、以後、寛弘元年(1004)の一條天皇の行幸(天皇陛下が直接お参りされること)をはじめ、代々皇室の御崇敬をうけ、国家国民を守護する霊験あらたかな神として崇められてきました。

平等院

平安時代後期、天喜元年(1053)に、時の関白藤原頼通によって建立された阿弥陀堂です。華やかな藤原摂関時代をしのぶことのできる唯一の遺構として、貴重な御堂です。最も大きな特徴は池の中島に建てられていることで、あたかも極楽の宝池に浮かぶ宮殿のように、その美しい姿を水面に映しています。鳳凰堂を正面から見た姿が、翼を広げた鳥のように見えることと、屋根上に1対の鳳凰が据えられていることから、江戸時代始め頃より「鳳凰堂」と呼ばれるようになりました。鳳凰堂は東方に面して建てられ、阿字池を隔てて西方に極楽浄土があることを示しています。
伏見稲荷大社
私たちにとって、もっとも身近な神社といえる「お稲荷さん」。
全国に30,000社あるといわれ、全国各地で老若男女を問わず親しまれています。その総本宮が伏見稲荷大社です。

そして、稲荷信仰の原点が、稲荷山であります。
当社の御祭神である稲荷大神様がこのお山に御鎮座されたのは、奈良時代の和銅4年(711)2月初午の日のこと。その日から数えて、平成23年(2011)に御鎮座1300年を迎えました。

御鎮座以来、この長い歳月は単なる時間の経過ではなく、時代時代の人々の篤い信仰心によって「衣食住ノ太祖ニシテ萬民豊楽ノ神霊ナリ」と崇められ、五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、諸願成就の神として、全国津々浦々に至るまで広く信仰されてまいりました。
これからも伏見稲荷大社は人々が幸せを求める「庶民の信仰の社」であり、「神様と自然と人とが共生する社叢・稲荷山」であるということを大切にし、次の世代へと護り伝えていく使命が我々にはあります。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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