語り尽くされてても語りたいこと:伊坂幸太郎さん


 高校2年生で伊坂幸太郎さんの小説に出会うまで、小説をほとんど読まなかった。主にスポーツノンフィクションを読んでいた。特に野球。実際にあったことが書かれた文章が好きだった。その人が歩いてきた人生やその人が今どうしているのか。どんなことを考えて生きてきたのか。ただ、漫画はよく読んでいた。ドキドキハラハラした。いろんなエッセイも読んだ。単に小説を読むきっかけがなかっただけとも言える。てへへ笑。

 高校2年生のとき、ブックオフで伊坂幸太郎さんの本に出会った。あぁあ!どうして、伊坂幸太郎さんを読もうと思ったのかが思い出せない。記憶よ、蘇れ、蘇れ、思い出せない。とにかく!何らかのきっかけ・情報があり、ラッシュライフという小説を買った。

 下宿の1人部屋に帰って読み始めると、徐々に徐々にページを捲る速度が上がっていった。境遇が全く違う人間たちが織り成す群像劇。登場人物1人1人が生きていた。文字だけの世界が、読み手の中に想像を膨らませ映像が浮かび上がる。読み手によって映像は違うだろう。読書は自由だ。登場人物の外見・表情・感情の機微を感じる。会話のユーモアにクスっと笑う。それぞれの登場人物の物語が交差する。物語は加速していく。そして最後に繋がる。これから、ラッシュライフを読む人がいるかもしれないので、内容には深く入らない。読後の余韻が半端なかった。小説すげぇぇ!と脳内で叫んだ。本当は叫びたかったが隣室の方々に迷惑がかかることくらいは想像できた。

 そこから、時間を見つけ、伊坂さんの小説を片っ端から読んでいった。野球部に所属していたこともあり、平日放課後は野球、夜は勉強・読書という流れになった。ブックオフにお世話になり、高校の図書館も大いに利用した。アヒルと鴨のコインロッカーに関しては、映画も素晴らしかった。ボブ・ディランの曲が本当に合っていた。瑛太さんの醸し出す奇妙なオーラに見入った。振り回される濱田岳さんの表情に見入った。

 ぼくはただ食わず嫌いをしていただけだった。小説というフィクションを舐めきっていた。情けない野郎だとつくづく思う。伊坂さんの小説に触れたことで、他の作家の小説も読むようになった。

 小説では一般的に悪と呼ばれるものごとが普通に現れることがある。伊坂作品には、泥棒も殺人者も登場する。その背景を読めるのが小説の醍醐味だと思う。なぜ、そういう立ち場になったのか。どんな考えを持っているのか。そこから、読者は人間の多様性を知るし、その思想をどう感じてもいい権利がある。

 素晴らしい小説は読者の心を浄化させる。様々な感情を、なにより言葉にならないような感情を抱くことがある。小説世界に触れ、はがゆくなったり、すっきりしたり、戸惑って、納得して、静寂を感じ、読書は続く。その時間は、永遠であるかのような錯覚を抱かせ、物語が終わってしまうことを惜しむ。終わった物語の続きを想像する自分に出会う。

 高校3年生の夏、野球部を引退した。そして志望大学目指して受験勉強が始まった。推薦入試で秋には大学が決まった。その合格を野球部の監督に報告したときのことだった。

 監督が言った。

「合格おめでとう。これからの時間はどう過ごす?」

 ぼくは何も考えていなかった。

「 特に考えてないです」

「小説書いてみたらどう?」

「わかりました。書いてみます」

 体育教官室を出て、気持ちがざわついた。今まで小説書いたことないのに、書きますと言ったことに後悔がなかった。書けるかもしれないという、なんの根拠もない自信に、書けるのかよ!書けるよ!書けないよ、書いてしまえと自問自答が巻き起こった。最終的に書くぞとなった。監督を驚かせてやりたい気持ちもある。ぼくは野球部に3年間いて、1度も公式戦に出なかった。常にスタンドで応援歌歌って、勝利を願っていた。そこに、レギュラーになれなかった落胆などなかった。実力で試合に出られないことを痛感した高2の夏前には選手をやめていた。コーチとなり、裏方に回った。今回の書く機会は、ぼくにとって公式戦だ。という無茶苦茶な考えに至った。ちなみに、監督はぼくの読書歴を知らないはずだった。書く面では、野球ノートを何度も提出したので、把握はしてると思うが、監督がどう思っているかは知らない。今回ぼくは、試されている。望むところだと妙に意気込んだ。

 帰り道、文房具屋さんで原稿用紙を買った。パソコンを持っていないから仕方がない。その日から、初めて物語作りに取りかかった。ノートに話の流れや登場人物を書いた。どんな内容の話を書いたかはうろ覚えだ。原稿用紙30枚で、高校球児の話を書いたと思う。

 読み終わった監督は笑って、「お金になるんじゃない?」と冗談を言っていた。その短編はいつのまにか、監督から野球部の後輩に渡され、ぼくの知らないところで読まれていたそうだ。

 調子に乗ったぼくはもう1本書き始めた。そこで伊坂さんが再び登場する。死神の精度という小説にどハマりしていたぼくは、死神を主役にした話を書き始める。なんて単純!なやつなんだ。しかも、今思えば、内容は死神の精度に近い。それも監督に渡して、読んでもらった。監督はどんな気持ちだったんだろうか。野球部を引退した生徒が小説書いてやって来る状況。 

 今、この文章は携帯で打っているが、あの下宿の1人部屋で原稿用紙に向き合った時間は貴重だったなと思う。恥ずかしい文章書いてたと思う。

 伊坂幸太郎さんの小説は、フィクションの素晴らしさ楽しさを感じさせてくれた。書く際の参考にもさせていただいた。ぼくの読み書きの原点だ。

 大学卒業くらいまでは、伊坂作品の新刊情報を入手して、追いかけたが、就職したあたりから途絶えた。だから今、伊坂さんがどんな小説を書いているのは知らない。書店でよく見かけるので書き続けていることは知っている。

 先日、友達からシーソーモンスターという伊坂さんの小説をいただいた。小学校の図書室の本がもらえる機会があり、友達はそこで入手したとのことだ。これも何かの縁。

 また伊坂ワールドに行ってきます!


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