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バイセクシャルの女性スパイが殺し合い、愛し合う。「キリング・イヴ」は、女性差別主義の「007」へのカウンターだ。


筆者が大好きな海外ドラマは、「フルハウス」「セックス・エデュケーション」「マスター・オブ・ゼロ」「ユニークライフ」「THIS IS US」「Freabag フリーバック」「キリング・イヴ」です。ということで、今回は吹替についてではなく大傑作ドラマ「キリング・イヴ」シーズン1〜2について書いてみるよ。



「キリング・イヴ」は、2018年から2022年まで4seasonに渡ってHBOで放送された、サイコパスの暗殺者ヴィラネル(ジョディ・カマー)とイギリスの情報機関MI6の女性捜査官イヴ(サンドラ・オー)のスリリングな攻防を描いたスパイスリラーだ。女性層を中心に支持されたこのドラマは、次世代の映画の作り手であるフィービー・ウォーラー=ブリッジとエメラルド・フェネルという二人の女性監督による革命だったと言えよう。では、何が革命だったのか。

まず、「キリング・イヴ」には、多様な性のあり方を体現する多くのキャラクターが登場する。シーズン1では、豊富な肉体関係を持っていることが判明したイヴの上司キャロリン(フィオナ・ショウ)は好きでなくても愛せると言い、同僚ビル(デヴィッド・ヘイグ)は実はクローゼットなゲイであり子供をもうけるために裕福なレズビアンの女性と双方同意の上で結婚していると語る。イヴは優しい夫と幸せそうに暮らしているものの、決して結婚=愛ではなく、結婚=異性愛者同士ではないのだ、という当たり前のことが何度も強調される。

さらにシーズン1の第7話では、イヴはヴィラネルが愛した女性アンナの存在に嫉妬する。他方、ヴィラネルはそのアンナを亡くしたうえに唯一の仕事仲間コンスタンティンにさえ愛されていなかったことを知る。嫉妬に狂う二人はついに最終話で対面するが、我を忘れたイヴはヴィラネルの腹をナイフで突き刺してしまう。腹を抑えながら吐き出した「本当に好きだったのに!」というヴィラネルの悲痛な叫びは、動揺するイヴを正気に戻す。ここで思い出すのは「太陽がいっぱい」のアラン・ドロンがモーリス・ロネをナイフで刺し殺す有名なシーンだ。言うまでもないが、ナイフはペニスの象徴である(ヴィラネルは愛した女性アンナの夫のペニスを切断して殺害している)。また、原作者のパトリシア・ハイスミスは実はクローゼットなレズビアンだったことが分かっている。さらにシーズン2の第1話には、ヴィラネル自身によって「あれが彼女の愛情表現」と念押しされる。「キリング・イヴ」は、サイコパスの美しい暗殺者を追うスタイリッシュでスリリングなスリラーでありながら、象徴的なキャラクターを巧みに配置した女性同士の愛と殺意を巡るラブストーリーでもあるのだ。


さて、イヴが身を寄せるMI6はジェームズ・ボンドが所属していることで有名だが、本作の世界観は旧来的な男性主義を振りかざした「007」とは対照的である。本作におけるMI6のボスはジュディ・デンチを思わせる年配女性、そして主人公イヴも女性、敵役も女性、直属の上司も女性。サイコパスの殺し屋ヴィラネルは男性のペニスを切断(去勢!)して殺し、不貞を働いた夫を裏切られた妻の目前で刺し殺す。ちなみにボンドは、独身貴族とは言え、次から次へと美女をはべらすワンナイトヤリチン野郎であり、そのモーレツな男性性の裏返しとして拷問で股間を痛めつけられるなどの去勢恐怖が描かれる。

そのうえ、シーズン2の第5話では専門家によってサイコパス=ヴィラネルは「私とあなた」ではなく「私とそれ」の関係しか結べないと語られるが、ショーン・コネリーが演じた初代ジェームズ・ボンドは、まさに女(人)をモノのようにしか扱えない非情なスパイだった(ちなみに第6話にはQっぽいおじさんが出てきて007いじりギャグが挿入される)。しかし、この世界のMI6は誰も殺しのライセンスを持っていない。だから彼らは、暗殺集団トゥエルヴと連携し、「007」のブロフェルドのような(IT企業家であり情報を武器に相手を脅すことができる)世界的な武器商人と接触する。イヴはヴィラネルに誰も殺さぬように指示していたが、結局頭に血がのぼった彼女は男を殺してしまう。しかしそれは上司キャロリンの作戦通りだった。イヴやヴィラネルはコマに過ぎず、彼女らを利用してイギリスに都合の良いように裏社会をコントロールすることがMI6の真の役割だったのだ。

事実、女スパイの仕事は、セックスやハニートラップなどを使って相手から情報を得ることだ。キャロリンがコンスタンティンや他の男たちと寝ていたのは、おそらくそのためであろう。本作には女性差別主義者のジェームズ・ボンドは出てこない。しかし、殺しのライセンスを持ち要人を狙うソ連出身のバイセクシャルでサイコパスの殺し屋と、ハニートラップと頭脳でイギリスの裏社会を支配する女のスパイが活躍する。そして、バイセクシャルの女性スパイが殺し合い、愛し合う。「キリング・イヴ」は、女性差別主義の「007」へのカウンターでありアンチテーゼなのだ。そのことを踏まえると、同じく革命的なボンド映画「No Time to Die」の脚本にフィービー・ウォーラー=ブリッジが参加したのは必然だったのかもしれない。


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