大きくなったら・・・
大きくなったら何になるの?
この問を私は娘にしたことがない。生まれて名をつけられた時から○○○として生きているんだ。それ以上でもそれ以下でもない。何者にならなくても親としての愛情は変わらないし、何者になったとしてもそうだ。
子供時代は子供時代を、青春期には青春を、青年期には青年期を味わってほしい、そんな願いもあった。何者かになる前に親の庇護のもと、遊び、学び、だらけ、夢中になり、よく眠り、よく食べ、快便であればよしとされるそんな時期があってこそ、次代の子供たちを守る力になると信じている。
そうして私は子育てという役目を終えたら、沈んでいく船のように消えていくんだろう、そんな風に思っていたら、三女が小学生中学年の頃に、
お母さんは大きくなったら、なんになるの?
と無邪気に問いかけてきたのだ。
へ?
私はお母さんになったから、もう、すごろくでいうとあがりで、先はない、そんな風に思っていたのに。
「お母さん」の先の未来。考えたこともなかった。
それから遅い自分探しが始まった。
また働くのか、何か社会貢献するのか、考えたけれど答えは出ない。
そうしてるうちに、夫が病に倒れて、私は否応なくまた働くという選択をした。
よく、傍を楽にするから、はたらく というと言ったりするが、本当にそうであると思う。
ただ、そうして障害があっても子供を産み育て、また、働きにでた私はたくさんのそういう選択ができなかった、同志の存在を片時も忘れない。
たくさんの、名もなき、社会の片隅に追いやられた彼らの無念を。