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ネット界隈

20年以上前のこと。インターネットデビューを果たした私は、まず、自分の病気のことを調べてみた。ほどなく、その頃の病名で検索してある掲示板にたどり着いた。そこには病院でしかあったことがない精神疾患の当事者が生き生きと文章を書き連ねていた。

それに気をよくした私は子供たちの名前からとったひらがな三文字のハンドルネームをつけて、書き込みをしてみた。軽く自己紹介をして、と言っても個人情報は秘密であるけれど、仲間に加わった。

そこでは様々な当事者が質問や疑問を投げかけて、同じく当事者が答えたり反応したりしていた。緩い自治の場がそこにあった。

それまで私は、自分のことを客観的にみるということができていなかった。障害を持って以降、私は自分の特殊性や能力について過小評価していたかもしれない。障害を持つと、家事って大変なんだ、子育てって保育園との二人三脚なんだ、ヘルパーさん頼みの人もいるんだ、そういうことを初めて知ったのである。私のような一見普通の主婦と変わりない人は変わり種であることをその時に知った。

オフ会という存在もその時に知った。そこで初めて生のたくさんの当事者に出会った。一見普通の主婦やサラリーマンにみえる人もいれば、いかにも当事者でございって人もいる。本当に個性豊かであった。そしてのちに知ったのだけど、約束しても体調によりドタキャンは当たり前の世界であったのだ。

私はどんなことがあっても、朝は起きて、洗濯をして、ご飯を作り、片付けをして、掃除をして、子供が小さいうちは育児も加わった。私が体調が悪いと寝込んでいたら家はめちゃくちゃになる。もちろん欠かせない薬の副作用もあり、時にはめちゃしんどいけど、体に鞭を打って頑張ってきた。ドタキャンなんてどこの世界の話だろうと思っていた。

でも、ネットでの出会いが私の人生の幅を広げてくれたのも事実。違いを認め合うこと、能力には差があっても人間の本質にはなんら影響はないこと、どちらかに合わせるのでなくて、お互いに歩み寄ることが大切なこと、他にもたくさんのことを学んだ。

インターネットの功罪なんてことが叫ばれていた時代の話である。
今や、AIの登場やメタバース空間とか、私にはチンプンカンプンの概念にも広がっていて、ネットが当たり前の世の中になっている。パソコンを持っていなくても携帯でほとんどのことが代用できる。

いい世の中になったんだよね。つながるっていいことなんだよね。

ネットはあくまで道具に過ぎない。それをたどったら生身の人間がいることを片時もわすれてはならない。