見出し画像

共感力

私は自分のことを極端に共感力のない人間だと感じてきた。

やりたいならやってしまえばいい、やりたくないならするな、こう考えるから、したいけど・・・とうじうじ悩むことができなかった。

だから女性界ではスポイルされてしまってきた。女性は悩むことが大好きだからだ。ショッピングでもメニューを選ぶときでもどれにしようか、迷うことがお約束である。

私はピンときたものに決めることにしているので、悩まない迷わない、そういう姿がかっこいいと思ってきた。もし、自分の勘が冴えてなくて思うような結果にならなくても、結果ごと引き受けることにしている、それが正しい道だと思ってきた。

最たるものが結婚相手である。結婚する前は両目でよく見て選び、結婚後は片目を瞑ってやり過ごす。これが夫婦円満の秘訣だと何か雑誌媒体で読んだ。私はそのセオリー通りに夫に対しての不満や文句を飲み込んで、結婚なんてそんなものだと思ってきた。大体が自分だって欠陥だらけなのに、相手にだけ理想を求めたら不公平だろう。

そう思ってきた、彼女に出会う前は。唯一の私の女友達の。

歩み寄って時に見つめあい一緒の未来を見つめる、それが今の私のパートナーに求める理想の姿である。

いつも前だけ見つめてたらいつの間にか違う方向を向いてるかもしれないし、見つめあってだけいたら、未来は見えない。

不倫をする人はよそ見をしてしまったんだな。目の前のパートナーの悲しむ姿を想像できなかったんだな。終わっている夫婦ならば、終わらせてから次を選んだらいいんだ。

今でこそそう思えるが、若いころの私は、背負っているものがある人の荷に目を向けず、自分の感情、思いだけ大事にしていた。結果として私は道を誤った。私に共感力があったならば、違った未来を選択していたろう。

選ばなかった未来に真実があるかもしれない、その思いに駆られるときに人は迷い悩むんだろう。そうしたら、迷い悩む姿こそ正しいのかもしれない。

その女友達の恋の相談に乗ってるうちに、相手は答えを求めてるわけではない、うなづいて一緒に寄り添ってほしいだけなのだと気づくことができた。私にも少しずつ共感する気持ちがわかりかけている今日この頃である。

まだまだいろんなことを即決しては、自分にダメ出ししている私であるが、選ばなかった未来に思いをはせて、それでも選んだものならばより後悔がないそんな爽快感を味わう機会も増えてきている。

人とまったく同じ思いを共有することはできないが、歩み寄り、迷い悩み、それで出した答えに納得しあう、そういうプロセスを踏むことが大事だったんだ。

そう気づかせてくれた彼女との出会いに感謝である。