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「人の役に立つ」ために進んだ、金融コンサルタントの道

みなさま、はじめまして。メットライフ生命保険株式会社にてコンサルタントをしております、萩野功と申します。今日は、私のnoteをお読みいただき誠にありがとうございます。

私は、お客様と将来設計を一緒に考え、お客様に人生を謳歌していただくために、お客様の3つのコンディショニングを行っています。詳しくは後ほどお伝えします。

実は「人の役に立つ」ということは、物心ついた頃から私にとって重要なテーマでした。

「あなたは大切な人を守れますか」

このキャッチコピーに惹かれて、大学時代にライフセービングを始めたことが、今の私を形作る哲学や考え方のベースとなっています。

このnoteでは、コンサルタントとしての私の哲学や価値観、そしてなぜこの業界に足を踏み入れたのかについてお話ししたいと思います。

全6回を予定しておりますので、ぜひ最後までお付き合いください。



人生を謳歌するために伝えたい3つのコンディショニング

私がめざすのは、「人生の伴走者」としてのコンサルタントです。

私は、学生時代に熱中したライフセービングやスポーツクラブに約10年勤務した経験を通じて、人々の健康づくりと大切な人の命を守るということに強い使命感を持つようになりました。

例えば、ライフセービングにおいて最も大切とされることは、事故を未然に防ぐことです。

私が目指したい世界は、まさにここで、病気という事故が起きないように健康管理までお伝えし、病気を未然に防ぐことです。

なぜなら、現代の医療は、あくまで対処療法だからです。病気にならない体質づくり、食生活や睡眠などにも意識していただき、お客様やご家族が辛い想いをすることのない安心をつくり出すこと。

これこそが、私が目指している「理想の世界」です。

ちなみに、プロのライフガードは朝5時からトレーニングを開始し、日頃から訓練を欠かさず、いざという時には救助に向かえる体力・気力を平時から養っています。私も日々、自分を律し、生活習慣を整えて、常に学びを継続し、いざという時には全力でサポートできる自分でありたいと思っています。

冒頭で少し触れさせてもらいましたが、私は、お客様に人生を謳歌していただくために、3つのコンディショニングを意識しています。それは「幸せな人生を生きるためのメンタルコンディショニング」「病気を予防するボディコンディショニング」「やりたいことを叶えるマネーコンディショニング」です。

これらを通じて、お客様が自分らしく、エネルギッシュに人生を謳歌できるようにお手伝いすることが、私のミッションです。

成長をめざして歩いてきた道

私がコンサルタントとして歩み始めてから、おかげさまで今年で14年目になります。

現在はMDRT※(Million Dollar Round Table)という、保険のプロフェッショナルとしての称号を頂いて仕事をしていますが、ここに至るまでの道のりは、決して平坦ではありませんでした。※MDRTとは、卓越した生命保険、金融プロフェッショナルの組織として世界中で認知されており、約70カ国の会員が活躍するグローバルな組織

振りかえると、私は学生時代から常に、「もっとできるようになりたい」という想いを抱え、成長をめざしてきた人生だったように感じます。その根底には、努力を積み重ねても報われなかった野球少年時代にあります。

脇役から主役へ成長した少年時代

小中高と野球一筋で過ごしましたが、実は、一度もレギュラーには選ばれたことがなく、いつも補欠としてベンチを温める存在でした。

約8年間補欠を続けながら、決して心を折ることなく、ベンチで声を張り上げ仲間に声援を送り、時には監督からの伝令係として自分に割り当てられた役割を精一杯果たしていました。主役ではないけれど、チームにとって不可欠な支援役としての自分の位置を、誇りとやりがいを持って全うした少年時代でした。

そこに不満があるわけではありませんでしたが、「達成感を得たい」「勝ってみたい」という気持ちは、常に自分の中にあったように思います。

この想いを持ったまま、大学時代にライフセービングに出会います。

実は入部当初泳ぐのが一番遅かったんです。泳ぐ練習を積み重ねる一方で、パドルボード※の練習に夢中になりました。やはり、入部2年間は、大学対抗の学生選手権(インカレ)に参加することもできず、大学3年生の時にライフセービングの聖地であるオーストラリアに渡り、朝から晩までハードなトレーニングに明け暮れました。その結果、100人近いクラブメンバーの中でレギュラーに選ばれることになりました。
※パドルボードとは、2Mを超える専用のサーフボードを使って沖に出て戻ってくるスピードを競う種目

そして、大学代表として選手権に出場し、4年生の時にはついに優勝を果たしました。

長年の努力が、やっと実を結んだのです。

「自分にもできるんだ!」という実感は、自身の可能性を信じる大きな転換点となりました。

人が好きだからを理由に、スポーツクラブに就職

大学を卒業した後、22歳でスポーツクラブに就職しました。スポーツクラブに就職した理由は、人が好きだからです。

学生時代にたくさんの仲間に出会って人生が変わった経験から、人生はどんな人に出会うかで大きく変わると思ったんです。

スポーツクラブだったら色々な職業の人、色々な価値観の社会人と出会える。そして、多種多様な価値観に触れる事で、自分の人生が豊かにできると考えたのです。

そして、エアロビクスインストラクター、パーソナルトレーナー、店舗責任者として勤務し、エリアマネージャーまで幅広く担当させて頂き、損益管理から採用、教育研修に至るまで、多岐にわたる業務を経験させて頂きました。組織の運営・管理や健康に関する知識は、この時にたくさん学びました。

たくさんのお客様、同僚、先輩に可愛がって頂き、とてもやりがいのある仕事でしたが、どうやったら魅力的なお店になり、お客様に喜んでいただけるかを考え葛藤する日々でした。

スポーツクラブの売上は月会費で、基本的には、そこに食べ物が付いたり、商品を受け取るわけでもなく、接客力が物を言うサービス業。いかにしたらスタッフが輝く組織になるのかをいつも考えていました。

そして、まずは自分が自分らしく輝く必要があると考え、休日の度に様々な社外の勉強会へ自費で参加し必死に勉強をしました。

実は、その勉強会がきっかけで、たまたま出会った保険会社のマネージャー(のちの上司)に魅了され、10年間勤めたスポーツクラブ人生に終止符を打ち、人生を新たにスタートさせました。

その転職先として選んだのは、メットライフ生命保険株式会社(当時のメットライフアリコ)のコンサルタントでした。

MDRTへの登録を目標に、がむしゃらに働いた転職当初

MDRT(Million Dollar Round Table)は保険業界で高い実績を上げたプロフェッショナルに与えられる資格であり、その達成は業界内では、大変名誉な事として称賛されます。

私は入社後すぐにMDRTの登録を目標に掲げ、勉強に励み、転職して3年間は休む間もなく朝から晩まで必死で働きました。

MDRTの基準を達成したコンサルタントは、米国で行われる年次総会や研鑽会に参加できるのですが、私は達成前にも関わらずアメリカへの航空券を1年前から購入し、まるで自分が既にMDRTの一員であるかのように振る舞うことで、自分自身を奮い立たせることを目指したのです。

しかし実際には、転職して3年間は基準をクリアできずに、滞在先のホテルから毎年、お客様全員に絵ハガキを書き、日頃の感謝と決意をお伝えする日々でした。

「誠実にお客様と向き合うこと」と「目標達成のために自分に向き合って、具体的な行動に移すこと」

これらは、自らを励ますための行動でもあります。その結果、おかげさまで、たくさんのお客様に支えていただき、今日までにMDRT資格の登録(MDRTの登録の有効期間は1年)を8回果たすことができました。

今日までの道のりは決して順風満帆だったわけではありません。31歳で結婚し、家も建て、双子の息子も授かりました。しかし、出産直後に妻の左脚に希少ガンが見つかり、39歳の若さでこの世を去りました。

それでも、小さな子どものため、そして支えを求めるお客様のために、私はコンサルタントとして再び立ち上がり、歩みを進め始めたのです。

人生の伴走者としての私の役割

先ほどからお伝えしてますとおり、私は、コンサルタントとして、お客様が自分らしくエネルギッシュに人生を謳歌できるようサポートしたいと考えています。

チームをサポートしてきた野球少年時代、命に向き合い事故を未然に防ぐことの重要性を学び、自分としても初めて目標達成を成し遂げたライフセービング時代、身体のコンディションを整える技術や知識を習得したトレーナー時代、最愛の家族の闘病に寄り添った時代、すべての集大成が、今のわたしです。

挫折や困難も経験しましたが、それを乗り越え、今もお客様の課題解決に専念し、前進し続けています。

これまでの経験から、メンタルコンディショニング、ボディコンディショニング、マネーコンディショニングを軸に、人生の伴走者としてお客様の幸福を追求していくこと。

ここの提供価値を高めるべく日々精進して、これからも成長して参ります。
応援していただけたら嬉しいです。

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。


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