チンギス=ハンゆかりの地を訪ねてみた 前編
昨年、縁あってチンギス=ハン紀を訳したことで、チンギスのことを実はよくわかっていなかったことを痛感。いてもたってもいられなくなって、チンギス=ハンがチンギス=ハンに即位する前、テムジンだった頃に過ごしたと思われる地域に行ってみた。
一日目 序章
成田→ウランバートル
モンゴルへは、20年以上前に行ったきり、海外旅行でさえ2011年以来である。今一つ実感がわかず、出発日になってもついうっかり普段通りの生活をしてしまいそうな漠然とした不安がつきまとっていた。しかし、それは杞憂に過ぎず、ちゃんと時間に起きて家を出て、成田空港に着くことができた。ここまで来れば一安心。旅行は、計画通りに進むことだろう。
(注:トルイはチンギス=ハンの息子でハン[王]ではあるが、全モンゴルの上に立つハーン[皇帝]にはなっていない。)
ホテルに着いたのは21時過ぎ。事前に聞いていたが、ウランバートルの渋滞がひどい。以前の国際空港ボヤントオハーよりかなり遠くなっているせいもあるが、今の国際空港チンギス・ハーン空港も成田ほど都心から離れていないはずなのだが。
それにしても。Googleストリートビューで見てわかってはいたが、車窓から見るウランバートルはえらく変わった。ホテルの窓から見える町の灯りがきんきらきんで観覧車までライトアップされてる。ストリートビューで見る以上に町の規模が段違いに大きくなって、高層ビルだらけになっているようだ。夜中まで明るいし。
二日目 モンゴルの山々の手荒い?歓迎
ウランバートル→ブールルジュート→アウラガ
モンゴル本番一日目は朝から雨である。せっかくの旅行に運が悪い? モンゴルの山々……山というか、モンゴル全体が高原で、首都ウランバートルも1300m地点にあるから山のようなもの。その山の神に嫌われたとでもいうのだろうか?
否。ロシアに行くなら冬に行き、雲南に行くなら雨期に行く自分にとっては、これはご褒美。
だって、グユクの即位式の時にモンゴルに到着したプラノ=カルピニのジョヴァンニの旅行記に、突然の雹で川が氾濫、多くの人が流されたと記されている状況そのものじゃん!(場所はちょっと違うし、雹は降らなかったが)そんなモンゴルの夏を自分の身に体験できるなんて、願ったり適ったりだぁ!
しかも、事前に旅行会社から天候が悪いと聞いていたし、予想気温0℃なんていう天気予報も出ていたから、冬のロシアで外を歩く時に着ていたアンダーウエアを持って来たもんね。暑くても寒くても対応できるんだな、これが。
最近有名になっているウランバートル市の東端・ツォンジンボルドグのどでかいチンギス=ハン像のところに寄った時には、強風+激しくなったり弱まったりの雨だった。外気温は3℃。体感温度は下手するとマイナスだな。ゴアテックスのレインコート上下を着込んで外で写真を撮りましたとも。雨に対応できるのが超広角の XF8mmF3.5 R WR だけなのが玉に瑕だが、このレンズはそもそもモンゴルの広大な風景を撮るためのものだからねぇ。まぁ、実際標準レンズでは、下のような画は撮りにくかったと思われる。
でもさすがに、カメラの調子が若干悪かった。リチウムイオンバッテリーは寒さに弱いから、カメラ本体が耐寒でもやっぱこうなるか。こういう時に手元で暖められるように使い捨てカイロも持っていたのだが、短い時間のこと、それを取り出すほどではない。
ちなみにこの像の中というか下は、チンギス王朝を通史的に紹介する博物館、カフェ、土産物屋になっていた。チンギスに始まる歴代ハーンの肖像、最後はリグダン=ハーンになっていた。チンギスを初め、ジョチ、チャガタイ……のチンギス家の人々のタムガが並べてあったのもおもしろかった。ただし、近現代のモンゴルの道具以外は、レプリカが多かった。
さて、この後も雨は弱まるかと思えば激しくなり、やんだかと思えばまた降ったりと天気が回復する気配はなかった。風はものすごく強いまま。
13時半頃、ブールルジュート遺跡付近に到着。『元朝秘史』等に良く出てくるサァリ=ケエルではないかと言われている所だ。Googleアースで遺跡位置の周辺にところどころしみのように見えたのがこれか。「湖」というには小さいが、水鳥がいるということは魚がいるのかな。
湖畔にはヤギの群がいるが、近づくと逃げてしまう。
歩いていると、なぜかツバメがどんどん近付いて来る。人を恐れないのか何なのか。風がすごいから風よけのため?
この強風の中、車で風よけしながら昼食。遺跡自体はわからなかった。歩き回って探せる広さじゃなかった。のんびりピクニックって天候でもない。
この後、アウラガを目指しているうちに、遠くに真っ黒な雨雲が見え、まもなくその中に突入。結構な悪路……というか、道なのかこれは。以前来た時は、こんな「道」が大半だったが、ウランバートルから出てしばらくはきれいに舗装された道だったので、道路状況はかなり改善された。……と、これがつい数時間前までの感想。
都市を結ぶ主要道路は、かなり整備されつつあるようではある。
泥跳ねでドアガラスから外を見ることができない。強風もやまず、とうていテントを張れるような天気ではなくなってくる。で、ツーリストキャンプを探すものの、そもそもシーズン前でテント泊予定だった所だ。なかなか開いている宿がない。19時過ぎにアウラガ遺跡の北にある温泉地のツーリストキャンプに到着。一棟に二部屋ついているバンガロー風のところだが、準備がまだ整っていないとのことで、風の当たる側の部屋の窓が壊れ、風が吹き込んでいた。そのため、ガイドさん、運転手さんとは別々の棟の風の当たらない側の部屋にそれぞれ泊まることになる。これで夜中に雨風の中に放り出される心配はなくなった。
夕食はバンガローの中で、ガイドさんが作ってくれた。アニメの「ゆるキャン△」は見てたが、見てただけでキャンプ飯作ったことないからなぁ。あ、キャンプ飯食べるのは好き。
三日目 市までチンギスハーンになっちゃった
アウラガ→ウンドゥルハーン……じゃないチンギスハーン
キャンプ用に用意してきたあったか靴下と足用カイロで全く寒くなかったが、さすがに明け方は冷え込んだ。外気温8℃、室温10℃。やはり天気は良くない。
朝食は、昨夜と同じようにガイドさんが作ってくれた。そしてこれから行くダダルのとても美味しいパンとサワークリーム(仮称)について熱く語ってくれた。正確に言うと、サワークリームではないそうなのだが、たぶん、日本にはそれに当たる乳製品はないと思うので、仮にそう呼ぶことにする。楽しみ。
9時半出発。ツーリストキャンプのすぐ前にあった水たまりが温泉というか、鉱泉だそうだ。で、やはり発見のきっかけは、チンギスが猟をしていた時に矢を当てたジュル(ノロ?)がここに跳び込んだらたちどころに傷が治ったからだという。よくある温泉発見伝説ではあるが、モンゴルには、漢方ともチベット医学とも違った独特な伝統医学がある。戦の多かったチンギス時代の怪我の治療法は、どうしてたのか。いつかこの鉱泉にも浸かってみたいものだ。
10時半頃、アウラガ遺跡博物館になると思われる工事現場に行く。もうできていて、発掘品が展示してあるという話も聞いたような気がするのだが、開いていないのでどうすることもできない。見た所、ずいぶん規模の大きな博物館になりそうである。
結局、アウラガ遺跡そのものはわからず、強風にあおられるようにして次の目的地に向かう。そもそも徒歩でぶらぶらできる範囲じゃなかった。それに、遺跡を調査している所を見学したいよな。これはリベンジせねば。
14時半過ぎ、ウンドゥルハーン市改めチンギスハーン市境に着く。いや、いつの間に改名したんだよ(笑)。「ウンドゥルハーン」という名にも由来があったはず。それに、「どのチンギスハーン?」ってややこしくなるから、何でもかんでもチンギスハーンにするの止めてくれぇ(注:本当はチンギスはハーン(またはカァン)と名乗っていないので、自分でチンギスのことを書く時は「チンギス=ハン」と書いている。けれども、現代モンゴルの地名の標記が「ハーン」となっているので、「チンギスハーン市」とせざるを得ない)。
15時半頃、ホテル到着、高度1100m。下のレストランで遅い昼食兼作戦会議。早めに着いたので、この後セルヴェン=ハールガに行くかどうか協議。予定表では25kmとあるが実際には60kmはあることと、雨が激しくなってきたことで、やはり翌日行くことにする。とにかく風がすごく、雨が激しく降ったり、止み間があったりする様子は、台風かと思うほど。
四日目 レクサスってオフロードカーだったっけ?
ウンドゥル……じゃないチンギスハーン→セルヴェン・ハールガ→ダダル
ホテルの朝食時間は8~9時と遅かったので、7時半過ぎに外に撮影に行く。スカッと晴れた。なんだか本当に台風一過みたいだな。市の中心にホエルンやチンギスの像がある。セツェン・ハンのオルドン博物館というのがあったが何だろう? 見た目は寺みたい。セツェン・ハンといえば、フビライが思い浮かぶが、関係あるのかな?
9時出発。馬群多し。なぜか羊は見かけない。途中、ハゲワシの群れているところを通る。群れている理由は不明。
何年か前、初めてTVの「仮面ライダーX」の怪人ジンギスカンコンドルを見た時、「モンゴルにコンドルはいねぇ」と馬鹿にしたものだが、たぶん、このハゲワシをイメージしたんだろう、チベット密教の影響でモンゴルでは鳥葬も行われていたと言うから。金庸の小説『射鵰英雄伝』のアニメも、確か「コンドルヒーロー」という題名になっていたし、語呂が悪く知名度の低い本当の名前でなく、誰でも知ってて見た目の似ているコンドルさんの名前を借りたんだろう。
10時半頃、セルヴェン・ハールガ碑文の前に到着。加藤晋平とシャグダルスレンが漢文碑文を発見したいきさつなどを説明する碑はすぐにわかったものの、壊れかけている。家畜の糞はあるから全く誰も来ないという訳ではなさそうだが、最近人間の訪れた様子はない。テムジンの若い頃の戦いではっきり年代が確定する貴重な史料なんだけどな。
はじめ、碑文がどこにあるのかわからず、岩山を歩き回る。周囲には石垣のようなものが残っている。岩山の谷にあたる所には虫がたくさん出た。あまりにもうっとうしいので、この日の夜寝る時に、目の前をブンブン飛び回る残像が見えたほどだ。
しばらく岩山を見て回っていたが、なんてことはない、説明板の真正面にあった。それとわかれば結構見やすい位置にある。まぁ、戦勝を誇るための碑だから、見やすい位置にあるのは当然と言えば当然だ。木陰で見えにくく、文字が読めないにしても、ここに来た人は気づけたたんじゃないかな。見つかったのが最近(1991年)とは意外な感じ。
その後、同じ道を通ってうん……じゃないチンギスハーン市中心に戻ったのだが、ハゲワシは一羽もいなくなっていた。いったい何で集まっていたのかますますナゾ。
さて、チンギスハーンからダダルまでの道は酷いと聞く。スマホのナビは、1530に着くと教えてくれているが、「そんなのウッソ~」とツッコミを入れる。ちなみに車のナビに地図は入っていない。スマホにナビのアプリがあるなら、入れられるんじゃないのかとちょっと不思議だ(どうなの、トヨタさん?)。
14時前、途中の町・バトノロブで昼食。この辺まではアスファルト舗装された道だったが、この後は、建設中の道路にあがったり、降りたり。いや、建設中の道路を通って良いとかびっくりだ。
17時半頃、セルヴェン・ハールガ碑文に書かれているオルズ川(斡里札/ウルジャ川)を渡る。かなり離れているから(地図でザックリ計ると150km)、なぜあそこに碑文があるのかとガイドさんが疑問を呈す。セルヴェン・ハールガ碑文は、我々の渡河点から見ると南東側だから、金に帰る途中で文字を刻むのにちょうど良い平たい岩を見つけて書き付けたんだろう、と想像。
オルズ川を渡った向こう側はズブズブの草原で、至る所で車がスタックしている。我々の車・トヨタ・レクサスも、そのうちの一つの家族の車を引っ張ろうとしたものの、ロープが切れて助けることができなかった。もちろん、運転手さんの腕もあるんだろうが、田圃のようなどろどろの中をずんずん進んで行くってすごいな。今まで持っていたレクサスのイメージが変わった。
だんだん山を登っていくと、一面ニッコウキスゲに似た黄色い花の咲くお花畑みたいな所を通過する。草が伸び放題。水がないからあまり家畜を放牧するのには適しておらず、家畜に食われないから草が伸び放題なんだとか。うーん、遊牧に適した牧地の条件はなかなか厳しいな。取り合いにもなるわな。
19時半頃、ダダルの境に着く。豪雨で削られ、雨で緩くなった所を車にこねくり回され、深い轍が付いたまま固まったり水たまりのままだったりする酷い道を通ってダダルの中心に着くと、突然スゴイきれいな道になっている! 町の中心だけ! そこを過ぎるとすぐにまたがたがた道に。極端すぎる。
20時頃、ツーリストキャンプ・チンギスイン・オトグに到着。またチンギスかよ、と思ったが、管理人さん(オーナー?)の名前がチンギスさんだそうで、それなら、うん、間違ってない。ここは、結構有名なツーリストキャンプらしく、ダダルの観光パンフレットにも載ってた。すぐ下がバルジ川で、管理人さんがバルジ川に沈む夕日の写真を見せてくれる。
ここで夕食。電気は発電機で12時頃まで点灯していたらしい。カメラのバッテリーの充電をしつつ、寝ちゃったからわからないけど。
続く