日本の保守層の国防論がプーチンの考え方とほとんど同じ件について
中国あるいは他の第三国からすれば、岸田さんやバイデンもプーチンと同類扱いされていることに気付いているのだろうか。西側民主主義が絶対正義だと崇拝し、上から目線でミンシュ先進国として世界をリードしている気になっている人たちからすれば、言っている意味がまるで分からないだろう。しかし、実際に岸田もバイデンもプーチンと同じなのである。
彼らはウクライナ戦争開戦当初からブーメランを投げていることに気付いておらず、中国をはじめとする第三国の一定層からは冷ややかな目で見られている。「ミンシュを守るための戦い(笑)」に躍起になっているのは日米欧だけであり、世界の大部分は早くこの茶番が終わって欲しいと傍観するのみである。
冒頭に脚色を込めて多少強めの発言をしたが、「プーチンと同類」という点は紛れもない事実である。これについて一つひとつ説明していこう。
国を守るために戦う
「これの何が悪いの?」と思った方も多いだろうが、ロシアもまさに国防の為にウクライナと戦争を始めたということを認めるべきである。
NATOの拡大や対露ミサイルの配備、クーデターによる親米政権樹立など、ロシアにとっては脅威そのものでしかない。ウクライナ側も国防のつもりで対露強硬路線を取っているのだろうが、ロシアからすれば明確な挑発行為である。日々脅威が増える一方で話し合いも通じない。その結果、ロシアは先手必勝を狙って今回の戦争に乗り出した。
これは現在日本で議論されている「敵地反撃能力」と全く同じ理論である。中国脅威論を唱え、話し合いによる解決を放棄。「国防の為の攻撃は攻撃ではない」というプーチンと同じ理論を掲げ、核シェアリング、ミサイル配備を進めようとしている。国を守るために他国を攻めることを正当化している時点で岸田もプーチンと同類なのである。
「日本は自分から他国に攻めることはない」という反論がせめて欲しかったのだが、昨今の言論人の論調や、Twitter、youtube、ヤフーニュースのコメントを見てみると、先制攻撃する気満々なのがうかがえる。
また「国防の為」「ミンシュの為」に他国へ積極的に軍事介入を行っているアメリカに同調している時点で、「日本から他国に攻めることはない」という主張は説得力がまるでない。
日本から自発的に動くことはさすがに考えにくいが、アメリカと共に先制攻撃を仕掛けることは内閣の間でもさすがに想定はしているだろう。いやそもそも先制攻撃を仕掛けるために憲法改正を急いでいるようにも見える。
昨今の戦争はほぼ全てがこの「やられる前にやれ」で始まっている。その最たる例がイラク戦争と今回のウクライナ戦争である。
なるほど戦争をすることが前提であるならば、「やられてからでは遅い」という主張は理にかなっている。非常に論理的な意見である。
しかし、そもそも戦争を始めることが議論の前提になっていること自体がおかしいということに気付いた方がよい。結局プーチンのように「力による現状変更」が外交の基本姿勢になっているのだ。
国を守ることは確かに大事だが、「力による現状変更は到底容認できない」と言うのであれば、なおのこと平和外交に精進すべきではないのか。
一応言っておくが筆者はロシアを擁護するつもりは毛頭ない。むしろ日米欧中露すべてを含めて、「抑止論」という軍事大国で主流となっている国防政策に強く異を唱える立場である。
日本の保守層は、日米欧の国防政策は正当化する一方で、中露も同様の理論で国防政策をしていることには非難を強めている。このダブルスタンダードの言い訳として彼らが常に使う言葉が「ミンシュ」と「ジユウ」である。しかし、これは明らかな論理破綻である。
国を守る大義名分に政治体制は無関係であり、論理的に全く反論になっていない。そもそも他国に軍事介入をする行為に自由も民主もあったものではない。
そのような中身の無いジユウやミンシュは誰でも言い訳として使うことができる。現にプーチンもジユウとミンシュの為に戦争を始めた。
相手視点で物事を見ていない
プーチンが唱えるNATO脅威論の反論として「そもそもロシアが軍事的に威嚇をしてくるからだろ」と言う人もいるが、この指摘はある面では正しい。プーチンの国防論は自分視点でしか物事を見ていない。ウクライナやNATOに脅威を抱くのは分かるが、自身もまた彼らに脅威に思われているという視点が欠如している。
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