鈴芽かわいいよ鈴芽

前置きは少ない方がいい。
基本は時系列順に並んでいます。シーンが飛ぶ時には少し行間をとっています。

可愛いね。とりあえず一番浅いところから。
本編の序盤で、鈴芽(以下漢字)の寝室に散らばっている教科書・参考書の類が目につく。これが程よく等身大で、もしこれが整理整頓された部屋だったら、少し感情移入するのが難しかったかも。

草太を探す時、「私、どこかであなたと会ったことがあるような…って、コレじゃナンパか」って言うんですね。
『常世で見た景色は、永遠にすずめの胸にきざまれる。 8/30 新海』
普通に流してたけど、後から「新海誠本」を読んで気づいた。

「小学生のわがままか」(うろ覚えだけど、こんな感じの台詞だったはず)
 これ、あまりにも鈴芽の母性を表しているだろ

草太が椅子に変えられてしまったことで、同行する鈴芽は戸締まり関わる必要に駆られる。これを鈴芽が望まなかったとは思えない。鈴芽は度々、その非日常に対して期待に胸を膨らませつつ、その非日常の中の様々な出来事を乗り越えていく中で自己肯定感のようなものを身につけていく。こうして身についた自信が、悪い言い方をすれば楽観主義(勿論実績によるものなんだけど)が、鈴芽を芹沢の車に乗せたと言うのは過言だが、理由の一端としては十分なんじゃないかしら。

民泊での一夜、千果とのやりとりの中で、多分初めて明確に草太が男性だってことを意識したんじゃないかしら。これまで、鈴芽の中の草太像は「謎のイケメン」→「わんぱく小僧」みたいな変遷を辿ったはず。遠すぎる距離感が一気に近づき、鈴芽の人生の中で特例たる草太へのイメージは千果との会話で少しずつ彼女の中で咀嚼されていく。「同行する男性がそういう属性を持っている」と理解した時、同行する男性=草太に対する親密さも彼女の中で増す。なぜなら、草太の中の相反する面を知っているからだ。きっと、鈴芽は旅する上での安心感もここで得られたんだろうな。

ルミのスナックで鈴芽が戸締まりに行った時、草太は子供達の前で生きている椅子として振る舞った。戸締まりの際にはダイジンとの鬼ごっこを繰り広げる中で自分が椅子の体に慣れていることに気がついた。帰ってきて食事のシーン、自分の上に鈴芽が座った草太は完全に椅子だった。
なんとなく、この場所では草太が椅子になっていることをより強く確認させられた気がする。

東京で草太が教員になろうとしていたと知った時、鈴芽が草太を叱りつけていた。草太が人生の階段を踏み外す原因になってしまったと感じた焦りとかもあるだろうな。環の人生にも大きく影響を与えてしまっている鈴芽は、他者の人生に深く干渉することに対する忌避があるかもしれない。

SAにて鈴芽と環の諍いが発生した原因はおそらくサダイジンにある。なんでサダイジンなんですか?ウダイジンじゃダメなんですか?ネーミングに関してこんなこと言うのナンセンスだけど、思わずにはいられなかったね。そういう考察とかでなく、単純に言葉遊びとして。思えば、サダイジンは最終的にモロになるわけだけど、ああいった動物がもつ威厳たるや。通常サダイジンのフォルムと性格のギャップとかについても、万感でございます。

常世(とこよ)、かくりよ(隠世、幽世)とは、永久に変わらない神域。
wikipediaより

常世で幼少鈴芽と現在鈴芽が出会う。同じ扉を開いているから、常世のスポーン地点がほぼ同じなのも納得だ。ここで、常世と現世に時間の流れにおける差異について考えると、2パターン考えられる。
①常世では時間が止まっている
 現世の今日常世に向かった人と、現世の明日常世に向かった人が出会える。
②常世に向かった時、ランダムに時間が決まる
草太は、ミミズの暴れる時期にある程度の周期があると発言しているから、おそらく①である。
であれば、その地で常世に向かった全ての時代の人間は鈴芽と出逢える可能性があるが、常世には2人の鈴芽と草太しかいない。
扉を越えたのは、後にも先にも鈴芽と草太だけだったと考えると、鈴芽の思いの強さを感じることができる。健気だなぁ。


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