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介護保険で住宅改修 母のために引っ越し、引っ越し Part 1

私が就職し家を出た後、山あいの田舎町で、母は長く一人暮らしだった。
20年ほど前、貧血と肺炎で入院した母を、もう一人で置いておけないと、再び2人で暮らすことを決断した。
母が住んでいた住宅が取り壊しになるということもあり、私の住む都市部に移るよう説得して、引っ越しすることとなった。

私がそれまで1人で住んでいたアパートは、2人で住むには狭い。
あちこち回って、4階建てのアパートの2階、3DKの間取り、新しくはないが交通の便がよく、まあまあの物件を見つけた。
1階にある不動産屋さんが大家さんで、もし万が一の時は何か頼りになる気もした(事実、色々お世話になりました。ありがとうございます)。
しかし、
その時の私は高齢の母のことなど、何も考えちゃいなかったのである。
部屋は2階だったが、エレベーターは無し。階段には、手すりすらもない。
部屋の中は、段差だらけであった。
その時の母は、足腰もしっかりの元気者であったので、うっかり者の私は、母が高齢者である、ということを失念していたのである。

10年程経って、母は、階段の登り降りがきついと言い出した。何とかしなければと思いつつ、生活に追われて延ばし延ばしにしているうち、母がキッチンで転倒し、圧迫骨折。
痛みがある中、それでも杖を使用して、どうにか自力で階段を登り降り出来たのは、生来の身体能力の高さゆえであろう。

公営住宅への申し込みを続けてはいたが、抽選式のためなかなか当たらない。民間のアパートも検討してみたが、なかなかヒットしない(経済的な余裕がないのが1番の原因)。
焦った。焦っても、いかんともし難い、というような日々が続いた。

圧迫骨折の後半年ほどたった頃、母は酷い腰痛を訴え、それはなかなか治らなかった。
週に一度のデイサービスにも、行けない。
いよいよ、私は焦りに焦った。もし車椅子というような事になったら、階段を、段差だらけの部屋を、どうすればいいのだ。

とにかく階段がないところ。寝ても覚めても、そればかり考える日が続いたある日、

貸家あり

近所の家の塀に貼ってあった貼り紙。
しかも連絡先は、今いるアパートの1階の不動産屋さんではないか。
平屋の一軒家なら、階段は無い。
ピンと閃いた。(今頃?)
いけるかも。
家賃も今より安い。
その貸家は、その時のアパートのすぐ近く、100メートル程の距離である。引っ越しも楽ではないか。
不動産屋さん曰く、大家さんはすぐ裏に住んでいるそうだ。築40年ほどで、床などはリフォームして段差はあまり無いと言う。
早速、見に行った。
当たり前だが、古い。思いきり昭和の佇まいだ。まあ、それは仕方ない。目をつぶろう。
古い台所の流しは取り替えてくれると言う。お風呂は昔ながらの深い浴槽である。母の入浴は無理だろう。しかし、デイサービスで入浴させてもらえば、問題はない。
トイレは段差のある和式で、改修しなければ使用は難しい。

介護保険で住宅の改修に、20万円分の補助が出る(本人負担が1割なので、実質18万円の給付)。
不動産屋さんが、リフォームも取り扱うので、工夫して安く仕上げてくれるという。
不動産屋さんの提案は、タイル張りの段差のある床を、フラットな板張りの床にして、洋式便座に変える、というものだった。
お任せすることにした。
見積もりは20万を越えそうだが、それは致し方ない。それでも格安であろう。
介護保険住宅改修費の限度額全額をトイレに使うため、手すりなどはレンタルで借りることにした。

母の腰痛は長引き、芳しくない。
行きつけの病院に入院させてもらい、治療とリハビリを受けることになった。
母の入院中に、引っ越しを決行する。

寒い2月の頃だった。
よく見ると、南の和室の部屋の、窓ぎわの畳がかしいでいる。
押入れは、カビ臭く、気が滅入る。
敷居が長年の使用で削れて、角が取れている。
やたら窓の多い作りで、隙間風が吹き込んでくる。

思い切って引っ越しを決めたものの
前途多難な予感しかしなかった。
取り敢えず、階段の登り降りの心配だけは無くなったのだが。

part2に続く。






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