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自分はここにいてもいいという安心感って本当に大切 13

居場所がないと感じる時

例えば、周りが全員敵に見える時
自分には見方がいないと感じる時
迷惑そうな顔をされた時
腫物を扱うように扱われた時
失望させたと感じた時
自分に出来る事が何もないと感じた時
相手の負担になっていると感じた時
今いる場所でリラックス出来なくなった時
愛されている実感がない時
自分に自信がない時
こんな自分がここにいてはいけないと思う時

そう、こんな自分がここにいてはいけないと
自分で思った時に居場所がなくなる周りが全員敵に見える時


自分には見方がいないと感じる時→敵陣で寛げるか?
迷惑そうな顔をされた時→迷惑をかけたくない
腫物を扱うように扱われた時→気を使わせたくない
失望させたと感じた時→無能は一緒にいる資格がない
自分に出来る事が何もないと感じた時→無能は一緒にいる資格がない
相手の負担になっていると感じた時→迷惑をかけたくない
今いる場所でリラックス出来なくなった時→敵陣で寛げるか?
愛されている実感がない時→愛されてないものは優しくされない
自分に自信がない時→無能は一緒にいる資格がない

無能とは?
→相手の役に立てない事

相手の役に立てないと、そこにいてはいけないのか?
→そんなことないはず

ゆっくり頭を整理すると
いつも同じような答えにいきつく

「誰の人生なのか?」

自分は常に相手の得となる存在でいないといけない
という、無意識の考えにしばられている

だけどここが難しいところで
言葉では分かっていても
なかなか根が深い
なかなかに手ごわい

私が自分の頭で頻繁に行う反省会は
結局この言葉に行き着く
「誰かの為にならなければ、生きていてはいけないのか?」

そして、頭では分かってる
「生きているだけで、自分には価値がある」って

だけど、誰しも気持ちに波があるように
嬉しい事もあれば、辛いこともある
上手くいく時もあれば、上手く行かない時もある

その上手く行っていない時に
じわじわと上がってくる、自分の価値のボーダーというか
周りにとっての自分の価値のハードル

上手くいっている時には感じない価値のボーダー
上手く行っている時は、無敵
何でもできる気持ち。そんな時周りの事なんて考えてない

問題は上手く行っていない時
自分はここにいていいんだろうか?
どんな些細な出来事も、ここの問いに繋げてしまう
それも無意識に
勝手に周りの評価が気になって
勝手に周りからの自分への評価基準を作って
それをどんどん釣り上げて
自分に厳しく厳しく評価していく

そして自爆する
他人からの攻撃よりも
何よりも強い力で
自ら煮詰まり
自ら自爆する

そしてそれは周りにとっては「何で?」という感じで
「もう少し早く相談してくれれば良かったのに」となる

「気づいてあげられなくて、ごめんね」とまで言われる

そこで初めて
「あっ。自分にも味方がいたんだ」って気づく

でも、そういう時って、ずっとずっと考えて
煮詰まって、今に至るから

「そっか。味方いたんだ」とは思うけど
もう引き返せる場所にいない
そのコミュニティに対しての気持ちはなかなか戻らない

だってもう、自爆してしまっているから
誰から頼まれたわけでもないのに

勝手に煮詰めて、勝手に自爆する
誰からも何からも刺激を受けたくなくなって
自然の中に静かに身を置きたくなる

でも一生そうなんだろうなとも思う
良い波が来た時は、無敵に
悪い波が来た時は、良い波が来るまで必死にもがく

もがかなくてはいけないのか?
多少はもがいて成長する事もあると思うけど

目標としては、悪い波にぷかぷか身を任せ
「なるようになる、いつか明けるさ」
とコツコツ目の前の事をこなせる様になりたいな

だって一度きりの人生
楽しい時間が1秒でも長い方がいい

同じような思考回路に至ったことがある方
もし余裕があれば
ぜひコメントか、同じテーマでの投稿待ってます

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