若い頃は、体力があったから、 悲しみも、食べたり飲んだり寝たりで、消化できた。 若い人からみれば、私はおばさんで、お年寄りから見れば、まだまだ若造である。でも、鏡をみて疲れ切った表情、携帯の操作にモタモタしたり、買いたいものも実用品に限られてきた私は、もう決して若くない。 でも、生きていかないと。 だから無理しないで、自分をヨシヨシしよう。
とりあえず、より良い人生にしようと決める。 自分と仲良くする。 今までの決断が、bestとは言えなくても、betterだったと思う。 毎日、めんどくさいことばかりでも、生きていることに感謝する。 ささいなことに幸せを感じることを大切にする。 これは自分への手紙。
どこにでかけたでもない 若くもない なにも自慢することもない そんな自分に花丸をあげよう
友達にLINEしても、バスに乗っても、仕事してても、食事をしてても、寝るときも、涙がにじみ出そうになる。 寂しさは、本を読んだり、アイスを食べたり、散歩をしたり、自分で癒やしていくものなんだなって思う。 人を頼りにして失敗したり、余計に悲しくなったり。 それでも、今日、今週を無事に生きられたことに、感謝しよう。
歳のせいか、昔の友達と連絡をとりあうことが多くなった。 その時は、一生懸命、自分なりに友を励ましたのだと思う。その気持ちが嬉しかったよ、と何十年後に言われ、すっかり忘れていたのに、その時のまっすぐな自分に、今救われた。 どうしようもない虚無感に襲われるのだが、明日を生きる力をくれた昔の私にありがとうを言おう。
紫陽花の綺麗な季節になった。 通勤にバスを使うようになり、外を眺める時間が増えた。 ぼーっとバスの窓から外を眺めていたら、自転車の後ろに乗る2歳くらいの子と目が合い、手を振ってくれたので、私も手を小さく振った。きっとお母さんも気づいていない、秘密のコンタクトだった。 私は、若い男性にはあまり好かれなかったが、子供とおばあさんには好かれる。良く道を聞かれる。なぜかしら。 夏の始まりの夕焼けは、水色とオレンジが混ざった、水に桃を浮かべたような空だった。母と夕暮れを楽しむひと
今日は、1ヶ月前に一株だけ植えた、バジルがスクスクと成長して、沢山収穫できたので、初めてジェノベーゼに挑戦🔰。なかなか上手にできて、老親も喜んでくれた。 昨日は、聖子ちゃんのコンサートに参戦。なんとおよそ30年ぶりに行ったのである。 懐かしい歌の数々。今聞いても全然色褪せない。聖子ちゃんは、よく言うのであろうが、歌の中の主人公は、歳をとらないかわいらしい少女のまま。すっかりおばさんになった私(好きでおばさんになったわけではない)も、昔の自分に戻れる。 そんな風に、タイムスリ
小さな幸せを感じ、なんとなくほっこりし、なんとなく幸せな気分になるのが、とてつもない多幸感なのでは。 季節の移ろいを感じ、空や花を見つめ、たゆみない成長を感じる。朝の静けさを感じ、雨音を聞き、そんな感受性をだいじにしよう。
実家の捨て活に疲れた話。 だいぶ前に、お姑さんの家の片付けを手伝ったことがあるが、片付けしても全く喜ばれないし、人の物を捨てる罪悪感で、途中であきらめた。 そして、今度は自分の親の番。 母は、器用で何でも手作りした人で、飾るのも上手だったが、全く捨てられない人になってしまった。驚愕である。 私は、掃除も片付けも、苦手であるが、物が増えることが苦痛である。そんな私も、昔の写真を見ると、子供が小さいのに、部屋が片付いていた。私自身も歳をとった。老いるとは、そういうことかと思
只今、実家の片付けにいそしんでます。 まず、捨ててもいいか、お伺い。なかなか、老親は決心がつかないらしい。 というとこで、まずは自分の古本を整理。思い出にまみれた、作文集など読みふけり。 そして、古いスプレー缶、洗剤類を捨てる、分別表とにらめっこ。 こんなとこにも、棚があったのかと、愕然とする。捨てても捨てても、追い付かない。 これは、ひとえに広い収納場所があったから、と思う。見えなくなると、片付いたと思うんだろうな。 私も、体力的に何年片付けられるんだろう。 ま
色々あって、地方から、首都圏の実家に帰ることになった。 自分で決めて、それなりの傷も覚悟したつもりではあったが、なかなか立ち直れそうにない。 一つ良かったこと ラジオの番組が沢山聞けること。 昨日聞いたラジオで流れてきた曲。80、90年代ポップス特集で、 松本典子さんの 「さよならと言われて」 が、流れてきた。懐かしすぎて涙腺崩壊。 ユーミンの作曲だとは知っていたが、銀色夏生さんの詩だったとは。 そして、安全地帯の 「悲しみにさよなら」。 また、涙腺崩壊。 泣
自分で決めても、 人に相談しても、 悩みを解決する、100%の答えははい。 できることをやって、 自分の心が折れそうになる前に、 なるように、なる。 そう思おう。
今できることを、今やろう。
普通がいちばん幸せだよ、 って親に言われて育ってきた。 そう思って、生きてきた。 でも、普通に、はみ出さないように 生きてるつもりだけど、 はみ出している。 はみ出さないように、繕っているけど、 それはほんとの私なのか。 息子にも、普通を求めていたが、 彼は、どうも普通が嫌いらしい。 私は、普通に目だたなないように生きたいのだけど、難しい。
寂しさって、フッと訪れる。 一人でいても、家族といても。 理想と違っても、思い通りにいっても、 楽しい時間を過ごしても。
結婚がすべてだった時代(だと思われる)、独身の彼女が書いた小説は、結婚がテーマになっている。 若い頃、卒論のテーマに選んで、若僧(若娘?)の私は、奥深さがわかってなかったように思う。理想的な結婚を追い求めるばかりに、独身であったのだろう、とか。 今は、そうは思わない。結婚が必ずしも幸せなものとは思ってなかったのかなあ、なんて。 幸せって、自分軸で決めるものだから。 彼女の世界は狭い。 私の世界も狭い。友達も10人いるかな?って感じ。 聴覚優位のせいか、そんな狭い中でも、聞こ