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お前はもう死んでいる

少年ジャンプで人気を博した『北斗の拳』の有名なセリフです。
実はこの漫画の連載は1983年から1988年なんです。
私1989年の生まれなので普通の漫画だったら私が知ることは無いと思うのですが、私が保育園児の頃にアニメをしていましたから相当な人気だったことが伺えます。
*ちなみに漫画は読んだことがありません。
子供の頃から強い大人、カッコいい大人に憧れが強く、ケンシロウやドラゴンボールの孫悟空、悟飯など異次元の強さを手にしたいと思っていました。
そんな憧れの存在、ケンシロウの言葉は相手の肉体を破壊するときの決め台詞としてだけではなく、もっと深い意味があるんじゃないかと思うこの頃です。

死んでいるのは肉体だけ?

ケンシロウのこの言葉は経絡秘孔(けいらくひこう)という人体の要所を突くことで人体を破裂させる訳なんですが、その際に相手が状況を理解できていない時に『もう貴方は死んでいるのですよ。』という声かけでもあります。
その後肉体は見事に炸裂し死に至る訳なんですが、少年時代は何も感じませんでしたが今改めて考えるとケンシロウが死んだといっているのは肉体だけではなく心の事も言っているのではないかと思うのです。
お前が悪事を働かせることとなった元となる『心』は死んだという事です。
つまり、自分が拘っていたものや、信じていたもの、恥ずかしいと思っているもの、カッコいいと思っているものは全て『心が作っている虚像』みたいなものであって、その心が死んでしまえば全てなくなりますよ。という事なのかもしれません。
*肉体も死んでしまうので、何も考えられなくなるのだと思いますが。

絶命するときの叫びは北斗の拳独特のモノ。

自分が感じているものは虚像

心が死んでいるものだと思えば、今私たちが感じているものは何なのか?となると恐らく虚像なんだと思います。
ある方の話では、『心はどこにもないんですよ。』という事でした。
言われてみればその通りで、心臓=心という等式がイメージされますが違います。
私たちが普段使っている心とは経験則・好き嫌い・知識などが複雑に絡み合い脳によって考えられた答えだと思います。
その計算や判断があまりにも瞬間過ぎて、自分では『考えた』という認識ができない為に『心が感じた』という表現になっているように感じます。
という事は、自分が感じたと思っているものは経験則上の好き嫌いを瞬間的に脳が判断しただけであり、実は虚像なのではないかと思います。
ただ、そうはいっても自分が好きだと感じているものまで理屈で否定する必要はありませんので所謂負の感情に対しては虚像だと思えばいいと私は思います。

「心はどこにありますか?」の質問にはハッとさせられました。

特に恥ずかしさ、畏れ

私は昔から常識的に生きたいと思っており、人と違う事をすることに恥ずかしさを強く感じるタイプですし、新しいことに対しては得体のしれない不安を抱え行動がとれないタイプでもあります。
これをGHQ以降の学校教育のせいだ!という事もできるのかもしれませんが、自分の感じるものに対する対処はその人自身の問題でもあると思っています。
この恥ずかしさや畏れに結構邪魔されたり、この感情に触れないように行動すると非常に活動範囲も活動内容の深さも大きく変わります。
そして当然その結果として歩む人生にも大きな影響を及ぼします。
人と一緒である必要はありません。
恥ずかしくなんてない、畏れるものは何もないんです。
それは我々の心が作り出している虚像だから。
そしてそもそも心そのものが虚像です。
『お前はもう死んでいる』という事です。
さぁ、己を開放し隠れた能力を最大限発揮するのです!
・・・宗教っぽくなるので、ここでやめておきます。

私も恥ずかしいと思うタイプであることは認識していますので分かりますが、大体の原因は自意識過剰です。
常に周りの目や評価が気になっているだけで、良く思われたいから常識的に振る舞い自分を守ります。
…が、実は周りは私やあなたの事をそれほど見ていません。
だから、恥ずかしいと思っているのは私やあなただけ。
逆にそっちの方が恥ずかしいですね。
という事は、そんな事を気にせず自分の思う通りに、楽しいと思う方向へ進めばいいんだと思います。
その方が後悔せずに済みますよね。

法律に触れることは恥ずかしい感情が無くてもやめましょう。家庭内で留めてください。

他人の人生の様に自分の人生を生きる

これは逃げの言葉として使っている訳ではなく、自分の人生を客観的に見た時に先ほどの恥ずかしいや畏れという感情は大した問題にならず自分の思うがままに人生を歩めると思っています。
私は中学生の時に森絵都のカラフルという本に出合いました。
本の終盤でこんな会話があります。
*全体のストーリーが掴めていないと意味が伝わりにくいのですが、ご了承ください。

A:『自分のことってなると、やっぱりそうはいかないよ。いろいろ慎重になるし、不安にもなる。ケチにもなるしさ。』
B:『ホームステイだと思えばいいのです。』
A:『ホームステイ?』
B:『そう、あなたはまたしばらくのあいだ下界ですごして、そして再びここへ戻ってくる。せいぜい数十年の人生です。少し長めのホームステイがまた始まるのだと気楽に考えればいい』
A:『できるかな?』
B:『ホームステイにルールはありません。与えられたステイ先で、だれもが好きに過ごせばいいのです。ただし、自分からリタイアすることはできません。』

森絵都『カラフル』から抜粋
2021年に映画化もされているみたいです。

人を傍から見れば『何をしょーもないことで悩んでるんだ?』と思ってしまうことってありますよね。
これは私達も同じことです。
だから自分を他人の様に見て、人の人生だと思って少し無責任に『やってみよう!』と動いてみるくらいがいいんじゃないかと思います。
これをカラフルの中ではホームステイと表現されており、自分の人生を大切にし過ぎないという事を言ってくれています。
人生ずーっと守りに入るんじゃなくて、自分の思う事を思うようにやってみた方が苦しくなくていいですよね!

常識人を気取る守りの自分にサヨナラ!

今日でお別れだ。



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