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全ての人の倖せを追求する

弊社の目的は『全ての人の倖せを追求する』ことです。
今行っている事務機製造の事業も上記の目的の中で、働く人の倖せを追求する為に行っています。
私の曽祖父の時代から事務機を作り続け、現在の社長が4代目となります。
109年も事務機を作り続けてくる中で時代は大きく変わってきたようです。

曽祖父の時代

兎に角、モノが日本にない状態。
弊社が事務機に参入するキッカケとなった『ハトメパンチ』も当時は海外からの輸入のみで国産が望まれ、鍛造技術の技術者でもあった曽祖父に依頼があり国内生産が実現したようです。
第二次世界大戦中の大阪空襲で工場や焼け、リヤカーで大阪から京都へ資材の入手を求めて歩いて移動したそうです。
何とか京都で活動を再開するも、空襲のショックもありお亡くなりになります。
今では大阪~京都間は電車で30分程度、車でも1時間程度ですが、空襲を受けた後の道を重たい機材を積んだ状態で歩くというのは本当に大変なことだと思います。
社会が便利になるにつれて人間は弱くなっていると耳にしますが、本当にその通りだと思います。
まず肉体。
歩くという習慣がない。
たった1㎞程度でも車や電車といった乗り物に乗ることで歩かない。
それと、精神。
これは自分の意思を強く持たなくても経済的な援助を受け、人間的に成長しなくてもそれとなく生きていけるようになってしまいました。

焼け野原からの復興は、精神も肉体も強い人達がいたからこそ。

祖父の時代

資材が揃ったものの、世の中がまだ貧しく世の中がモノを求めていた時代。
質の高い商品がより安く、より早く世の中に供給することが求められていました。
朝礼に向かう時も解散した後も『歩くな、走れ!』という声が掛かっていたようです。
この頃はまだ日本全体が裕福ではなかった為、会社を経営される方の元には親族が集まり共に仕事をする方が多かったようです。
組織は完全に縦の組織でした。
ユニークさが求められることは無く、会社の指揮命令に素早く正しく動ける人材が求めれたようです。
CMでもあったように『24時間戦えますか?』と、プレイべートと仕事の両立というよりは仕事に全霊を掛けることが求められた社会でした。

24時間戦っていた人達がいる。

父の時代

モノが世の中に行き渡り、そのクオリティやバリエーションが求められた時代でした。
それまで少品種大量生産で対応してきたが、多品種少量生産で対応する必要が出てきたが基本的に『ロットを増やし安く作る』というマインドは変わらず価値を高めるという考えには至らない企業が多く見受けられます。
更に資本主義が引き起こした社会課題が顕在化し、社会全体がこのままの消費行動や企業活動ではいけないという風潮が流れ、SDGsを含めた環境に配慮した企業が好まれるようになりました。
単なるモノを生産するのは設備を持っていれば簡単にできるようになってしまい、自社で企画したものもすぐに類似品が出てしまい優位性が保てません。
どんな企業が、誰に向けて、どんな課題を解決し、どんな目的に向かって、この製品を作っているのか?が求められる時代になってきました。

SDGsってこういう風に分類されるの知らなかった。

私が聞いてきた時代は、この程度です。
まだまだ過去を深く調べ、自分なりの解釈が増えなくてはいけませんが現在勉強中です。

それにしても戦後モノが無かった時代から考えれば、劇的に人間の求めるものは変わったなと思います。
意味や人の想い、持続可能性など、モノではなくその背景にあるものが重視されるようになりました。

外見が変わるのは時間が掛かるけど、習慣や文化が変わるのは結構早い。

さて、私たちの時代

正直言って、全然わかりませんが今よりは『一人一人の倖せ』が重視される世の中になるのではないかと思います。
というより、そうなるようにしていきたいと思います。
今は倖せを感じられる人間と、感じられない人間が両極端に分かれているように感じます。
社会的な仕組みも再構築する必要もありますし、今以上に経済的な格差が開くことが無いように企業の得た利益の分配もバランスを考えなければなりません。
それ以上に、企業の提供する商品やサービスでどれだけの人が倖せを感じられる状況を作り出すのか、その状態に近づくものなのか?をもっとシビアに考えるようになったらと思います。

提供するサービスのプロセス、サービスの内容、企業の目指す目的、全てにおいて『自分と周囲の人が倖せであること』と照らし合わせて、心から共感できる消費をしていくようになればと思います。

価格が安くても、大量に作られていても、そのプロセスやサービス/モノそのものには意味があります。
その意味をしっかりと汲み取る消費者側の意識が高まると同時に、企業側もその要求を受けて変化していくのでは無ないか?
そして、その意味が認められなければ社会に存在できなくなる。
これは淘汰されて当然だと思います。

こんなマネーゲームではなく、意味を重視した社会に!

今存在する企業については、現時点で何かしらの意味があるものとして世の中に受け入れられています。
同じ意味が受け入れられているのであれば、その意味をもっと自分たちが誇れるものにしていませんか?
一体、自分たちの持てる力で、自分たちの組織の力で、どんな人達に、どんな意味を与えられるのか?
消費者の意識が変わるから受け身で企業が変わるのではなく、企業の本来の存在意義である『社会の公器』を果たせるよう自ら変わっていきましょう。

弊社は『全ての人の倖せを追求する』、これを目的に事業を行っていきます。

素晴らしい偉人が私たちに道を残してくれている。


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