見出し画像

発達障害者は正論を言うことが多いから嫌われるのか?②~おばはんショック~

こんにちは、里村です。
昨日に引き続き、発達障害者は正論を言うことが多いから嫌われるのか。をネタに書いていこうかと思います。ちなみに、脂身で具合悪くなった案件は、昨日夜まで継続。いやぁ。まったくもってひどい目にあいましたぜがはは。

 発達障害のとんでもないおばはんの話の前に、様々な人が働いているという私の職場で、病気や障害を抱えた方はどんなふうに勤務しているのかを簡単に紹介。

①躁鬱持ちのAさん
・常勤だったけど、鬱の悪化で入院。
・退院後は、非常勤として勤務。週5日。
・調子悪いと週3日とか休む。
・休みが読めないので確実な頭数として期待できない。
・苦手な職員がいる部署では働けない。
・口が悪いところもある。
・自分より経験のない人に高圧的に出ることも
・手先が器用で、壁面クッションや簡単な加工物はお手の物。

 休みが読めず、全体の勤務調整の際に困ることはあるが、手先の器用さや、丁寧な仕事のおかげで助かっている。戦力。

②躁鬱持ちBさん
・躁鬱持ち。
・社会経験も多くない。
・躁になり何でもやるが、翌日に反動で休む。
・自分の状況が不安になると1月来ないことも。
・不安から仕事の途中で逃げだしたことあり
・力仕事や車関係、外作業に強い。
・荷物運びも大得意。
・利用者にも優しい

 休みが読めず、全体の勤務調整の際に困ることはある、非常に打たれ弱く、きつくなると逃げるが、草刈り車の整備、荷物運び、力仕事と、役職者や常勤勤務者が手の届かないところを行なってくれるので非常に助かる。

③発達障害Cさん
・不注意、確認漏れ、凡ミス多い。
・あいさつができない。
・会話も不得意。
・真面目。遅刻はしない。
・やる気あり
・2.5次元の話になると超饒舌

 Cさんとは直接的な関わりが少ないの手このぐらいの内容だが、仕事でミスは多い、忘れっぽい、パニック起こすとごまかす、などなどあり、現場でも無理じゃないかという声もあったが、ちゃんと休まずに出勤してくれて、本人がこなせる業務を中心に組み立てることで、今も働いている。めったにないが、話しかけるとちゃんと受け答えしてくれる印象。
 ちなみに正論をズバズバ言ったりはしない←

 他にもいろいろやらかしてしまったこと、同僚の車に突っ込んで逃げてばれたやつ、仕事がやり切れずにトラブルになった人は居たが、勤務を切り替える、それぞれが得意なことをガンガンやらせ、苦手なことはやらせないというある意味割り切った方法で、仕事を回している私の職場。
 もちろんいいことばかりじゃない。オールマイティにできる人への負担はどうしても増えるし、休まれて勤務に穴開けられることで、残業や時間外勤務が増えてしまう。不満はあれど、その不満に対しては、それぞれが得意分野で穴埋めをしていく感じ
 そう、真面目に来て、対人関係でトラブル起こさなければ、どんな人間にも居場所がある職場なのだ。あきらめさえしなければ、小さいことでも評価してもらえるのだ。そして、自分の得意分野を最大限に生かすことができる場所でもある。
 おかげで私もある程度のポジションで生きている。


 さて、上記を前提に、某施設に入り込んだおばはんについて語っていこう。
 年齢50代。
 勤務日は週3日。
 そこの事務員はおかしいひとセンサーが優れているので、この人やばいと思ったら必ず採用にストップをかける。大体そのストップを聞かないと、トラブルに見舞われる。1日でバックレたりとか。そゆの。
 ※私の施設でも人材紹介で逃げられて、保証がなく会社に金だけ持っていかれたこともあった。保証があっても、返金期間が過ぎたとたん辞めるとか。おいおいって話も多かったな。
 しかし、このおばはんについては、完全にそのセンサーを回避。何事もなく採用されてしまったようだ。

勤務開始1~2か月
・普通に働いてた
・しかし、物覚えは悪く、何を言ってもすぐ忘れる、メモをしない、一個一個の仕事の手順が覚えられない。といった様子は見られていた。

勤務開始3~4か月
・仕事ぶりに改善がみられない。そろそろ仕事できないのが問題視され始める。利用者と会話もしない。対応から逃げる※防犯カメラでその様子も写っていた。
・話し合いを行なうが改善どころか、他者の粗探しを開始。しかも上司がその粗探しを受け取り、現場に改善を求め始めた。ここで、自身の指摘が受け入れられることに気づき、仕事そっちのけで他人の監視を開始。(確かにその時の現場は足りない部分が多く、指摘事項の3割は正しかった。)
・ついには、不満がありますと言って、勤務時間の全部を施設長と話し合いをしてた。つまりは、話をしているだけで一日にの勤務が終わりということだ。給料…!

この時期の話
とにかく現場の人間、同じ場所で働く人には対話や会話をしない
注意をされれば、「相手が」きついと、「施設長に」訴える。通常は現場リーダーに話すが、それができない。話し合いができないのだ
・そこの施設長は人の話を聞くのが好きなのと、現場の内情を自分に知らせる駒が欲しかった。そして、その駒をうまく使い現状を打破しようとしたがそんなことうまく行くはずがない。話題に上がる内容をミーティング等で責め続けた結果、次第に周囲が委縮し始める

勤務開始5~9か月目
・他者の業務内容に関してどんどん口を出し始める。もちろん自分は仕事をしない。
自分の話をすると話題を変える
・責任転嫁を始める。
 時間を見て動け時計がないのが悪い。自分の為に時計を買え。※ちなみにその場所には時計がある。それを指摘しても、この位置に置かないと自分は見ないと言い張る。
 エレベーターが故障中で、乗ろうとした際に注意される⇒電気代がもったいないから全面的にエレベーターの使用をやめるべき
  何か自分のプライドを傷つけることが起きると、その相手を落としいれる。
 etc… etc…
・とにかくああ言えばこう言う。まともな話し合いになるはずがない。相手に自分の要望を聞かせるのが目的で、自分の行動を正す必要があるとは思っていない。そして、自分は仕事を確実にこなしていると思っていた
 こなせていない現実を見せても、それをうまく他人のせいにする。話をひたすら蒸し返す、話題をスライドさせる。と、今の反ワクチンや反マスク派の話術に近い論法を繰り広げた

この時期の話
何度か自分の指摘で現状が変わってしまったことが本人にとって快感で役割と勘違いをした。そこの施設長も本人の話を真面目に聞きすぎたし、利用しようとする相手を間違ってしまった。しかしこの時期から、施設長にも噛みつき始める。法人上層部と話をさせろと凄んでいたらしい。
若い子がちらほら辞める。優秀で優しい子だったようだ。
※結局、そこの施設長は守らないといけない人材を間違えた。また、食って掛かり方から言って、労働問題に発展することを恐れたのもある。とにかく言いなりになっていたが、だんだん要望が受け入れられないとなると、ひたすら長文の手紙を書く、とにかく長時間話す、を繰り返し始めた
・複数で話をしていたがそれを拒否しはじめる。単独で話をし、話の内容をうまく改ざんし始めた。言った言わないでトラブルになるのもこの辺から。
・そんな状態で働きたいと思う人はいない。当たり前だ。
・ただ不満をぶちまけるだけで給料がもらえるような職場、自分が好き勝手言うことを止められない職場はさぞかし居心地が良かったろう。文句を言いながら、時には他の職員に退職を迫るという暴挙をしながら、決して自分は辞めるとは言わなかった
・掃除もできない。洗濯物もたためない。物の運搬もできない。利用者と関わることもできない。提案には反論、自分が職場に合わせるのではなく、職場を自分に合わさせようとしてた。それはどこまでも変わらなかったな。

 事ここに居たり、相手を利用しようとする、穏便に解決を図る方向性を止め、次回の契約更新を行なわないようにしようということに話が決まる

しかし

勤務開始10か月目
・おばはんがその施設を施設内で虐待があると市町村に虐待通報をした。新聞社やマスコミ各社にも虐待通報及び、自分でしたためた文章を送った。

 ちなみに、虐待通報をした場合、当然だが通報者の情報は出ない。しかし、今回の場合、あまりにも被害者とされた利用者が多かった点、その利用者の担当市町村が違うのに、一か所のみに通報があった点(その後複数に拡散)、おばはんが勤務する棟のみの利用者が通用された点、虐待していると名前の挙がった職員が、おばはんが恨んでいる職員だけだった点から、こりゃおばはんが行なったんやな、ということが容易に想像できた。
 緊急の保護者会の実施、各市町村の取り調べや調査が連日行われた。そのなかでも、本人は「青い顔をしながら」仕事をしていた。きっとこんな大ゴトになるとも思っていなかったんだろう。ちなみに、その通報内容はほとんど言いがかりに近く、調べてもそれが事実として認められることはなかった
 そして、その取り調べの間も、休みの日や勤務後におばはんは足げなく市役所、そして労働局に通い、うちの施設の悪行を吹いて回ったらしい。マスコミにもどんどん文章を送り続けていた様子だ。
 しかし、それっぽいことを言っていても、浅はかな言い分ではどんどんぼろも出て来る。話の矛盾点や、本人の様子から次第に、これはおかしいんじゃないかと思い始め、話の乖離に行政も対応しきれなく、ついに施設に電話が来るほどだった。
 市の担当課、労働局、マスコミが取り合わなくなると、市長にも手紙を書いたようだ。さらに、県の担当課に連絡したり、労働局には、パワハラを訴えていた様子。日々様々な機関から電話が来て、ボスも生きた心地がしなかっただろう。県知事や国にも手紙を書き、電話連絡したかもしれない
 日々まくしたてられ、向こうも大変だったんだろう。労働局からも、支離滅裂な訴えから事態を察し、パワハラ防止のポスターのみ送られてきた
 しかし、それぞれの窓口にも緊張感はあったに違いない。あのおばはんのようすだと、何の動きもなかった場合、さらに上の窓口に、あそこが虐待や労働問題を放置していると訴えられる危険もあった(この時点では、あくまで施設内の話を通報していたと思われる)。そうなると、火の粉が飛び散るだけでは済まない。市や県そのものが炎上する恐れすらもあった。ただ、それぞれの機関がしっかり調査を行ない、事実が存在しないことを分かってくれたから、何とかなったともいえる。
 
 ちなみに、なぜおばはんはそんなことをしたのか。
 それは、虐待通報者に対し、通報を理由とした解雇等の報復行為が認められていないからだ。つまり、自分の行為でクビにされるのを阻止する為に虐待をでっちあげ、通報したからクビにさせられたというように話をすり替えて、働き続けようと画策したわけだ。

 そして法人として弁護士を雇い、契約を更新しない旨の通知を出すに至った。ちなみに、通報には触れず、日々の勤務態度や、施設内の人間関係を乱す、他職員に退職を迫る、利用者に対する不利益等、就労規則をもとに文章を作った。通報に触れると関係機関もグルだと何を言われるかわからんしね。

終了まで
 
通知後も市役所や労働局、果ては市長にまで話を訴えていたようだが、それぞれの機関が本格始動することはなかった。つまりは、本人がやりすぎてしまったんだろう本人としては、自分が正義だと最後まで信じていたし、施設を守れるのは自分だけと思っていたろうし、自分の言うことを認めない人間は全員虐待者だと思っていたろう
 そして、解雇寸前になり、泣きながら勤務の継続を訴える、働きたいという。それが拒絶されると、今度はボランティアで出入りをしたいなどなど手を変え品を変え、時間をかけ訴えを見せてきた
・現場の人間の前で突然土下座をし、現場でも私を雇うよう説得してほしいと泣き出す。拒否されると、土下座を強要されたと騒ぎだした。なんやお前
 しかし、出入りさせれば何を言い始めるかわからないし、下手をすれば利用者に危害を加えようとするだろう。断固拒否。
 そして、糸が切れたように自分からもう仕事に来ないと言い放ち、施設を出ていった。それっきり。もう無駄だと思ったんだろう。あっけなくあっさり、嵐は去ってしまった。

 そこの施設に入居しているのは重度の知的障害者だ。コミュニケーションを言葉で取ることも難しい人は多くいる。その人たちの中で、かろうじて会話ができる人が、おばはんはもう来ないのかと聞き、来ないと知った時、万歳をしたらしい。なかなかそこまで嫌われることないで。
 おばはんは、利用者を守る、ということを盾にしており、自身を利用者の理解者、友達だと思っていたが、利用者自身は、おばはんのことが大っ嫌いだったらしい。勤務を始めて半年ぐらいでは、ほとんどの利用者に避けられていた。よほど、悪印象だったのだろう。利用者は素直だし。

結局
 おばはんは発達障害だったのか。
 ここまでおばはんを発達障害と扱っていたが、一応健常者として生活してきたようだ。しかし、前の職場でも、現場でトラブルを起こし、勤めていたヘルパーセンターのセンター長やそれのさらに上といった形で自分の要望や考えを言い続けていたらしい。
 施設の主治医(精神科)は、発達障害だろうと言っていた。しかし、仮に過去にそう診断されていたとしても、本人は決して認めようとせず、下手をすれば病院を訴えていたかもしれない
 自分が絶対正義と信じれることは幸せなことはもしれないが、おばはんに関わりを持って幸せになれた人がいるのだろうか。そして、自分のプライベートを犠牲にしてまで、おばはんがしたかったことは何だったのか
 私には、わかるようでわからなかった。

超長くなったので、結論は次回。
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?