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千奈ちゃん。

園児置き去り事件に思うこと。

千奈ちゃんのこと

河本千奈ちゃん。

この名前を聞いて、反射的に事件を思い出せる人、出せない人、様々な人がいると思う。私の心には、きっと2度と刺さって抜けない出来事。

園児置き去り事件。
この名称にすれば思い出す人も増えるかな?

 牧之原市の認定こども園「川崎幼稚園」で昨年9月、園児の河本千奈ちゃん=当時(3)=が送迎バスに置き去りにされて亡くなった事件。事件の衝撃はもちろん、当時の会見の様子が酷すぎると叩かれたあの事件。
 ご家族は今も苦しみ続け、園は通常営業を継続、対策としては、各幼稚園等でマニュアルを作成し、バスには置き忘れ防止装置の設置が決められたのは、記憶に新しい。
 けどこのネタ、とても社会に影響を与えたにしては、なぜか忘れられている気がしてならないんだよね。忘れてないよ!覚えてるよ!と思ったそこのあなた。じゃあ、千奈ちゃんの名前は憶えていたかな?毎日繰り返し放送されていたよね。千奈ちゃんの人柄も。熱中症を通し越した症状になるまで、言いつけを守って待ち、閉じ込められてからはブレザー脱いで、水筒の中身を飲み切り、必死に出ようともがいていた姿。繰り返し繰り返し報道されていたけど、置き去りにされた女の子居たねぇ、ってくらいだったんじゃないかな。
 思い返すだけで心が痛い。痛すぎる。
 だけどこの事件での問題点は園の態度でも、園の体制でもない。圧倒的な「他人事」感だとおもうよ。この事故、いや、人災はどんな仕事でも、どんな状況でも起こりうることで。決して皆が無関係ではいられないことなのよ。

 通園バス「置き去り防止装置」義務化が発表!!皆さんの協力で実現しましたありがとう!!と文章を書いていた人がいた。40000人以上の署名をもらい、国に働きかけ、実現させた!!と喜んでいたけど、定期的にその話題に触れることはもうない。
 いやさ、悲劇から何かを訴え、変えていくことは大事よ。だけど、だけどさ、お父さんは言っていた。

 「安全装置義務化になって、これで安全ですと言われても千奈はもう戻ってこない。行政のために行政を動かすために娘は生まれてきたのではない、そういう気持ちでいます」
 
 おい、読んでるか。
 政策が決まった、国を、行政を動かしましたよと浮かれてる奴。皆さんのお陰でとか、そういうこという奴。千奈ちゃんはそんなことのダシに使われるために、政策を決める為に生まれてきたわけでも何でもないぞ。お前らは浮かれてるかもしれないが、もう、千奈ちゃん帰ってこないからな。妹を可愛がることも出来ねぇ。これから、が全部なくなっちまった。
 そのご家族は、自分の命より大事な人を亡くしたんだ。一生、一生自分を責めていけなきゃいけなくなった。
 その重みを分かって言ってるんだよな?いまも、忘れずに仕事してるんだよな?装置があっただけじゃ守れないからな?国が費用負担して取り付けれ終わりじゃねぇからな?マニュアルありゃ守れるわけじゃないからな?守った気になるんじゃねぇぞ?・・・
 
まぁ、守ったつもりに、守ってるつもりになるんだろうな、そういう奴ら。

 無駄ではないと思う、だけど、その装置があることで、事故の本質が隠されないかどうかが怖いのよ。
 ちょっとまた読みにくい文章になってるけど、とにかく書こう。書くことしか、私にはできないから。

 ちなみに、私が今日この文章を書こうとしたのは、千奈ちゃんの記事を久々に目にしたこと、そして、何年も前に読んだこの記事を思い出したからですわ。


置き去り事件概要

概要
 2022年9月5日14時10分頃、静岡県牧之原市の認定こども園に駐車していた通園バスの車内で、園児の3歳女児が意識を失っているのを職員が発見したただちに通報、病院に搬送されたが、同日15時35分頃に死亡が確認された女児は午前8時50分頃にこのバスで登園しており、5時間程度にわたり置き去りにされたとみられている

 通園バスは18人乗りのワンボックスカーで、運転手を含む2人の職員と6人の園児が乗っていたこの日は普段の運転手が休みだったため、70代の男性園長が運転していた

被害者
 死亡した3歳の女児は入園して間もなかったとされバスが楽しいと話していたことから2学期からバス通園を始めていた父親からは「(バスでは)先生に言われるまで静かに座っていなさい」と教えられていたという。その言いつけを守って最後までバスに残り、職員に呼ばれることを待っていた可能性が指摘されている

 女児は前から5列目の席(後ろから2列目の席)に座っていたが、発見された時には前から3列目の席の足元に倒れていた発見時には体温が40度程度まで上昇していた車内に放置されてから約3時間後の昼前には死亡していたとみられている

 通園バスの中からは空になった水筒が見つかっており出入り口のそばの席には自分で脱いだとみられる衣服が残されていた

原因
 9月7日に川崎幼稚園が開いた記者会見によると、代理運転していた男性園長は数えるほどしかバスを運転しておらず、また到着後に病院での待ち合わせの予定があったために焦りがあったという。その上で、原因として次の4つのことを怠ったと説明した。

・乗降車時の人数確認
・複数人での車内点検
・最終的な出欠情報の確認
・登園するはずの園児がいない場合の保護者への連絡

Wikipedia【牧之原幼稚園バス3歳女児死亡事件】

 概要は既にまとまっている。原因もまとめられてるし、そこの部分の対策や対応は多くの学識者、著名人、一般の人間に至る中でも、散々言われてきたことだろう。だけど、本質は違うと思うんだよね。

夏が来るよ。

 これからどんどん夏が近づき、千奈ちゃんの命が失われしまった時期が来る。国は、政府は、子供を守る立場にある人達は、事故発生後から通知を出し、送迎バスの、運営に関するマニュアルを大急ぎで作らせた
 そして、園の負担になってはいけないからと、税金を使い、置き忘れ防止の装置を設置を義務化した。
 

 こういった装置の開発には、技術者のたくさんの思いがこもっている。作り手側は、もうこんな事故を二度と起こしてはいけない、人為的ミスで済ませてはならないと、それでこそ、寝食を忘れて開発したんだろう。頭が下がるどころではない
 しかし、「使い手側」の問題がある。
 仮に、この装置が設置されているバスで事故が発生した場合、世間は、幼稚園側は、一体「誰に」責任を求めるんだろうか。おそらくその一端を、この装置に求めるに決まっている。「装置があれば安全だと思ったのに」、と必ず機械側に責任転嫁する。
 いやいや、違う。こんなものすごい装置を導入しても事故を起こす、使い手側が悪いに決まっているんだよ。仮に故障が起こっていたとしても、故障にすら気づかず、点検動作をしない奴らが悪いだろう

マニュアルや装置の問題ではない

 そもそも、置き去り事故自体が、1人のミスや、仕組みがおかしかったからなんて言葉で片付けられるもんじゃない。そういう事故じゃなかったはず。

 ・運転手がアホでも、付き添い者が確認すれば防げた。
 ・付き添い者がアホでも、運転手が確認すれば防げた。
 ・何人か気づくが人間が居ても、誰も確認しなかった。

 置き去りが発生し、千奈ちゃんが亡くなるまでの間に、一体何人の人間のチェックをすり抜けた?違和感を感じた人間をすり抜けた。この中の、たった一人の人間でも、ちょっと確認しますね、親に確認すると、電話一本入れれば、おかしいね、と車を見に行っていれば、これは重大なインシデントではあるものの、子供一人の命が失われないで済んだんだよ。

 仮に運行のマニュアルがあったとして、この事故が回避できたのか?私は回避できなかったと思う。マニュアルは作成することではなく、皆で共通認識を持ち、訓練し、それを守ることに意味がある。送迎に対して確認動作はある程度決まっていただろう。だから、この時点までは事故は起こっていなかった。でも、当日勤務者たちは、確認動作を無視し、自分たちの違和感を無視し、忙しさを理由に対応をしなかった。防げんやろ。

 仮に警報システムががあったとして、この事故が回避できたのか。私は回避できなかったと思う。誤作動だろう、またなっている、いや、確認したはずだ。運転手たちがそう言い張れば、わざわざ見に行く人間はいないだろう。システムはシステムでしかなく、それを扱うのは人間。防げんやろ。

 仮に、もっと働き手が多かったら、この事故は防げたのか。私は回避できなかったと思う。人が多くなれば、勤務の中に「だろうかろう」が生まれる。誰かがやっているはずだ、と思い込み口に出さなければ、何人いても変わらない。防げんやろ。実際に個々の勤務者は、違和感を感じ、違和感があっても握りつぶしてしまったからな。

 人の意識がないと、何があっても事故は防げないと考える理由の一つとして、事故の前年に、別の置き去り事故が発生していたことも挙げられる。

類似の事件と当事者意識

 これ、マジで似たような事件なのよ。
 そして、こういった事件が発生すると、国、都道府県、地区町村からそれぞれ、事件に際した注意喚起の書類が送られてくる。川崎幼稚園にも、同じ通知が送られているんだよ。県からも市からも。もしかしたら、送迎状況に関するアンケート等もあったかもしれない。保護者からも大丈夫かな?って聞かれても居たはずなのよ。

 それでも自分らが似たような事故を引き起こした。

 つまりは、圧倒的な当事者意識の欠如
 いつどこで同じような事故が起こるかわからないという意識が欠けていたとしか思えない。逆に言ってしまえば、働き手が少し気を抜いて、いい加減にやってしまえば日本全国どこでも発生するし、誰でも被害者や加害者になりかねない案件ではあるんだよね。
 本当に注意しているとこもある、自分んとこでは絶対にないと怒り出す人も居る、考えないようにしている人も居るかもしれない。
 だけど、安全は空から降ってくることはなく、自分たちの命は自分らで守る必要があるし、そこを利用している人たちの命を守ることは、事業者の責任なのよ。
 そしてその事業者に、そこに所属しているすべての人に責任があるということ。それを、本当にわかって働いている人はどれぐらいいるのかな?自分の胸に手を当てて、よく考えてみるといいよ。

送迎車の運行だけではない

 この事件は、バスを扱っているすべての事業者に当てはまる。幼稚園のことだから関係ないと思っている人。これが小学校1年生なら?障害者関係の送迎バスなら?これが高齢者の送迎だったら?これが子供の送迎だったら?絶対に忘れない自信はあるのか?

 こういった事故は、別に車内への置き去りだけじゃない。拾い忘れはどうなる?取り違えは?交通事故そのものは?100%関係ないと言えるのか。100%事故がないと言えるのか。実際に事故が発生した時に、自分らには防止装置の補助金ないからとか言ってしまうのか?費用が、人が、と、あれも悪いこれも悪いと他責に求めるのか。置き去り事故は、安全な送迎バスの運行全般の1要素に過ぎない。

 言っちゃ悪いが、各地の送迎バスは事故続きだ。主に高齢ドライバーが多いこの業界は、70代、80代の運転手が次々に事故を起こしている。普段、高齢者が事故を起こすたびに免許返納だなんだと騒ぎになるが、その連中よりも場合によって恒例の人間が、子供や障害者、高齢者が乗るバスを運転しているわけだ。これって大問題だよな。
 そして、事業者は人不足を理由に各地の運行会社へバスの運行を委託する。しかし、その委託先にはよぼよぼの老人しかいないんだよ。
 どんなにきつくても、難しくても、金がかかっても、やはり事業者は他人任せにせず、安全の根幹になる人間は自分らの責任で雇用し、自分らの責任で車両の運行をおなうしかない。
 それが無理なら、送迎なんぞ止めてしまうしかないともう。
 そうでもないと人が来ない、それがないと困る人がいるってんなら、ちゃんと責任もって判断能力とドライブテクニックをある人間を集める努力をするか、自分たちで育てていくしかないでしょうよ。

 仕方ない、人不足、なり手がいない。それは深刻な問題かもしれんが、深刻だからこそしっかり向き合う。そして、個々の運転手の状況を把握する。自分たちの送迎の運行すら責任取れない事業者が、社会的弱者の生命安全を守れるのかね。理想論だと馬鹿にしてもかまわんけど、それによって命が失われたとき、それを後押しした人間にも責任があるからな。忘れんな。

人の命を背負う 

 人は日常に関わる全てに誰かの命がかかっている。車を運転する人。物を作る人。サービス業。誰もが、ミスをすれば誰かの命を奪いかけない仕事をしている。日常生活を送ってる。それを普段意識していないだけで、誰もが誰かの命を握ってしまっている。だからこそ、様々なことを忘れてはいけないし、自分が被害者にも加害者にもなりうることを忘れちゃいけない。

 人が人の命を奪う。
 人が人に命を奪われる。
 自分が誰かの、自分が自分の命を奪う。
 誰もが当事者で、誰もが被害者になりうる。
 生きているいるうちは、そこからは逃げられない。

 働き手は、自分が背負ってるものの重さをもう一度考えろ。自分たちが抱えている命の重さを考えろ。そして、命を預けている人間は、その人たちがしっかり働くように、時に見守り、激励し、叱咤する。そして、支えないといけない。

 この社会は一人では成り立たないようにできている。そして、支えあっていかないと守れないものがたくさんあると思う。

 悲しくも、失われてしまった命は戻らない。
 だけど、それを無駄にしないことはできる。
 この事件で義務化された安全装置だけでなく、この世界の安全装置、守らなければならないルールには、その後ろに何万、何十万の人の命がある。
 地震情報、火災報知器、シートベルト、運行ルール、様々なものの後ろにある命を忘れちゃいけない。
 失われた多くの命に触れるなら、その命に恥じないように、これから先に同じ出来事で、命が失われることがないように生きていかないと。

 それを守るのは、他の誰かではなく、生きてる人、全員だ。
 無関係な人間はいない。
 無関係な人間は、いないんだよ。

私は、千奈ちゃんを忘れない。
絶対に、忘れない。


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